観客動員に苦しむスキージャンプ、旅行ツアーに取り込んだら
2008年02月18日掲 載
17日は長野五輪で日の丸飛行隊が金メダルを取ってからちょうど10年が経った日であった。
10年後、大倉山では全日本選手権とNHK杯を兼ねた大会が行なわれていた。最近、ジャンプ競技の全国中継が減ったが、夕方からNHKが放映。W杯組から外れた湯本史寿(東京美装)が2本とも130メートル以上の飛躍で初優勝を果たした。
観客席は閑散としていた。雪模様とはいえ千人にも満たないであろう。10年前は5万人以上の大観衆がいた。五輪と全日本選手権を比較すること自体無理があるが、先日の大倉山W杯2連戦も不入りであった。欧州と比較すると何でこんなに観客が少ないのだろうかとため息が出てしまう。
この大倉山は札幌市の重要な観光スポットである。管理人は昨年秋、外国人が主に利用する多言語対応の観光バスに乗ってみたが、たまたまサマージャンプの練習をしており、外国人観光客ははじめてみる「鳥人」に驚きの声を上げていた。訪れた市内観光地の中で大倉山がNO.1だと横のシンガポール人が話してくれた。
年間を通じて多くの観光客が訪れる大倉山だが、ジャンプ大会の観客動員と結びつかない。何故だろうか?まず、告知不足がある。地下鉄の駅などに日程が書いてある程度でポスターもあまり見かけない。管理人は札幌市スキー連盟のHPで調べるが情報不足である。
観光客をターゲットに、パンフレットの充実やホテルでの案内、また、個人型ツアーのオプションとしてジャンプ観戦を組み込むことはできないであろうか。冬季観光の選択肢が増えている今、ジャンプ観戦は十分に魅力がある「旅行商品」といえる。
また、アクセスの問題がある。中心街から近いのにも関わらず、直通の交通手段がない。円山公園駅が最寄だが、W杯など大きな大会以外はシャトルバスの運行はない。需要がないから仕方ないがこれでは悪循環である。
スキーバスのように各ホテルで観客をピックアップして観光を兼ねて大倉山へ向かうことはできないか。規制があるなら中央バスの定期観光コースに組入れ、大会開催日のみ運行することも可能なはずだ。
現在、観客を増やそうとスタンプラリーなども実施しているが、札幌市民対象では限界がある。ジャンプ競技観戦=観光という発想で取組めば、口コミで外国人観光客を含めて動員アップが期待できると思う。
1998年の長野五輪団体優勝メンバー4人のうち、船木、岡部は今だ現役。斉藤は雪印監督になり、昨日久しぶりにテレビに出た。そして原田は解説の常連となった。日本チームが強ければ、今の1.5倍から2倍は黙ってもいても入るはずだが。
いつまで我慢が続くか。
激動の1968年、「交通公社時刻表」で北海道を旅する
2008年02月16日掲 載
超多層列車急行「なよろ」・「かむい」・「るもい」・「ましけ」・「そらち」の時刻表 画面をクリックすれば拡大します
旭川発旭川行き急行「旭川」!!
先日のブログで「JTB北海道時刻表」が3月で休刊になることを書いた。予想外に多くの反響があったが、手持ちの道内時刻表ではもっとも古い1968年7月号の「交通公社北海道時刻表」を久しぶりにめくってみた。1968年といえば国鉄に限らず、路線バスを含め公共交通がもっとも華やかであった頃だ。
当時、管理人は6才であったが、68年の夏休みは蔵王と諏訪・蓼科へ行った。山形までは特急「つばさ」に乗車、勿論、新幹線ではなく気動車で5時間近くかかったが、憧れの長距離特急に乗れて嬉しかった。山形市内と蔵王温泉に泊り、当時定番コースであった蔵王エコーラインの定期観光バスに乗り宮城へ。仙台からは指定券が取れず、冷房のない旧型客車の臨時急行で帰ってきた記憶がある。
諏訪は祖父母の出身地なので毎年行っていたが、出発の朝、立川米軍基地から輸送される燃料貨物車が学生(過激派)の襲撃に遭い、線路は火の海。中央線は半日以上止まり、臨時の気動車急行で行った覚えがある。当時の新宿にはフーテンやヒッピーがいたことも微かに記憶している。同じ68年に「新宿騒乱」があった日は、小学校が新宿に近かったため、午前で学校が休校になり、親が迎えに来たことがあった。毎日がエキサイティングな1968年である。
さて、「交通公社北海道時刻表」を読むと面白い列車に出くわす。なかでも5つの急行を各地で連結、切り離す超・多層列車を発見した。その列車は、名寄・旭川・増毛・富良野発留萌・札幌・小樽行き急行列車(812D)で「なよろ」、「かむい」、「るもい」、「ましけ」、「そらち」として走っている。
まず、名寄5:48に出発する札幌行き急行「なよろ3号」は、旭川で7:30発小樽行きの「かむい1号」と留萌行きの「るもい1号」を併結する。途中、深川で「るもい1号」を切り離す。さらに深川では増毛から来た「ましけ」を連結する。同一列車で上り下りの留萌線列車の切り離し&連結の離れ業だ。さらに滝川では富良野7:17発の「そらち1号」を併結して札幌には9:49着。ここで「なよろ」と「ましけ」はお役御免となり、「かむい」&「そらち」が小樽へ向かい10:28分着。「なよろ3号」は夏季だけの運転のようである。
