阿寒ロイヤルホテルが民事再生を申請
2007年10月10日掲 載
阿寒ロイヤルホテルと関連会社の阿寒総合開発が民事再生法の適用を東京地裁に申請していたと10日付けの道新が伝えている。2社の負債総額は約47億7千万円。取引先への支払いは滞っておらず、両社で経営する三ホテルの営業は続ける。
グループは、阿寒ロイヤルホテルの他にホテル御前水とホテル阿寒湖荘を経営している。御前水と阿寒湖荘は90年代に買収している。
先日のブログで躍進が著しい鶴雅グループについて述べたが、阿寒湖観光の実態は厳しいようだ。ホテル阿寒湖荘は10年前までは、皇室が泊まる宿としてもっとも格式があったが、最近は鶴雅に抜かれた印象であった。個性が乏しく、旧態依然とした大箱ホテルの今後は厳しいと言わざるを得ない。決して悪い宿ではなかったので残念である。
定観バスのポータルサイト「遊覧バスネット」、北海道中央バスなどからスタート
2007年10月09日掲 載
今日は管理人の仕事絡みの話(PR)をさせていただきます。
この度、全国の定期観光バス(一部会員制バス)を含む検索・情報予約サイト「遊覧バスネット」を一般に公開しました(まだ仮オープンなので告知はしていません)。このサイトは、情報収集が困難で、予約方法、乗り方などがわかりずらい定期観光バスに関する情報を集め、コース紹介だけには留まらず、具体的な楽しみ方や体験記などを交えながらお伝えしてゆくサイトです。
サイト運営は、全国の高速(都市間)バスの最大手検索予約サイト「発車オーライネット」(約100万人の会員)を運営する㈱工房が行います。高速バスや路線バス運行システムなどで培ったノウハウを定期観光バスに活かし、退潮気味の定観バス事業の再生に貢献できればと思います。
サイトネーミングの「遊覧バス」は、戦前から親しまれている表現であり、50才台以上の人にとっては懐かしい響きがあるので、あえて「定期観光」ではなく、「遊覧」を使用させていただきました。
現在、予約が可能なのは北海道中央バスと宮城交通の2社ですが、順次掲載を増やしてゆき、JTB大型時刻表などに掲載されているコースはできうる限り、掲載する予定です。
管理人は、外部スタッフとしてサイト全体の企画やコンテンツ制作などに携わっていますが、今後、乗車体験記やバス会社さんのブログ、メルマガなど高速バス予約の「発車オーライネット」と併せ、個人旅行やビジネス利用に役立つようなサイト展開を考えています。
もし、定期観光バス(会員制バス含む)の掲載にご興味があるバス事業者様は、ご連絡をいただければ詳しい説明をさせていただきます。また、バス会社様以外でも業務提携や協業などにご興味がある会社様はご一報下さい。
★連絡先 ㈱ 工房 ホームページ
〒335-0012埼玉県戸田市中町2丁目1-21
<システム事業部> TEL 048-433-2228 FAX 048-433-2177
ニセコ湯本のチセハウスが営業を終了
道新掲載の「青さんの温泉出会い旅」ブログによるとニセコ湯本温泉のロッジチセハウスが9月いっぱいで廃業したと報じられている。
創業者が亡くなられた以降、夫人と息子さんで切り盛りしていたが、高齢の夫人が体調を崩されて入院、夫人が昨冬他界されてからは、事実上休業状態になっていた。
管理人は昨年4月に宿泊予約の電話を入れたが断られ、すぐ近くにある国民宿舎「雪秩父」(昭和40年代の遺物のような宿)に泊まった。まさか宿がそんな状態とは知らなかった。一昨年は、こじゃれた「湯ごもりの宿・アダージョ」に泊まったが、泥湯はチセハウスがいちばんであった。泊まれなかったことを悔やむ。
名湯が多いニセコ地区から古い宿が少しずつ消えてゆくのは残念だ。
鶴雅グループ大西会長の言葉からかんじた北海道観光
2007年10月07日掲 載
7日朝放映されたNHK「経済羅針盤」のゲストが阿寒湖・鶴雅グループの大西雅之代表であった。鶴雅グループは、この数年で人気ホテルグループに成長、阿寒湖だけではなく、道東を中心に網走やサロマ湖などのホテルも買収し、勢力を拡大している。
