JRバス20周年記念、6日間全国高速バス乗り放題で2万円
2008年04月30日掲 載
国鉄時代の面影を残す西日本JRバス車両 北陸線木之本駅前から北陸線旧線の柳ヶ瀬トンネルを走り敦賀へ向かう。91年頃に乗車したがまもなく廃止され、琵琶湖・北近畿からJRバスは消えた
全国8社のJRバスは5月1日から、全国のJR高速バスが6日間2万円で乗り放題になる「高速バス乗り放題きっぷ」を一斉に発売する。
旧国鉄バスから分社化して20年になるのにちなんで、全国で2千枚を発売。道内は限定50枚。乗車期間は6月1日から1カ月間。北海道から九州まで120路線が利用可能になる。
JRバスになって20年が経過するが、国鉄時代からの「ツバメ」は引き継がれており、マークを見ると嬉しくなっててしまう。やはり管理人は「国鉄世代」である。
発足時は多くの乗合路線や営業所が残っていたが、最近では高速バス会社といった印象だ。北海道でも伊達、岩見沢、滝川、美瑛、帯広、大樹、厚岸、標茶(他にも)などから車両が消えて、札幌圏を除くと日高と深名線代替ぐらいしか残っていないのでないか。
今回の高速バス乗り放題きっぷ、企画ものとはいえ、ある種、画期的である。北は紋別から南は博多まで行ける。さすがJRグループといったところ。これまで広域の高速バスフリー乗車券は西鉄バスを中心とする九州地方にあったぐらいなので是非、JRバス各社でも商品化を検討していただきたい。
ところでJR高速バスポータルサイトのURLがhttp://www.kakuyasubus.jp/であった。割安なツアーバスを意識したドメインであろうが、「格安バス」というネーミングはいかがなものであろうか。これに抵抗をかんじる管理人も国鉄世代のあらわれか。
八柳鐵郎氏の思い出
2008年04月29日掲 載
少し前の話で恐縮だが、どうしても触れたいことがある。
(以下4/22付け道新記事より)
札幌・ススキノを長年見守り続けた、作家の八柳鐵郎(はちやなぎてつろう)さんが十九日、七十六歳で亡くなった。豊富な人生経験から多くの人に慕われ、ネオン街をこよなく愛した「ススキノの生き字引」。二十一日に札幌市内で行われた通夜には約四百人が訪れ、死を惜しんだ。管理人は八柳さんと小さな交流があった。十数年前、たまたま八柳氏の著書を手に取った。北海道へ行った際は地元の出版物をまとめて買って帰るが、その時、めぐり合ったのが道新から発行されている著書だった。八柳さんは、二〇〇六年に閉店した老舗キャバレー「エンペラー」などを経営する青木商事の専務や相談役を歴任。「年末の書き入れ時などには、エンペラーの入り口前に立ち、自ら客の出迎えをやっていた」とすすきの観光協会の篠田政一会長は言う。
樺太生まれ。戦後引き揚げし、食糧難や貧しさを経験した。それだけに、地方から札幌に出てきたホステスには親身になって相談に乗った。
「金をためろ。金のないやつは不幸になる」-。エンペラーで約二十年間、ナンバーワン・ホステスだった徳川美智子さんは、八柳さんが口癖のように言っていた言葉を思い出す。「私にとっては仕事の師匠。ありがとうの一言です」と涙をぬぐった。
二十五年来の付き合いという、「あるた出版」の平野たまみ社長は「八柳さんを『夜の牧師様』と呼んだ人もいた。それほど心の温かい人だった」と振り返った。
八柳さんが熱心に取り組んできた一つに文筆活動がある。「すすきの有影灯」「薄野まで」「すすきのの女たち」…。歓楽街に長くかかわってきたからこそ知っている人間模様を、八柳さんは文字に起こした。
テレビでも共演したことがある作家の東直己さんは「繊細で、いい文章を書く人だった。苦労をしているからこそ、書けたのだろう」と語った。
二十一日の通夜に飾られた八柳さんの遺影は満面の笑みだった。「通夜の帰りに、八柳さんをしのんで、ススキノで一杯やってほしい」。葬儀委員長を務める「あるた出版」の山崎巌会長はそう呼びかけた