まるでパズルを解くような難解複雑なダイヤである。1等車も旭川-札幌間の「かむい」に連結しているが、翌69年からは何故か手稲まで1等車(この年からグリーン車に)を連結している。意味不明。
北海道にはこういった多層列車が国鉄末期まであったが、5列車というのは記憶にない。
もうひとつ面白い列車として、旭川発旭川行き急行「旭川」というものがある。旭川から石北本線で遠軽、名寄本線に入り、名寄から宗谷本線に入り、旭川に戻るもので上下1本ずつ運転されていた。このような循環型列車は、当時全国各地にあり、北海道では札幌発で倶知安から胆振線に入り、室蘭・千歳線経由で札幌へ戻る「いぶり」もそうであった。
また、急行「大平原」も面白い。士幌線の糠平と広尾線の広尾を結ぶもので途中、帯広を経由する。十勝バスではない。ネーミングもそのものズバリだし、きっとカニ族が沢山乗っていたのであろう。「大平原」は、広尾から国鉄バスで様似へ、さらに日高線の急行「えりも」で札幌へ行く周遊指定券も発売されている。
1968年7月の北海道旅行、羨ましい気がする。
帯広・藤丸が百貨店がない釧路から送迎 地方都市における百貨店の必要性
2008年02月15日掲 載
帯広市の百貨店藤丸は3月1日、釧路発着の無料送迎バスを初めて運行する。丸井今井釧路店の閉店後釧路地域からの買い物客が増加しており、バス運行でいっそうの顧客開拓と商圏拡大を目指す。(2/15付け道新より 道新HP記事は2週間で削除されるのでリンクボタンは貼りません)
丸井今井釧路店閉店後、釧路方面からの来客が増え、同方面に限ると会員カードが40%増、売上げが約1.8倍になったという。30,40代が中心だが、50,60代といった”交通弱者”と思われる人たちの利用がまだ少なく、白糠、音別などでも客を拾う直通専用バスの運転に踏み切ったようだ。
帯広-釧路間は120キロ近くあり、いかにも北海道らしいスケールが大きい話だが、この手の話はあまり聞いたことがない。帯広の藤丸は、地方百貨店が苦戦する中、いろいろな試みをして頑張っているデパートで、少しずつだが帯広中心街を歩く人が増えてきているらしい。
これに対し、釧路は本ブログで何度も触れているが、2年前の丸井今井閉店以来、新しいショッピングモールも決まらず、百貨店空白地帯となっている。特に中高年層以上の利用が多かったため、それに代わるものがなく、不便を強いられている。このあたりの潜在顧客を十勝圏の藤丸が引っ張りこもうという戦略であろう。
釧路に限らず、北見市も「北見東急」が閉店。三セクのモールとして再スタートをしたが、すでに百貨店ではない。
釧路市民に聞くと、高くてものがないデパートよりも、郊外店の大型モールに行くほうが遥かに便利なので百貨店は必要ないという意見も多い。確かに日常生活においてはそうかもしれないが、果たしてそれでいいのであろうか?
話が変わるが、管理人が子供の頃、百貨店に連れて行ってもらう時は、普段着ではなく、よそ行きの服に着替えてきなさいと言われたものだ。銀座のデパートへ親や祖父母のお供で買い物へ行く-やはり、それは特別なことであった。ホテルやレストランへ食事へ行くといったら、子供ながら身が引き締まった思いだった。
今の世の中、そういうことはあるであろうか?クルマ社会なのでどこへ行っても服装は同じ。地方都市なら食事も駐車場付きの郊外店なのでお洒落をする場所も必要もない。以前、釧路の蕎麦屋で同じユニクロ製ダッフルコートを着た女性が4人いて驚いたことがあったが、これはお洒落ではなく、単なる防寒「国民服」だと思った。
たとえば、札幌の三越や丸井今井へブランドものを買いにいったとする。駐車場にワンボックスカーを停め、ジャージの上下とスニーカーで入店をする。決して珍しい光景ではないが、安売りの郊外店舗に行くのと同じ井手たちで店内を闊歩する。TPOなどという言葉も死語になっているが、いつもクルマで移動し、服装も構わなくなり、日常(大型店舗など)と非日常(百貨店でちょっといいものを買うなど)の区別もなく消費の概念は同じだ。100円ショップで生活用品を買うのも、15万円のブランドバックを買うのも、店舗と物を見なければわからない。
そういう意味ではアウトレットなどはその最たるものかもしれない。かつて百貨店はよそゆきの場所であり、買い物の桧舞台であった。また、買い物以外でも食事から美術展鑑賞、子供の遊戯まで家族で一日過せるレジャーセンターであった。その機能は次第に分散化され、今では百貨から三十貨ぐらいまでに減ったが、文化的ランドマークとしての位置付けは変わらない。