管理人は大西代表とは面識はなく、間接的にその仕事ぶりや人柄など聞いていたが、テレビで見た印象は、道産子らしい朴訥さと誠実さ、情熱を兼ね備えた魅力的な方と拝見した。鶴雅の高級路線や他ホテルのM&Aを実行しているので、豪腕経営者という先入観があったが、星野リゾートの星野社長とはかなりタイプが違っていた。
阿寒湖鶴雅はかつて阿寒グランドホテルといった。20年位前まではパッとしない宿で、ホテル阿寒湖荘や阿寒観光ホテル、カラカミ系チェーンの後塵を拝していた印象だ。JTBの調査で送客が停められる58点まで評価が落ち、どん底からスタートをして今の地位を築いた。このあたりは、いろいろなメディアで紹介されているので省くが、鶴雅が何で人気宿になれたのか管理人なりの視点で考えてみた。
まず、時代を逆手に取ったことが挙げられる。阿寒グランドホテルが「送客停止」にされた1980年代中頃は、バブル突入前夜、大型豪華施設が相次いでつくられていた時期である。しかし、そんな余裕がない大西氏のホテルは、周囲を尻目にソフト面を含め出来うる範囲から改善をしていった。そしてバブルが崩壊し、旅行ニーズが変わった90年代、他所が試行錯誤している最中に攻勢に出た。建設コスト、人材確保、買収等などに有利な時期である。また、資金がない分、ソフト面に力を入れたのが後になって幸いしている。このあたりの感性は銀行マンとしての経験も大きいであろう。ある種の時代の隙間を突いている。
二つめとしては、個とリピータを意識したことである。阿寒湖は一見さん相手の典型的な物見遊山の観光地であった。北海道の観光地に共通するステレオタイプの宿ではなく、何度も来たくなるような個性的な客室と頻繁な改装、飽きのこない食事などこれまでの道内大型宿にはなかった一歩踏み込んだサービスを行うことでリピータづくりに成功した。20年前に58点の落第点をもらい「送客停止」にされた失敗を源に、旅行会社、利用者共にウケがいい戦略性が高いホスピタリティを構築している。
三つめは、地域に根ざし、地域と発展、共生していることである。インタビューの中でも大西代表は、「観光地をまちづくりの観点で考えないと絶対に生き残れない」と言っている。当たり前のように聞こえるが、これを実践できているところは非常に少ない。
このサイトで何度も道内観光地・温泉地の問題点として、巨大温泉ホテルなどは、一歩も外へ出ないで、館内で完結できる仕組みをつくっているので宿泊者は街へ出て楽しむことなく、温泉街などが形成されにくいことを言った。
巨大ホテルがないところでも、それぞれの宿が囲い込んでしまうので、なかなかひとつにまとまらず商店街(土産物街など)や家族経営の小旅館などは衰退してゆく。観光地をマチ、コミュニティという概念で育ててゆかないと地方都市と同様に格差が進み、ゴーストタウン化してゆく。一事業者のエゴではなく、地域が開かれた共同体であるという発想が必要であると大西代表の言葉からかんじた。
阿寒湖は素晴らしいリソースがありながら、どこか時代の取り残された悪い意味での昭和チックな観光地であった。管理人は鶴雅の路線をすべて支持している訳ではないが、大西代表のやり方には総論賛成であり期待している。氏の手腕による阿寒湖、また、道東、道内観光全般の変貌を見守ってゆきたい。
北海道スキーツアーが発売、旅行会社の思惑と利用者の変化
2007年10月06日掲 載
10月に入り、「北海道スキーツアー」のパンフレットが旅行会社店頭の並びはじめた。かつては、秋から冬にかけての売れ筋商品であったスキー商品であったが、最近では見かけることが少なくなった。全盛を誇ったスキーバスは激減し、今はツアー高速バスに代わっている。
北海道スキーツアーだが、JAL,ANA,JTBなどの商品を見比べてみた。ここ数年、大きな変化はないが、昨年あたりから大人をターゲットにした高級志向の商品がスキーツアーでも増えている。若い頃、北海道のパウダースノーに憧れた中高年層の取り込みを狙っているようだ。