ススキノの女性や自身の過去などエッセーとも小説ともつかぬ独自のタッチで書かれていた。非常にリアル且つあたたかく、どれほどの人間をこれまで見てきたのか相当な苦労をされたことが伺えた。
暫らくし、八柳さんに会ってみたくてふらりと「エンペラー」を訪ねてみた。キャバレーは初めてで緊張したが、フロアの隅に立たれている八柳さんを発見した。早速、ご挨拶をすると、「私の本を読んで訪ねて来てくれた方は初めてです」と大変恐縮されていた。連絡先をいただけますかということで名刺交換をしてその日は帰った。
お礼の手紙を送り、暫らくして「エンペラー」を訪ねてみた。八柳さんは「先日のOさんの手紙、店の朝礼で全部読ませていただきました。うちのホステスにも是非伝えたかったことがあります。」と言われた。こちらは赤面ものであったが、内容はキャバレーの文化を守ってほしいことや店の心遣いなどについて書いた覚えがある。
その後、2,3度お会いして、歌志内出身のアローナイツショーの時は、炭鉱出身の彼らに興味があることを告げると楽屋まで案内していただきアローナイツのボーカルの方を紹介したいただいた。八柳さんからは「一度、ゆっくりススキノで杯を交わしましょう」と言われていたが、その後、店には出られなくなり、結局果たすことはできなかった。最後にお会いしたのは2000年頃であろうか。
一昨年、秋エンペラー閉店の話を聞き、会社に八柳さんの近況についてお伺いすると既に体調を崩されて出てこれないというだった。
フロアの、やさしそうな笑顔が忘れられない。
旭岳温泉に新たな万世閣「ディアバレー」がオープン
6月10日、旭岳温泉に「旭岳万世閣ホテルディアバレー」がオープンする。もともとは北海道都市職員共済組合宿泊施設「こまくさ荘」であったが、万世閣グループに譲渡されてリニューアルオープンすることになった。
万世閣はすぐ近くに「旭岳万世閣ホテルベアモンテ」があり、旭岳初の高級リゾート志向のホテルをオープンさせているが、ディアバレーはスタンダードツイン(1泊2食付)で1人9075円と割安な料金設定となっている。
旭岳温泉は国立公園内なので新たな建物の建設はできないが、代替わりが続いている。ベアモンテは以前、「えぞ松荘」だったはずで、古くからある湯駒荘も経営が代わり、きれいになっている。新しく生まれかわるのはいいが料金設定が少し高め(特にベアモンテ)の気がする。
管理人は「アートビレッジ杜季」という料理がおいしい小宿に2回ほどお世話になった。ダイニングから見る旭岳が素晴らしかった。登山シーズンに集中しがちな旭岳だが季節を変えても美しいところだ。また、ここのスキーゲレンデは国内トップクラスの雪質と雄大さであると思う。
余談だが、ボクシングの内藤大助は高校卒業後、洞爺万世閣の厨房に就職したらしい。たまたまテレビで恩人に会いにいく企画でやっており、名前は出さなかったが万世閣のようだった。当時の仲間は誰もいないと言っていたが、すぐに辞めてしまうのだろうか。
【参考】旭岳万世閣ホテルディアバレーホームページ
「まりも」が廃止、道内発着夜行寝台がすべて消える
2008年04月21日掲 載
札幌-釧路を結ぶ寝台特急「まりも」が今夏を持って廃止されることになった。「まりも」は昨年、秋のダイヤ改正で週末や繁忙期運転の「臨時」に格下げされ、昨年春に臨時化された「オホーツク81.82号」、「利尻」(はなたび利尻)はひと足先に廃止が決定。いよいよ伝統列車の「まりも」にも終焉の日がやってきた。
昨年、臨時化が発表された段階で、全廃へ向けた既定事実とかんじたが、これほど早く無くなるとは想像できなかった。
夜行列車、寝台車の廃止は加速度に進んでいるが、北海道関係だけでも「北斗星」の1往復化(最盛期は3往復)、「日本海」のルート短縮(函館→青森終着へ変更)、快速「ミッドナイト」の廃止など国内で最後まで夜行列車が元気だった北海道も例外ではなくなった。