最近の地方百貨店の衰退と郊外型大型店舗の増殖は、その「けじめ」を無くして、先ほどのユニクロ=国民服ではないが、貧しい画一的な社会に見えて仕方ない。
以前も書いたが、百貨店は地域の「核」にあり、文化が集う場所であった。地方百貨店が消えるのと引換えに郊外には大型モールが進出する。これは世界的な傾向でグローバリゼーションの一環だが、地方を本当に強くするためには、郊外と中心街の差別化、棲み分けが絶対に必要である。たとえば郊外では日用品やファミレス。中心街では小洒落たものがあるデパートやカジュアルデザイナーブランド、映画館、カフェなど上手く使い分けできれば人口15万人都市クラスの百貨店復活は可能だと思うが。
余談だが北海道の地方都市は喫茶店が少なすぎる。そして、すごい勢いで廃業しているのだ。
話がだいぶ逸れたが藤丸の試みに注目をする。
「さっぽろ雪まつり」道外日本人観光客の減少は危険サインだ
2008年02月14日掲 載
恒例の「さっぽろ雪まつり」が終了した。好天に恵まれたこともあり、昨年より5万8千人多い215万9千人を記録した。 また、東アジアの人たちが長期休暇を取る「旧正月」と雪まつりの日程が3年ぶりに重なったこともあり、海外からの見物客が大幅に増えた。
また、JR北海道と航空各社は12日、さっぽろ雪まつり期間中の輸送実績を発表している。JRは道央圏の利用が前年同期を上回り、札幌近郊からの来場が復調傾向だったのに対し、空の便は多くの社が前年並みか微減と伸び悩んだ。
道内空港発着便は、全日空グループが同3.9%減の17万6千人、JALグループが4.4%減の17万4千人。新千歳-羽田線はスカイマークが2.5%減の1万6900人だったが、エア・ドゥは4%増の2万800人と伸ばした。
今年の傾向としては①外国人観光客が増えた②道内特に近郊からの来場者が多かった③航空機利用が減った⇒道外からの観光客が減ったということである。
最近、航空機の機材を小型化していることも関係しているかもしれないが、この時期は大型機材への変更や増便もある時だ。結論でいえば、やはり雪祭りに来る観光客が減っているということだ。
首都圏でも旅行会社の店頭に並ぶ雪祭り関連のパンフレットが年々減っている。ピークの頃の半分にもいっていない。以前は、「宿や飛行機の予約はお早めに」ということで、煽ったものだが、最近はそここそ混んではいるが、取れないことはない。ホテルもキャンセルが出るせいか直前になるとかなり値を落としている。
その代わり、「旭川冬まつり」が動物園効果もあり、はじめて100万人を突破した。「小樽雪あかりの路」も浸透してきている。道内各地で冬祭りが同時期に開催されるので、分散すること自体はいいことだが、札幌に関しては「高い」、「混む」、「つまらない」、「一度で十分」、「寒い」などの先入観が出来上がってしまっていてイメージ回復が必要である。
「ホワイト・イルミネーション」もそうだが、毎年同じことの繰り返し。鑑賞型から市内各地で市民&観光客が参加できるオール札幌のイベントにした方が盛り上がると思うが。毎年、終了翌日に取り壊される雪像を見るたびに大通公園でゴジラ(重機)が暴れているようで、複雑な思いがする。1区画でもいいので3月まで何か残せないものであろうか。
新得町・オソウシ温泉が売りに出されることに 目立つ小規模一軒宿の休業
2008年02月13日掲 載
オソウシ温泉露天と内湯 露天にはPH度の高さが能書きされている
*写真提供 観光まるごと北海道主宰 公共の宿評論家 K氏より寄贈
北海道新得町にあるオソウシ温泉鹿乃湯荘が売りに出ていると「温泉ニュースブログ」が伝えている。価格は1500万円。土地権利は普通賃借権(10年間)で所有権ではない。
オソウシ温泉は鹿乃湯荘のみの一軒宿、新得からトムラウシ温泉に行く途中にある。管理人はだいぶ昔、1991年頃に訪ねたことがある。クマ打ち名人の主人がいたが、相当な齢になっているはずなので後継者がいなかったのか。
温泉宿の裏のマンホールから大量の源泉が溢れていた記憶がある。入浴した当時は温泉成分には興味(知識)がなかったが、PH値は10・06。道内随一の強アルカリ性で、高砂親方が好きな「お肌スベスベ」の湯である。
源泉温度が28度と低いため、内風呂は加温循環しているが、露天は源泉かけ流しだ。低温の源泉はお気入りで、長い時間入っているとジワジワと効いてきて温まる。是非、もう一度、入浴したいものだ。
トムラウシに行く途中にあり、そこそこの観光需要も見込める場所だ。借地権だが、1500万円で温泉旅館のオーナーになれるので悪い話ではない。
それにしても北海道の場合、小規模の一軒宿は苦戦しているところが多い。十勝だけでも留真温泉やナイタイ高原亀の子荘なども休業や廃止になっている。どこも素朴な、家族的な宿が多いが、通年を通じての集客が難しいのであろうか。