特に各社ともウインザーホテル洞爺の商品に力を入れている。ウインザーは最近になりスキー場を再開したが、ゲレンデの情報はあまり伝わってこなかった。
スキー場は、カブトデコム時代の「エイペックスリゾート」の付帯施設「スノーパーク洞爺」として開設されたが殆ど陽の目を見ないうちに閉鎖された。ゲレンデ構成は、山頂のホテルを挟み、洞爺湖側にはゴンドラ付きのメインゲレンデ、また、内浦湾側にもリフトがあり、どちらもレイク&マリンビューとなっている。
コースはかなり縮小されており、ゴンドラコースといっても最長で1500メートル程度、温暖な地域のためシーズンは短く、積雪量も少ない。室蘭線に乗ると海側のゲレンデが見れるが、真冬でも地肌が出ていることが多い(下部ゲレンデは使われていないようだが)。
あくまでもウインザーホテルのプライベートゲレンデあり、本格的に滑りたい方はルスツまで送迎してくれるようだ。また、スノボー禁止、コースもホテル宿泊客専用エリアもあり、一般客は行きずらいかもしれない。
現在、ゴンドラは通年運行している。ホテルのHPを見て驚いたが、名前が「サミットゴンドラ」(笑)になっていた。それにしてもウインザーホテルのサイトは見づらい。オープン時からそうであるが、誰も気がづかない、言わないのであろうか。ホテルサイトを通して予約をする客も少ないのであろうが、物足りなさをかんじる。
今冬の北海道スキーツアー、全体的には大人をターゲットしている印象だ。トマムもグレードアップしており、滞在型を狙っている。スキーツアーブームが去り、北海道が身近になり過ぎ、かえってスキーのためにわざわざ来ることがなくなった。もはや魅惑のパウダースノーでは集客はできない。
これからは、ウインザーのような高級リゾートでの滞在、温泉滞在でのスキー、体験型の雪遊び、都市型滞在のなかでのスキーなどスキーがメインではなく、冬の北海道観光のオプション的な位置づけとしてスキーツアーを活かしていった方がいいような気がする。旅行パンフではスキーツアーは独立しているが、一般のフリーツアー(募集型企画旅行)の中でも紹介したらどうであろうか。
ナッチャンReraの乗船率は29%、この数字どう評価する
2007年10月05日掲 載
東日本フェリーが3日までにまとめた新型高速船「ナッチャンRera(レラ)」の就航一カ月間の運航実績によると、乗客は4万640人で、乗船率は29%だったと道新が報じている。
乗船車両は乗用車が7559台、トラックなど貨物が1874台、バスが95台、オートバイが585台だった。 同社によると「高速船の乗客は、(在来船4隻で運航していた)昨年同月のほぼ二倍。乗船率はまだ低いが、乗客をさらに増やしていきたい」と話している。
乗客数が昨年の2倍ということであるが、新造船就航前の青函航路は貨物輸送が中心であったので29%という数字をどう判断したらいいであろうか。首都圏でも大々的にプロモーションを掛けていたのでやや物足りない印象もあるが、馴染みが薄いフェリーであり、浸透には少し時間が必要かもしれない。今月中旬以降、観光客が減り、来年春までどれくらい頑張れるかが見ものだ。
料金はかなり高めの設定だが、同区間のJR特急より早い所要時間1時間45分をもっとPRすべきであろう。また、冬に向かい荒天時の揺れがどれくらいなのかも知りたいところだ。今月中に乗船してみようと思う。
旅ガイド&タウン誌が生き残る道「大通ウォーカー」と「すきタン」の例から
2007年10月04日掲 載
旅行、情報ガイド誌やタウン誌は、ネット情報に圧され、苦戦が続いている。旅行雑誌のいくつかは、廃刊になったり、内容を大幅に変更している。また、タウン誌は旅行雑誌以上に台所が苦しく、風前の灯火である。「ウォーカー」のような中央メディアの進出、ネットの普及、地方経済・文化の衰退などが重なり、今では「ウォーカー」でさえも部数が激減している。