一般の利用者から見れば、すでに夜行列車はビジネスや帰省の際の移動手段には入っておらず、臨時化された段階で命運尽きたと思う。夜間移動の主役は鉄道からバスへ移っており、寝台車は非日常的な特別なものになってしまった。寝台料金を11月から5月の間、3千円に下げても選択肢に入っていないので客は戻らない(大幅な値下げをして大々的なPRをすれば別だが)。
「まりも」には、2001年春に乗車している。その時は「おおぞら13号」の名称だった。(「まりも」は以前、急行として運行されていたが、特急格上げの際「おおぞら」に名称変更。その後「まりも」としてまた復活)。
羽田を最終便の飛行機で発ち、22時近くに千歳着。札幌まで戻る時間もあったが、空港内の三井アーバンホテルのバーで時間を潰し、タクシーで南千歳へ出て、「まりも」B寝台に乗車した。
5月末の金曜日であったが車内は閑散としていた。早朝、曇天で薄ら寒い釧路へ到着。ホテルの朝食もまだ開いておらず、早朝の北大通りを幣舞橋まで散歩した記憶がある。夜行列車なのに「おおぞら」という呼称は合わないと思ったが、窓から見た早朝の北辺の大地は幻想的であった。
1959年9月に運転を始めた道内発着の夜行列車は、「まりも」の廃止で59年の幕を閉じる。
【参考】JR北海道のプレスリリース
別府オンパク全国へ波及、道内でも函館に続きにニセコが
2008年04月17日掲 載
食や散策など多彩な体験型講座への参加を通じて地域の魅力を味わってもらう別府市の「ハットウ・オンパク」(別府八湯温泉泊覧会)の手法に、全国から注目が集まっていると12日付け西日本新聞が伝えている。
オンパクの本家本元である大分県別府市の別府八湯温泉泊覧会(ハットウオンパク)を運営するNPO法人「ハットウ・オンパク」はこれまで北海道函館市の湯の川温泉と福島県いわき市のいわき湯本温泉にノウハウを伝授、既に2カ所でオンパクが開催された。
「オンパク」は全国に波及し、函館市ではいち早く2006年秋に「湯の川オンパク」1回目を開催、去年に続き今年も開催される予定である。また、ニセコ町でも開催予定である。
このオンパク、いいイベントであると思うが、北海道の温泉観光は九州の観光地を参考(パクリ)にしているものが多い。客室、露天、町並み景観計画など「あそこと同じ」というものがいくつかある。それはそれで他所を参考にしながら、北海道観光を改善・向上させてくれればいいことだが、観光立国といわれながらも二番煎じが多く、個性の乏しさには一抹の寂しさも覚えてしまう。
道産子にはもっともっと自分たちに身近にあるものの良さを知って、それを地域づくりに活かしてもらいたいと思う。隣の芝生はよく見えるかもしれないが、目の前に宝の原石がころがっているかもしれず、それを洗い出す作業も必要だ。
そして、オンパクに関しては是非、その地域の特長が前面に出る企画を打ち出して欲しい。
都はるみの「小樽運河」、気になる歌詞
2008年04月16日掲 載
先日、歌手の都はるみの最愛のパートナー中村一好さんが自ら命を絶たれた。プロデューサーとしては大変才能があった方のようで石川さゆりの「天城越え」、都はるみの「千年の古都」など演歌を超えた演歌を作っている。
担当作品の中に「小樽運河」がある。この作品は都はるみカムバック第一作のもので1990年にリリースされている。吉岡 治 作詞 弦 哲也 作曲
メロディはこちら
精進落としの 酒を飲み
別の生き方 あったねと
四十路なかばの 秋が行き
セピア色した 雨が降る
イェスタディを聴きながら
二人歩いた
あぁ 小樽運河
誰のせいでも ないけれど
これで終わるの 始まるの
あなたはほんとの 男なら
私一人に させないわ
イェスタディを抱きしめて
揺らぐガスライト
あぁ 小樽運河
上りのディーゼル 待ちながら
やっぱり明日も 漂って
傘をあなたに 貸したまま
セピア色した 雨が降る
イェスタディをもう一度
窓のむこうに
あぁ 小樽運河
イェスタディをもう一度
窓のむこうに
あぁ 小樽運河
