トップページ » 公共交通 » 公共交通(鉄道) » 残り僅かになった茨城を走る北海道の炭鉱私鉄車両


残り僅かになった茨城を走る北海道の炭鉱私鉄車両

2007年04月10日掲載

Photo0001.JPG
Photo.JPG
写真上は茨城交通キハ20型・下はJR北海道711系(共に1996年頃撮影)・鹿島鉄道の写真がなく残念

3月31日に廃止となった鹿島鉄道(旧・関東鉄道鉾田線 石岡-新鉾田)に旧夕張鉄道の気動車キハ714(夕鉄時代は気は251)が最後まで走っていた。
管理人は10年以上前にこの夕鉄車両に乗ったことがある。廃止の1週間前、たまたま茨城に所要で出かけ、途中、石岡駅を通ると最後の乗車に来た鉄道ファンでごったがえしてきた。

昨年のちほく高原鉄道廃止の際も思ったが、廃止直前になると駆け込みでラッシュ状態になる。宮城のくりはら高原鉄道でもそうだった。いつも繰り返されるこの光景を見ると、普段からこれだけの人が乗っていればこんなことにはならなったのに、とため息をついてしまう。

鉄路の廃止ではないが、3/18のダイヤ改正で廃止された特急「東海」(東京-静岡)に廃止2日前、東京駅から乗ったが、ホームは100人近い鉄道ファンのカメラでごったがえしていた。
しかし、彼らの大半は乗車をしない。車内はいつもよりは混んでいたが(管理人は日常的によく利用していた)廃止直前にしては空いているのだ。

ちょうど今回、鹿島鉄道の廃止と夕鉄車両の話を書こうと思っていたが、タイミングよく北海道新聞に現役夕鉄車両が活躍していた鹿島鉄道廃止の記事が出ていた。

この車両、50年以上に前に作られた車両であるが、当時流行の湘南電車スタイルである。夕陽に染まる霞ヶ浦をゴトゴト走ったのが印象的である。

茨城には夕鉄以外にも北海道の炭鉱を走っていた車両がいまだ健在である。常磐線の勝田と阿字ヶ浦を結んでいる小私鉄・茨城交通では、羽幌炭鉱鉄道や留萌鉄道で活躍していた気動車が今も残っている。

運行日は限られているようだが、この鉄道、狭い家の間を抜け、暫くすると海に出る。終点の阿字ヶ浦は目の前が砂浜で何もない。距離は短いがなかなか味わいがあり、何度か乗ったことがある。

道内では昭和の面影を残す車両は少ない。私鉄がないせいもあり仕方ないが、強いてあげれば赤に白色の帯が入った電車711系車両が最後のお勤めをしているようで気になる。しかし、最近では札幌駅に殆んど登場しなくなってしまった。岩見沢や苫小牧周辺で僅かに見かけたが、時間の問題であろう。

先日、まもなく廃止される「ライラック」に旭川まで乗った。車内放送に流れる鉄道唱歌のオルゴール音が郷愁を誘った。このオルゴール音も無機質な電子音に変わり、まもなく聞けなくなる。


■前の記事: 観光客から地元客へシフト、丸井今井の「きたキッチン」
■次の記事: まもなく就航1年、3月搭乗率でスカイマークが首位に


この記事に関連する過去の記事


アクセス数の多い記事



この記事へのトラックバック

トラックバックURL: http://www.hokutonomado.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/877

この記事へのコメント

管理人様こんにちは

私も道新の夕鉄の記事読みました。

中学3年生まで夕鉄「平和駅」の近くに住んで
いましたので、幼少から毎日見ていた気動車です。
第二の人生を終え、本当にご苦労様と言いたいです。

夕張が栄えていた頃、夕張本町~野幌まで走っていて、
私は良く、平和から夕張本町、
遊園地があったスイッチバックの運転取扱駅の錦沢駅、
親戚がいた栗山駅まで良く乗車したものです。

メーデーや炭山まつりの時は、臨時列車も走ってました。

夕鉄の若菜駅あたりから、夕張本町駅までは国鉄夕張線と
平行していたため、ダイヤによっては並走する列車もあり、
鉄道が好きな少年としては楽しかった思い出です。

投稿者 元夕張市民 : 2007年04月11日 11:06

元夕張市民さん、素敵な思い出ありがとうございます。
夕鉄はまったく知りませんが、鹿島鉄道時代に乗った時、たしか木の床であった記憶があります。
子供の時の鉄道の記憶はいつまでも残りますね。
今、地方ではクルマ社会で、鉄道を日常的に利用しない暮らしが当たり前になっていますが、鉄道の乗り方や車内の過し方などマナーを知らない子供が増えているという記事を読みました。そういう意味でも鉄道の廃止は影響ありますね。

投稿者 管理人 : 2007年04月12日 09:42




ログイン情報を記憶しますか?