先日、札幌・大通地区の飲食店や、ファッションビルなどの情報を満載したガイドブック「大通ウォーカー」が、「北海道ウォーカー」を発行する角川クロスメディア北海道支社から出版された。
この雑誌は、JRタワーが開業して以来、札幌駅前地区に客足を奪われている大通地区が、巻き返しに向けて動き出し、そのよさを訴えようと発売されたものだ。
最近、「大田区ウォーカー」、「るるぶ相模原市」など観光地といえない場所や狭いエリアを扱った”ご当地情報ガイド”が増えており、そこそこ売れているようだ。「散歩の達人」(首都圏限定)もそうだが、都市部のローカルな地名を冠し、グルメやレジャーから街の歴史まで、意外と知らない地元の穴場情報を網羅しているのものが増えている。
ケースにもよるが、大田区や相模原などは、行政からのバックアップ(制作費持ち)で作られているはずである。景気の悪い出版社にとって悪い話ではないし、情報の切り口としても面白い。「大通ウォーカー」がどういったシステムで発行されているか知らないが、恐らくお金が出ていると思われる。
また、タウン誌の老舗「すすきのTOWN情報」が、風俗関連の情報や広告をやめた。同誌は、1979年12月に創刊され、現在は公称8万部。当初は確定申告の方法など、すすきのの飲食業界向けの情報を載せていたが、飲食店を紹介する記事も掲載するようになり、次第にススキノ総合ガイドの体裁を整えた。
しかし、バブル崩壊で雑誌広告が減り、不景気でススキノの雑居ビルは風俗だらけになってしまった。また、その頃から道外の性風俗情報誌が北海道へ上陸、今でも書店へ行くと「すきタン」と並んで、大判でカラフルな風俗情報誌が並んでいる。
「すきタン」の魅力は、ススキノ文化を伝えているところにあったが、風俗広告と記事が増え、魅力がないものになってしまった。たまに手を取ると、これまでの路線を守りたい意地と背に腹は変えられない現実の苦悩が誌面からも伺い知れた。
女性社長の平野たまみ氏は、コンビニエンスストアが風俗誌の販売を自主規制するようになってきたことも踏まえ、思い切って風俗情報・広告の掲載中止を決めた。
そして、盛り場情報の原点に返り、「大人のための雑誌」に切り替えるとことにした。管理人はこの英断に拍手を送りたい。
今から20年近く前、初めて訪れた札幌でどこへ行っていいのかわからず買った情報誌が「すきタン」だ。その中に新規開店情報があり、オススメ印の郷土料理店とシャンソンが聴けるスナックに飛び込みで入ってみたが、2軒とも大正解であった。
以前はよく購読していたが、風俗記事が増えてから、遠のいてしまった「すきタン」。もう一度、大人が楽しめる街に戻ってほしいものだ。そして、雑誌の第二創刊に期待する。
旅行、情報ガイド誌、タウン誌の置かれている状況は依然厳しいが、読者ニーズを読み取り、質の高い情報が提供できれば生存は可能であると思う。紙のよさも捨てたものではない。頑張れ、地域情報誌。
人気低迷で専門誌がなくなったアイスホッケーに救世主が登場
2007年10月03日掲 載
アイスホッケーアジアリーグが開幕したと言ってもご存知の方はごく僅かであろう。以前はサッカーの日本リーグ(JSL)より人気があり、テレビ放映もされていたが、この20年間はジリ貧の状態である。雪印が不祥事で撤退、盟主であった西武、コクドが1チームとなり、古河もクラブチームに変わり、日本リーグ成立が不可能となxった。現在は韓国、中国、ロシア(今シーズンは加盟なし)を加えたアジアリーグ形式で数年前から行われている。
そのアイスホッケー唯一の専門誌「アイスホッケーマガジン」が今年6月で休刊となった。もともと競技人口が少ない上にファン自体の減少もあり、発行元のベースボールマガジン社は、連盟などからの多少のバックアップがあるにしても存続は不可能と判断したのであろう。