また、小規模の一軒宿は設備面で見劣りをする。若い女性客が泊るのに最低限の設備(部屋トイレや洗浄機、個室洗面台など)が整っていないところが殆んどだ。温泉・秘湯ファンが多いとはいえよほど温泉自体に魅力がないとリピータづくりは難しい。
【参考】不動産総合情報サイトat home webのオソウシ温泉の売却広告
釧路にビジネスホテル急増、釧路ホテル事情とお気に入り宿
2008年02月11日掲 載
この数年、釧路にホテルが増えた。選択に困ってしまうほどであり、ホテルが少なかった以前では考えられないことだ。
20年ほど前まで釧路市内中心部にホテルが少なく、地場のホテルや旅館がまだ幅を利かせていた。当時、駅前に釧路東急イン、釧路東映ホテル(現:釧路ロイヤルイン)、今のプリンスのあたりにオリエンタルホテル、幣舞橋周辺には、最高級であった釧路パシフィックホテルやMOOとほぼ同じ頃に開業した釧路キャッスルホテルなどがあった。
90年代に入ると、ラムサール条約会議開催などのコンベンション需要や観光集客を見込んで全日空ホテル、プリンスホテルなどの大手資本が進出した。
その後、暫くなりを潜めていたが、この2,3年、今度はビジネスホテル開業ラッシュとなった。十字街には「東横イン」がまず開業、その後、駅近くに市内初の温泉付きビジネスホテル「スーパーホテル釧路」、「ホテルルートイン釧路」(大浴場あり)などが誕生した。そして昨年5月には久しぶりの本格派ホテル「ホテルラビスタ釧路川」がオープンしている。
また、改装や居抜きで新たにオープンしたホテルも目立つ。ホテル1-2-3釧路(旧ホテルノーススティ)駅前ホテルバルーデ釧路(旧駅前ホテルアダチ)、釧路駅前ホテルオーシャン(旧ホテルサンルート釧路?)、ラスティングホテルなど新顔も目立つ。
消えたホテルもあり、老舗のパシフィックホテルや東映ホテルもなくなった。少し外れにあったホテルレイトンも今はない。これほどホテル地図が様変わりした都市は珍しいであろう。
かつての老舗が消え、全日空やプリンスのブランドチェーンホテルが登場、しかし、宿泊特化型ホテルの急激な進出(最初は東映後にできたロイヤルイン)があり、釧路駅前周辺はホテル戦争である。
管理人は釧路に何十回と行っているがお気入りホテルをいくつか挙げよう。
客室は狭いが全体的に高水準な「釧路ロイヤルイン」、客室・展望・食事とも秀逸な「ホテルラビタ釧路川」、夜景がきれいな「釧路キャスルホテル」、地場ホテルで頑張っている「ホテルセンチュリー釧路」、道内ではおなじみの「ホテルパコ釧路」(近々に温泉完成)、海側客室からの景色だけなら「全日空ホテル」といったところか。「東急イン」は「シャングリラ」の食事が美味しかったが最近はどうであろうか。長期滞在ならMOO前の「みなと21」などがオススメである。
駅前に新しくできた「スーパーホテル」、「ルートイン」、「オーシャン」にはまだ泊まっていない。
釧路は企業の支店がなくなり、札幌や本州からの出張が増えたことでホテルがこの数年で急増した。中心街の閑散化が進むにつれてビジネスホテルが増えるという皮肉な結果だ。同様な傾向は北見市や苫小牧市などでもみられる。
また、全国へチェーン展開をしているホテルが占めるようになり、地場のホテルは苦戦をしている。宿泊需要が増えても地元にお金が落ちなければ地域の再生にはつながらない。繁華街がふたたび賑わう日が来るのであろうか。
沿岸バス、今度は路線バス乗り継ぎ札幌-豊富ツアーを開催
2008年02月09日掲 載
沿岸バス(羽幌町)は22日から2泊3日の日程で、地元住民が生活の足として利用している路線バスで冬の道北を巡るバスツアーを初めて企画した。豊富町と留萌市を結ぶ同社幹線「豊富留萌線」を中心に、札幌-留萌間の都市間バス、豊富町内を走るサロベツ線など、行程の大半を同社の路線バスで移動し、豊富町の豊富温泉で2泊するというもの。
沿岸バスはこれまでも旧国鉄羽幌線や未完の名羽線めぐりや羽幌炭鉱探訪ツアーなどを実施。2ちゃんねるなどでも話題になっていた。「チョロQ」もヒット商品になったが、車内に”有能なプランナー”がいるらしい。
今回は真冬のツアーだが、鉄道・バスファン向けの内容として、羽幌営業所車庫での車両撮影、旧羽幌線痕見学などがあり、その他にも、豊富町牛乳公社工場の見学、厳寒のサロベツ原野散策、集団離農で駅前から民家が消えた雄信内(おのっぷない)駅探索、アザラシがいる抜海港などにも立ち寄るなど変化ある構成となっている。乗り物だけではなく、沿岸バス路線エリアの観光資源を活用した体験型のツアーになっている。 代金は札幌発着が税込み3万四4円、留萌発着は3万円。
実は管理人、1992年5月にほぼ同じコースで乗り継ぎ路線バス旅行をしている。札幌から留萌までは、沿岸バスではなく、今は廃止になった雄冬岬行きの北海道中央バス、ここで沿岸バスへ乗り継ぎ、雄冬-増毛(2泊)-留萌-遠別(泊)-幌延-豊富と3泊4日の路線バスツアーを実施している。稚内まで路線バスで行きたかったが、豊富以北はバスがなく、鉄道で向かったものだ。