管理人も以前は季刊の「アイスホッケーマガジン」をたまに購読していたが、最近は買った記憶がない。他社からNHLものも出ていたが、最近は見かけなくなった。
そんななか先月、苫小牧と釧路出身のアイスホッケー競技経験者が専門情報誌「ブレイクアウェイ」を発行した。競技の情報発信の場を絶やすまいと、先月20日のアジアリーグ開幕を前に道内出身者が立ち上がった。 発行するのは、出版物企画などを行っているケイ・スクウェア社(横浜市)であり、社長は、アイスホッケーが盛んな釧路湖陵高出身である。
ブレイクアウェイはB5判オールカラーで定価990円。創刊号は124ページの特大号とし、巻頭特集でアジアリーグを展望している。年10回、各5千部発行の予定だ。
ローカルスポーツとはいえ熱心なファンも多いアイスホッケー競技。是非、底上げに期待したい。
管理人は首都圏の会場のほか、道内でも2ヶ所で日本リーグを観戦している。特に釧路日本製紙クレインズのホームで見た試合は、その熱さに驚いた。会場全体が知り合いのようであり、恐ろしく競技のことを観客が知っている。東伏見や新横浜のような洒落た雰囲気ではなく、ドカジャンに長靴のオジサンが大声を上げて声援していた。雰囲気としては、サッカーの本場、清水の日本平スタジアムで見た感覚に似ているが、それよりも遥かに濃かった。
札幌では今イチなアイスホッケー人気。コンサドーレやファイターズもいいが、たまにはアイスホッケーにも目を向けてほしい。バスケのレラカムイもできて、ライバルは多いが、王子製紙や日本製紙は、遥か以前から存在する北海道のホームタウンスポーツであることを忘れないでほしい。
力士死亡事件と相撲界(2) -相撲部屋と人材育成-
昨日に引き続き相撲の話を書く。
増位山(三保ヶ関親方)の歌で「両国エレジー」という相撲哀歌がある。確かこんな詩である。
♪朝もはよから起こされて 炊事 洗濯 拭き掃除
やっと ちゃんこに ありつけば 中身は空っぽ おつゆだけ♪
これは2番だと思うが、1番は夢を持って上京したが、待ち受けていたのは兄弟子のゲンコツといった内容である。大昔の歌であろうが、本質は今も変わっていないと思う。相撲部屋はまさに理不尽の世界である。
よくお相撲さんは無口だと言うが実際は違う。マスコミなど公の席では余計なことは言ってはならぬという昔から因習が残っているからだ。よく、バラエティ番組などで相撲部屋を訪問し、タレントが若い衆にインタビューするとどこか周囲に遠慮、気にするというか、伏し目がちだと思ったことはないであろうか。ひとことでいえばビビッている状態なのだ。
たとえば中学を卒業して15歳で角界へ入門したとする。人間形成が出来る以前に角界の価値観を叩き込む。世間は白でもこの世界では、親方や兄弟子が黒といえば黒と思わなければならない。そうやって自分で考える力をもぎ取り、染め上げてゆく。
管理人が相撲少年だった頃は、高卒は「理屈が多い」からと入門を嫌がられた。実際、高卒や中退で入ると自分より若い力士からこき使われる羽目になる。また、新弟子は入門後、1年ぐらいは相撲の専門誌を読んではいけないという不文律があった。まったく理解不能だが、情報遮断であろうか。
最近は大卒が増え、環境は変わったが、体育会系出身であり、日大相撲部などは大相撲などより厳しい稽古や上下関係があるので似たりよったりだ。
力のある大卒エリート力士とそうではない力士数確保要員のノンキャリア力士との差が広がり、かえって歪んだ世界になっているかもしれない。
北の湖理事長は13才で初土俵を踏んでいる。当時は中学生力士がOKの時代であった。それから40年間、独自の価値観の中で生きてきたわけである。時津風親方も自分の罪に対してピンと来ていないようだが、理事長も全く同じである。相撲界のタチが悪いところは引退しても年寄として残れる制度がある。もし、15才で入門すれば定年の65才まで50年間も同じ組織にいるのだ。
他のスポーツであれば引退をすれば他所の飯を食うが、相撲界の場合、親方で残れればそうではない。