今思い出すと、いろいろな出会いがあり楽しい旅であった。当初、1泊の予定であった増毛では、暑寒別岳の山開きと重なり、宿(暑寒別YH)の方と山菜取りに出かけ、翌日は小学校に招かれた。遠別で泊った旭温泉は意外にもお湯がよく気に入り、その後2度も泊まりに行っている。また、沿岸バス遠別営業所の女性事務員は滅多にお目にかかれないような超・モデル級美女であったことなど・・・なかなか路線バスの旅などできるものではないが、またいつかやってみたいと思う。
■「路線バスで行く豊富温泉ツアー」資料PDF
■沿岸バスに関する過去ログ1「沿岸バスにみた地方交通事業者の新たな動きと流れ」
■過去ログ2「旧羽幌炭鉱の産業遺産ツアーを沿岸バスが実施」
札幌から雄冬までは中央バスの特急 運転手さんと岬でお茶をした もう定年でしょう
雄冬からは沿岸バス 増毛ターミナルにて
留萌から豊富までの沿岸バス 遠別ターミナルにて
豊富からは宗谷本線で
幌延で農家の作業小屋に使われていた廃バス
外資色からの脱却?古牧温泉「古牧グランドホテル」から「青森屋」に名称変更
2008年02月07日掲 載
八戸からJR特急「スーパー白鳥」に乗り、三沢駅手前にさしかかると大きな城砦のような敷地があらわれ1キロぐらいは線路に沿って続く。
そこは、2004年に経営破たんをしてゴールドマン・サックス傘下で再建をすすめる古牧温泉「古牧グランドホテル」の巨大施設の一部であるが、2008年4月から「古牧温泉青森屋」に名称を変更することになった。
古牧温泉は第一グランドホテルから第五グランドホテルまである巨大温泉リゾートである。芦別の「北の京」や「五重の塔」はここを真似たのではないかと思ってしまうが、かつては業界紙や大手旅行会社のランキングで1位になっていた。管理人はなぜ古牧温泉が1位か首をひねったものだが、これは利用者の目ではなく、プロの受けがいい(旅行会社に貢献している)ということだろう。
その後、経営拡大路線に転じて、バブル期の奥入瀬渓流温泉のホテル建設によって負債を抱え、経営努力にもかかわらず、2004年11月経営破綻。ゴールドマン・サックス主導で経営再建が行われることが決まった。
現在はアルファトマムなどを経営する星野リゾートが古牧温泉と奥入瀬渓流グランドホテルの運営受託をしている。
名称変更には、全国の多くの老舗温泉ホテル・旅館が外資ファンドの傘下に入ったが、その代表格である古牧温泉とグランドホテルのイメージを少しでもよくして、外資色を薄める狙いもあるのであろう。
昨年、NHKの朝ドラで放映された「どんと晴れ」は、盛岡の老舗旅館が舞台であったが、クライマックスは外資ファンドに乗っ取られるかどうかのシーンであった。管理人はドラマを見ていて思わず古牧温泉を想像してしまった。最後は株を取り戻すが、温泉旅館=日本文化の象徴に対して外資ファンドは完全な悪役の構図であった。このあたりのイメージ戦略にも古牧は苦労をしているのであろう。
あまり知られていないが、三八上北地方は湯量豊富でいい温泉が多い。東北本線に乗るとこのあたりの駅前には温泉銭湯も多い隠れた湯処だ。
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リンクサイト「観光まるごと北海道」を運営するK氏から、古牧温泉創業者が2003年に列車にはねられ亡くなったことも破綻原因のひとつという情報をいただきました。ありがとうございます。
「JTB北海道時刻表」が休刊、旅の友がまたひとつ減る
2008年02月06日掲 載
上から「交通公社北海道時刻表」(’68.7)・「JR北海道ダイヤ」(’89.10)・「道内時刻表」(’93.4)
JTB北海道発行の「北海道時刻表」が、3月25日発売の4月号を最後に休刊することになった。「北海道時刻表」の創刊は1944年頃と古く、横長のデザインが戦前の時刻表のようで、なかなか味わいがあった。部数は公称3万部だが最近は落ちていたようだ。
北海道は”時刻表天国”でこの他にも「道内時刻表」(交通新聞社)、2004年までは「北海道ダイヤ時刻表」(JR北海道エージェンシー)があり、暫く3誌体制が続いてた。道内のきっぷ売り場には、JR発足前までは「JTB北海道時刻表」、JR化後は「北海道ダイヤ」が置いてあった。しかし、「北海道ダイヤ」と「道内時刻表」は、共にJR資本の会社が発売しているので、そのあたり整理する意味もあったのか「北海道ダイヤ」は廃刊となっている。「道内時刻表」と「北海道ダイヤ」はサイズも同じで、興味がない人は区別がつかなかったであろう。
道内に多くの鉄路や路線バス網もあった公共交通全盛の時代は、紙面もダイヤでぎっしりであったが、現在では「隙間」を埋めるのにかなり苦労しているような編集だ。以前は多かったホテル・旅館の広告も激減している(これは大型時刻表にもいえることだが)。
先日、九州で地元の時刻表を探したが、交通新聞社の1冊のみであり(西鉄は除く)、いかに北海道が時刻表天国であったか伺える。それだけ北海道は需要があり、公共交通を利用して旅する人が多かった頃の名残であろう。小型サイズの時刻表にはワイド周遊券の旅が似合う。
管理人の本棚には1974年頃からの北海道時刻表が処分しないで何十冊とある。いちばん多いのは「北海道ダイヤ」、次が「「JTB北海道」、「道内時刻表」の順なので売り上げと逆行していたかもしれない。これは東京でも買える「道内時刻表」ではなく、道内発売限定の「JTB」と「ダイヤ」を意識的に選んでいた結果であろう。特にJTB版は紙面がワイドで、ダイヤが見やすく、実用的であった。
公共交通の数が減り、時刻表を片手に旅をする人も減っている。単純なルート検索やダイヤ情報は、PCや携帯のナビサービスでできてしまうが、経路案内ナビは、多面階層的な組み立てをする周遊旅行や遊びごころを加えることができないので、北海道の旅の友は今でも時刻表である。
最後に残った「道内時刻表」には頑張ってもらいたい。
1968年7月の道内交通地図。国鉄ローカル線の多さもさることながら寿都鉄道、定山渓鉄道、雄別鉄道、羽幌炭鉱鉄道などの私鉄も健在。路線バスのネットワークもすごい
”大雪の首都圏” 昔東京周辺にも天然スキー場があった
2008年02月04日掲 載
北海道の人は昨日からの首都圏の”大雪”ニュースを見て笑っているのではないであろうか。僅か、数センチの積雪で今朝の首都圏はパニックとなった。
交通事故は続出、凍結した多摩川の橋ではスリップした車が欄干を越えて川に転落した(気の毒に運転手は亡くなった)。また、すってんコロリンの怪我人も千人に達した。
管理人の自宅は山の中で標高が高いせいもあり、庭には16センチの雪が積もった。今日はチェーンがないとマチまで降りれない状況だったが、最寄のJR線が凍結による車両故障でストップ、高速道路も午後まで通行止めだったので、陸の孤島化してしまった。
最近は積もる機会が減った首都圏だが、子供の頃はかまくら作りやスキーができるほど降ったものだ。
そんな首都圏にもスキー場はある。東京近郊でいえば古くからあるカキ氷ゲレンデの狭山や今は無くなった船橋のザウスが有名だがどちらも室内ゲレンデである。屋外の人工雪ゲレンデとしては、以前、日本ランドといった「Yeti」(静岡県御殿場市)、「天神山リゾート」、「カムイ御坂」(ともに山梨県)など富士山周辺に固まっている。
以前はこの富士山エリアに天然雪スキー場が何ヶ所かあった。管理人が実際に行ったのは、富士山新二合目にあり、すぐ傍が自衛隊の演習地であった御殿場市営スキー場である。今回の雪のような南岸を低気圧が通過した数日間程度しか滑れない慢性的雪不足スキー場であったが、800メートル位のリフトがあり、自宅からクルマで2時間ともっとも近いスキー場であった。御殿場市営スキー場は、10年以上前に大崩落が起き、そのまま廃業した。
滑ったことはないが、御殿場から山中湖へ向かう県境、籠坂には籠坂峠スキー場があった。山中湖にはリフトの廃墟を見たことがある。古い時刻表を見ると昭和40年過ぎまでスキー&スケート用の国鉄きっぷが売り出されているのでやはりスキー場があったものだと思われる(ホテルマウント富士がある付近か)。
また、箱根では人工雪だが、駒ケ岳の頂上や箱根園で西武が小規模なゲレンデをつくっていた。20年ほど前に駒ケ岳山頂のスキー場へ行ったことがあるが、もともとは頂上から箱根園(芦ノ湖湖畔)まで人工雪でロングダウンヒルができるスキー場を昭和30年代に構想していたらしい。いかにも堤氏的な発想だ。
これはまったく情報がないのだが、神奈川県のヤビツ峠(丹沢)というところにリフト付きの天然雪スキー場があったというのだ。どなたかご存知の方はいれば知らせてほしい。
以前は東京から近場でスキー場があった。しかし、次第に雪が降らなくなり、交通網も整理されて遠出をするようになった為、存在意義を失った。やがて、首都圏近郊にはスノーマシンを兼ね備えた立派なスキー場(ハンターマウンテン塩原や那須ジーンズなど)ができ、最後はザウスのようなものまで登場した。
この10数年のスノービジネス不況で、全国のスキー場の2割程度が消えている。鉄道の廃線探訪もいいが、廃スキー場&廃ゴンドラリフトも管理人にとって何とも惹かれる世界である。
「五勝手屋羊羹」が販売を再開、函館・道南土産菓子考
2008年02月03日掲 載
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五勝手家本舗の丸缶ようかん
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よく似た熊石羊羹(乙部町にも似たものがある。檜山地方は丸缶羊羹が多い?)