相撲界という狭い価値観しか知らず、それが絶対になり、他者の価値観を受付けなくなる。そういう人たちが新弟子を育成しているのだ。相撲界の物差ししか知らない人たちが運営している特殊な世界であり、カルトといわれても仕方がないのだ。
管理人は、相撲部屋のライフスタイル、稽古方法(トレーニング)などいくつか疑問がある。新しく取り入れるべきもの、見直すもの、無駄なものも含め検証すべきだと思うが、外部の人間が入れないのだからどうしようもない。これまで長い間、国技という隠れ蓑を使い、アンタッチャブルな世界であった。
相撲界の暴力体質は今にはじまったことではない。戦前はヤクザが部屋に居候しており、力士ともヤクザともつかないものが沢山いたらしい。その当時から続いている悪しき伝統なのだ。
昭和の初期、古い大相撲の体質を改善しようと力士が団結し、春秋園事件を起こした。天竜三郎(プロレスの天龍の先代に当たり、今でも同氏が経営した同名の中華料理屋が銀座にある)を中心とした相撲界のクーデターであるが、参加した力士は髷を切り、ファンファーレに乗って登場した。勿論、茶屋制度なども廃止した。当時の相撲協会はあらゆる圧力をかけ、参加力士を呼び戻し、興業を打てないようにした。僅か2,3年で革新力士団は潰れたが、それ以降、相撲協会は国技を前面に出し、より閉鎖的、高圧的になったような気がする。
今回の大相撲不祥事は、春秋園事件以来の危機である。まさに80年近い膿が溜まったいたわけである。話がそれたが、力士だけではなく、親方の人材育成を含めて抜本から見直す時である。今のままでやり方を続けていればNHKも放映しなくなる。
何から手を着けていいのか気が遠くなるような作業であるが、稽古、人材教育を含め、ひとつひとつテーマを相撲界の常識、一般社会の常識、また、科学的検証を含めてやってゆくしかないと思う。
力士死亡事件と相撲界 -時津風親方と相撲部屋-
2007年10月02日掲 載
このところニュース注目度は断トツを走る時津風部屋のリンチ殺人事件だが、相撲ファンとしてちょっとこの話題に触れたい。
朝青龍事件の時のブログでも相撲部屋のシステム、新弟子育成、イジメ、角界の閉鎖性などに苦言を呈したが、心配していたことが表ざたになった。
管理人は力士になりたかったほどの相撲追っかけ少年だった。中学生の頃は稽古見学やサインを貰いに大半の相撲部屋を訪ねている(当時は部屋数は今の半分以下の25程度)。デーモン小暮閣下ややくみつるなど齢が近い世代には相撲フリークが多い。角界入り志望は親への反抗もあり、本気ではなかったが、いじめがなく、居心地がよさそうな部屋を探したのは事実。部屋によってかなりの差があり、一般的には小部屋の方が定着率がいい。当時から陰湿なイジメ・しごきは知っており、今より遥かに上下関係が厳しい時代であった。
また、朝稽古も今はフリーでも見学できる部屋が多いが、当時は関係者以外は入ることができなかった。特に大部屋といわれる出羽ノ海や二所ノ関、高砂部屋などは、近ずきにくい雰囲気があった。重厚な鉄の扉で閉ざされており、いったいこの中で何が行われているのか悪い想像をしたものだ。
阿佐ヶ谷の花篭部屋(今の花篭とは別・輪島などがいた部屋でその輪島が潰した部屋)に行った時のことだ。部屋のすぐ近くに日大相撲部があり、学生力士も稽古に来ていた。なかには強い学生もおり、プロの力士を負かす。負けたプロの力士は稽古場の裏手に連れて行かれ、兄弟子からボコボコにされている光景を見たことがある。こんなことは日常茶飯事であったのであろう。
時津風親方の話をしよう。連日の報道で有名になったが、現役時は双津竜という四股名であった。同名の先代がおり、2代目ということになる。力士としてはつかみどころがなかった印象だ。身体は当時、高見山の次ぐらいに大きかったかもしれないが、身体を生かした相撲が取れず半端、相撲が遅く、覇気がかんじられなかった。コンニャクのようにフニャフニャしており、相撲好きの友人との間で双津竜のことを「ナメクジ」と呼んだ。あまり話題になることもなく、時津風には輪島のライバル、2代目豊山や蔵間がいたので、その陰に隠れていた印象がある。