昨年8月、商品の一部にカビが見つかり、製造販売を中止したいた江差町の五勝手屋本舗が約五ヶ月ぶりに営業を再開した。五勝手家本舗は細い筒に羊羹が入った「丸缶ようかん」で有名だが、「白い恋人」ほどの全国区ではないので、ローカルニュースで止まっていた。
実は管理人もこの「事件」はうる覚えで、すでに忘れていた。こう立て続けに食品絡みの偽装や事故が起きるとマヒをしてくる。
五勝手家本舗の名物である丸缶ようかん、実は管理人のお気に入りである。筒から押し出して、出てきた部分を糸で切って食べるというユニークなパッケージだが、最初はどうやって開けて、食べるのか頭を捻ってしまう。
よく函館・道南へ行った際は、この羊羹を土産に買って配る。最初の反応は、北海道みやげなのでロイズや六花亭あたりの洋菓子を予想してくるが、どう見ても北海道のイメージとはほど遠い和風で、レトロな筒型パッケージを見て、一瞬、間ができる。しかし、意外に可愛い形と、開封方法や食べ方などで盛り上がるのだ。
また、管理人自身も自分の分を買って帰る。羊羹は日本酒とけっこう合い、つまみにもなるのだ。
それにしても函館・道南へ行くと菓子土産に迷う。海産物はあっても地場の菓子が本当に少ないのだ。空港や駅の土産物店へ行っても”全道ブランド”のものばかりで地域を代表するような銘菓に巡り合えない。大昔なら「トラピストクッキー」が北海道土産の定番であったが最近では隅に置かれている(かなりクセになる味だが)。やはり、御三家(白い恋人・ロイズホワイトC・マルセー)がいまだにスペースを取っている。
函館・道南は歴史があるところなので古いお菓子屋さんはけっこうある。「千秋庵」ももともとは函館だ。最近では、スナッフルズの「チーズオムレット」が人気となり、いつのまにか函館を代表する土産菓子になった。これなどまさに口コミ・メディア先行型である。地元でも、函館らしい特産品を送り出そうと、シンボルのイカやがごめ昆布などを用いた菓子をつくり、産学官で頑張ってはいるが。
しかし、どこか垢抜けない。どうしてだろうか。函館へ行く度に新しい菓子が並んでおり、企画開発に努力していることが商品を見ただけで伺えるが、”スウィーツ”というイメージからは離れている。函館は、最初に西洋文化に触れたマチなのに十勝・帯広の菓子がもつようなスマートさが全体にない。
やはり、道南地域がもつ文化(北海道でありながら北海道でない土着性のようなもの)が創造力を弱めているような気がする。それはDNAに近いレベルなので修復が難しいかもしれないが、その分、「五勝手屋羊羹」のような伝統銘菓がある。江差町は北前船の寄港地であった歴史があるところ。桧山は地味なところだが、古くていいものが残っている地域だ。
ヒット商品は簡単につくれないが、伝統銘菓をブランド化して、更に広めることは可能だ。、「五勝手屋羊羹」にはそういう存在になって暖簾を守ってもらいたい。地味だが、道南らしい土産物だと思う。
いかがであろうか。
国交省、「滞在力」と「外国人で賑わう街」を発表
国交省は昨年、「観光立国推進基本計画」を閣議決定したが、先月29日、滞在型観光と外国人誘致の2面それぞれについて取り組みが進んでいる地域を「滞在力のあるまち」と「外国人で賑わうまち」として、そのモデル69カ所を発表した。
以下、北海道から選定された地域を記載する。
■滞在力のあるまち
函館
阿寒湖温泉
帯広・十勝
知床・網走・東オホーツク
富良野・美瑛
■外国人で賑わうまち
札幌
小樽
登別温泉
ニセコ
洞爺湖
これを見て「外国人で賑わうまち」は、外国人入込数が多い観光地なのでわかりやすいが、札幌、ニセコ、登別など地域によって観光形態が異なり、一概に数だけで測っていいのか疑問はある。また、「滞在力のあるまち」に関しては、滞在型観光に力を入れているところが選定されているが、現状では施策レベルであり、”将来への希望”といったところであろう。
いかにもお役所的な選定だが、滞在力のあるまちと外国人で賑わうまちが同一になるのが北海道観光の未来である。
【参考】国交省プレスリリース
「根室夢幻行」-流氷を描く画家とノサップ岬
2008年02月02日掲 載
今年は久しぶりに流氷が早い時期から訪れた。さぞやオホーツクの観光地は賑わっていることであろう。
同じ流氷が来るにも関わらず、ひっそりとしているのが根室だ。根室の流氷は遅いが、今年は風連湖付近まで達している。
管理人にとって根室は忘れられない地である。20年近く前、体調を崩し数ヶ月入院、退院後、待望の北海道へ旅に出たが最終ゴールが根室であった。たまたま宿泊した照月旅館は親切な宿で、凹んでいた当時の管理人にとって心底安らげる場所であった。照月さんとは今でも親しく、家族ぐるみのおつきあいをさせていただいている。