土俵を降りると力士としては愛想がよかった記憶がある。当時、福祉大相撲や力士の歌番組があるとよく出ていた。なかなかの美声であったが、演歌が多い同時の力士間では異色で、越路吹雪の「ろくでなし」や「星降る街角」など高音・裏声を駆使していた記憶がある。あまり気持ちがいいものではなかったが。
引退後は錦島親方になり、名門・時津風を継いだ。双葉山、初代豊山と理事長を兼ねた大物の後だったので「まさかあの双津竜が時津風?」と驚いたが、名門部屋を継いだ。関取も先代の農大ルートもあり、順調に育っていった矢先の今回の事件である。
実は管理人も、事件を聞いた時、「あの双津竜が弟子を?」と思った部類である。社交的、好人物の印象があったが、実態は二面性があり、違ったようだ。
捜査を待たないとわからないが、最近の相撲界はおかしい。いや、もともとおかしかったのだが、封印されていただけである。力士、元力士、マスコミすべて言ってはならぬ不文律があり、超狭い村社会だったのだ。先日、テリー伊藤が相撲界のことを「カルト集団、オウムと変わらない」と言ったが、よく言ったと感心した。
今の相撲部屋は旧態以前としたシステムに、今の時代が持つ病巣が加わり、機能不全の状態になろうとしている。
最近の相撲部屋は、引きこもりやヤンキーなど矯正の場になってしまっている。実際、相撲部屋のホームページを見ると堂々と「問題児を逞しい子に育ててあげます」と書いてある。それも角界を代表する名門部屋のサイトだ。管理人は最初目を疑った。これが果たしてプロスポーツであろうか。
単なる養成費稼ぎ、人員確保の手段である。大相撲も落ちるところまで落ちたなと最近思っていたところの今回の時大山事件であった。
函館七飯などをグランドレジャーが運営へ
リゾート施設の再編が一段落したと思った西武グループであるが、函館七飯スキー場が、プリンスホテルからシティグループ・プリンシパル・インベストメンツ・ジャパン(株)に譲渡され、さらに07-08シーズンから系列のウィンターガーデンリゾーツ(株)の運営と告知されていた。
ところが、昨シーズン北大雪を8年ぶりに復活させたスキー場経営の老舗・(株)グランドレジャーのサイトを見ると、新たに「函館七飯スノーパーク」が加わっていた。さらに旧西武系の「表万座スノーパーク」も加わっている。
推測だが、グランドレジャーは赤倉や奥利根など古くから営業する”自前”の他に、最近では、岩手高原(旧チサン系)や黒伏高原ジャングルジャングル(三セク?)などの営業を引き継いでおり、これらは運営委託と想像する。なので函館七飯もシティ系から委託を受けたのではないかと想像する。加森観光と同じパターンである。
グランドレジャーではこの他、白樺湖ロイヤルヒルスキー場とホテルも運営する諏訪バス・アルピコグループの白樺湖観光開発から譲渡を受け、今シーズンから運営を行うようである(ここはスノボーが人気で、スノーマシンが主、最近の温暖化で雪質が落ちている)。この件は長野日報でも報じている。
*余談だが、白樺湖ロイヤルヒルスキー場内に友人の別荘があり、何度も滑っている。スノーエスカレーターというトロイカ風の不思議な索道があったが(HPで確認すると今は撤去されたよう)、管理人の板が索道滑走部(床)と雪面の間に挟まり、このまま動き続ければ足がもげて死んでしまうので大声で叫んで止めてもらったことがある。大きなあざになった。その2,3年後に同じ状況で死亡事故を起こしている
函館七飯であるが、大沼プリンスホテルはそのまま西武が運営を続けている。表万座にもプリンスホテルがあるが、七飯、表万座はゴルフ利用者の方が多いのではないか。また、函館近郊には横津岳国際スキー場という道南ではそこそこ大きいものがある。ここも閉鎖されているが今後どうなるのであろうか。
道がサミットに備え接客の覆面調査を開始する
道がサミット開催地となる洞爺湖地域などで今秋以降、接客に対する覆面調査を実施することになった。
9/27付けの日経北海道版にると調査は道内6地域を予定しており、まず洞爺湖地域のほか道南の松前周辺、網走・知床周辺の3地域で10月中をメドに実施する。観光ボランティアを中心に2―3人の調査隊をつくり、1泊2日で旅行してもらう。気づいた点を後日集約し、地元観光協会や市町村などとの意見交換会を開いて議論する。残り3地域も近く場所を決め、来春までに実施するという。
北海道観光最大の課題である「ホスピタリティ」に関する調査を行政自ら行う。それも覆面調査員が隠密行動を取るのでミシュランのようである。行政自ら実施するということは、自分たちの「おもてなし」に自信がなく、「サービスが悪いので直せ」と官自ら公言しているようなものである。
以前、道が宿泊施設のランク付けを行政主導でやろうとしたが、反対意見が多く、頓挫したことがある。海外の観光省(局)などが設備・ハード面から★評価をすることはあるが、サービスに対しのて★評価はあまり聞いたことがない。ランク付けなど初めから不可能であると2年前のこのブログでも書いた。これらは民間がやるべきことである。
観光サービスの底上げを図ることは大いに結構だが、何かにつけ官主体で動いている限り、本質的なものは変わらないような気がする。やはり民間(地域や同業者間)の切磋琢磨、刺激し合える環境づくりが大切であると思う。
サイト開設まもなく3年、方向性で悩んでいる昨今です
2007年10月01日掲 載
今日から10月、会社でいえば今年の第四四半期を迎えた訳であっという間だ。このところ北杜の窓ブログ更新が滞っている。観光ミシュランなどの他ページや折角開設した別ブログ「旅をマーケティングするブログ」も更新しておらず、ちょっとヤル気をなくしている。
その理由としては、サイト開設からまもなく3年、月間1万5千以上のアクセスを戴いているが、内容のマンネリが一番目の理由。北海道関連を中心にした観光や交通ニュースを紹介し、管理人流の解説、コメントを書いているが、切り口がワンパターン化しており、以前ほど各テーマに対し、熱心に、愛情を持って書けなくなってしまった。
二番目としては、発信が首都圏であり、ライブ感のある情報を伝えることができないという理由。情報収集はメディア以外からも含め、アンテナを広げているが、どうしても無理が出てしまう。現地に居ないとわからないことがある。
三番目としては、こちらが伝えたい情報とRSSなどに登録している読者の”嗜好”にどうもズレがあるということ。硬い観光産業を語る記事よりは、乗り物ネタなどの方が興味があるようだ。特にバスやフェリーなどの乗り物オタク系記事の時は反応が強い。勿論、そういう話は大好きだし、今後も紹介してゆきたいが、それがメインのサイトではない。夕張や釧路など地方衰退記事などに反応が多いのは嬉しいことだが。
また、北海道以外の観光動向を伝えたい時もあるし、全く観光と関係ない趣味の話や日常を語りたい時もある。できる限り、私的なことは避けてきたつもりだが、そのバランスが難しい。そのために別ブログを作ったが、更新できない状態。メルマガも半年以上発行できていない。
仕事とこのサイトがつながればいいのだが、最近は北海道関連の仕事(観光や交通・ナビ関連を中心にしたwebの企画制作やマーケティングなど)が少ないことも最近のパワーダウンに影響している。このままでは北海道に対する愛情や情熱も薄らいでいきそう。
サイト開設3年を迎え、どういう方向性でこれから進めて行けばいいのか迷っているのが正直なところです。当面(今年いっぱい?)はこれまでと同じスタイルで行く予定ですが、動きながら改善や大幅リニューアルを含めて考えて行くつもりです。
リピーターの皆さまのご意見や提案なども是非参考にしたいと思います。よろしくお願い致します。