その時、宿から「根室夢幻行」という冊子を貰った。観光ガイドだが、根室の歴史やカルチャーなどかなり深く掘り下げ、自治体の観光パンフとはひと味違う内容で、読み応えがあった。
その中で「流氷」にまつわる話が紹介されている。目を惹いたのが、流氷をテーマにした油絵を書いている根室在住の画家・飯沢紗千子さんの作品であった。根室半島北海岸(オホーツク側)を埋め尽くす流氷、アンダーな色使いながらハッとするような鮮やかな原色を混ぜる。それはまるで閉ざされた世界から、かすかな春の息吹をあらわしているようであった。ロシアや北欧の画家が描きそうな世界でもある。
管理人は飯沢画伯の作品が気に入り、紹介をしていただいた。聞くと歯科医の奥様で、小学校でも絵を教えているらしい。作品の写真集を送っていただいたが、流氷とともに小さな蝶や昆虫が絵に出てくる。こんな寒い時期にいる訳ないと思い、「虫は象徴的意味ですか?」と訊くと、実際に3月後半になるといるということで実在だった。
飯沢画伯の作品には、氷で閉ざされた春国岱や番屋の廃墟、ノッカマップ岬灯台といったところが舞台になっている。
管理人は、その後、同じ場所に真冬も含め、何度も出かけてが、恐ろしく絵になる世界なのである。管理人は写真撮影だが、飯沢画伯が何でそこに惹き付けられたのかわかった気がした。
その後、都内でグループ展を見させていただいたが、この10年以上接点がなくなった。コピーであるが、彼女の作品集も引越しの際にどこかへやってしまった。少しお金ができたら飯沢画伯の「流氷」を購入し、飾りたいと思う。そうすれば原点であった「根室」をいつも近くで接することができる。
以前も書いたがノサップ岬を太平洋側へ流れる流氷の姿と音は神秘的だ。山崎ハコの歌に「流氷岬」という曲がある。マイナーなので知られていないが、管理人は北原ミレイが唄っているもの(タイトルはノサップ岬)を持っている。山崎ハコのノサップは隠れたな名曲である。
♪北の白い灯台に 一人たたずむ女がいて
漁に出たまま帰ってこないあの人の船を一人待つ納沙布。
夢でも逢えたことに喜ぶ女は、霧に濡れて
も納沙布に飛んで行きたいと願う。
話が山崎ハコに飛んだが、飯沢画伯、元気にされているであろうか。
管理人お気に入り ノッカマップ岬灯台 70年代の廃車が絵になる
朝日1面で紹介された北海道の地方出版、亜璃西社とあざらし君
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現在、朝日新聞夕刊1面の連載「ニッポン人脈記」で、先週から「わが町で本を出す」と題して、地方出版を取上げている。
昨日1日は北海道特集であった。その中には、このブログで何度も登場している「北海道いい旅研究室」の舘浦海豹(通称:あざらし)も写真入りで出ている。噂通りのなかなかの男前だ。最近、シリーズの10号も出ているのでそのレビューも近々に書きたいと思う。
もうひとつ紹介されたのは、「亜璃西社(あいすしゃ)」だ。温泉、アウトドア、グルメなどのガイドものから硬派なノンフィクションまで幅広く出版している。もともとは編集プロダクションであったのでフットワークもよく、その緻密な取材力には舌を巻く。
実は管理人は亜璃西社とは親しくさせていただいている。たまたま北杜のブログを読んで、問合せがあったのがきっかけだが、温泉ガイド本(北海道源泉かけ流しの湯など)などでは他社の追随を許さないほどの正確膨大なデータだ。
昨年、亜璃西社からは管理人に北海道旅行関連の出版依頼があり(内容は秘密)、原稿を書いていたのが、テーマにやや無理があり、現在はリセットの段階である。管理人はライターはやるが、本格的な出版経験はないので、丁寧なアドバイスを戴いているところである。
管理人もあざらし君に負けないぐらいの思い切った切り口と、亜璃西社の本多政史編集長ばりの緻密な取材力と情熱で北海道について書いてみたいと思う。出版化されたら買ってくれ!!
スカイマーク、競合路線の大幅値引きで「ANAは不当廉売」と公取に意見書
2008年02月01日掲 載
前回のブログでスカイマークとエア・ドゥの新路線就航の話題、それに新路線潰しの理不尽な航空運賃についても触れたが、今日それに関連があるニュースが飛び込んできた。
内容は、スカイマークが全日空に対して、羽田―札幌線など3路線の割引運賃が「不当廉売」に当たるものだとして公正取引委員会に意見書を提出したというもの。
スカイマークが問題視したのは、全日空の羽田―札幌、福岡、那覇線の3月の割引運賃。「スカイマークと時間帯が競合する便の運賃を大幅に値引きする一方、競合しない便は高止まりしている」と指摘。採算を無視した不公正な価格であり、独占禁止法の不当廉売に当たるとしている。
【参考】スカイマーク プレスリリース