これまでの演歌にない演歌、むしろ新ジャンルを創ろうとしている意気込みをかんじる曲、詩、アレンジである。メロディは「星の流れに」(菊池章子)、「東京ブルース」(西田佐知子)に似てないこともなく、アレンジは「センチメンタルジャーニー」(松本伊代ではない)を参考にしているが、けじめをつける旅、団塊世代と思しきヒロインに「イエスタディ」となかなか意欲的な詞である。
気になるのは3番目の歌詞、「♪上りのディーゼル 待ちながら」である。驚いたのは「ディーゼル」というフレーズ。小樽駅から上りといえば倶知安、長万部方面である。小樽から先は電化されたおらず、すべて気動車・ディーゼルカー。作詞の吉岡治氏はそこを忠実に再現しており、具体的で、職人技だ。
普通の演歌歌詞ならこの部分、「♪上りの列車を」、「♪上りの夜汽車を」あたりが来るであろうが、「ディーゼル」と使ったことでリアリズムが発生している。「♪上りの気動車」では田舎臭く、マニアになってしまう。いろいろな部分で新生・都はるみを送り出そうという意気込みがかんじられる曲である。
このヒロイン、上りのディーゼルに乗ってどこへ行ったのであろう?「小樽のひとよ」の時代なら函館まで客車に揺られ、青函連絡船乗船だが、時代は1990年。倶知安あたりでもう一度「上りのディーゼル」を待ったかもしれない。
それにしても小樽運河」の楽曲はいい感性。しかし、垢抜けすぎていて大ヒットには結びつかなかったのであろう。「千年の古都」もいいが、それまでの唸り節の都はるみとは違いすぎてファン層を捕らえられなかった。現実と理想の狭間で創作活動は難しい。
「奥尻ワイン」の生産を開始、ブドウ栽培に適している地域なので新たな特産品として期待
道南の奥尻島で地元で収穫したブドウを原料にしたワイン生産を来春から始めることになった。事業主の海老原建設は今月末、奥尻町湯浜にワイン醸造工場を着工。9月中旬に完成予定で、初年度は赤と白ワインを合わせて6万本を生産する。5年後には30万本まで引き上げる計画と12日付け日経新聞などが伝えている。
海老原建設では8年前から島内でブドウ栽培を開始。現在、20ヘクタールの農地にフランス系品種のメルローやピノ・ノワールなどを育てている。このうち、道内でメルローを栽培するのは珍しいという。輸入原料は使わず、島で栽培したブドウだけで醸造する。価格は1本1500円以上になる見込み。
ワインの醸造・販売はグループの農業生産法人、奥尻ワイナリーが担当する。
奥尻島でワイン生産というと意外な印象を受けるかもしれないが、檜山地方は隠れた良質ブドウ&ワインの産地である。奥尻島でワイン生産を計画している話はだいぶ以前から聞いていたが、道産ワインに多いドイツ系の品種ではなく、メルローやピノ・ノワールが栽培できるのも気候がなせる業である。
以前、乙部町にある富岡ワイナリーを訪ねたことがある。「乙部ワイン」、「富岡ワイン」、「遊楽部ワイン」などのブレンドのほか少量ながら山葡萄のワインも生産しているところだ。ここでもフランス系の品種を栽培、メルローや日本では数少ないカベルネ・ソビニオンなども生産している。
ワイナリーオーナーの飯田氏は隣町の熊石出身、ワインに魅せられ有名新聞社から脱サラ、開業された方だ。飯田氏は「温暖化により北海道南部ではこれまで栽培できなかったブドウが栽培できるようになった。100年前、甲州がワイン用ブドウ生産に最も適しているということで選ばれたが、今の檜山の気候が当時の甲州に似ており、国内でワインを生産するには非常にいいところ」と話されていた。
奥尻島は乙部町の対岸であるが、どんなワインができるのか楽しみであり、新たな島の特産品としての期待が持てる。輸入の混ぜ物を使わないというのも頼もしい。
富岡ワイナリー訪問記はこちら
ばんけいバスが路線事業から撤退
2008年04月15日掲 載
札幌・ばんけい地区で路線バス事業などをしている「ばんけい観光バス」は、現在運行している全2路線3系統を4月20日で廃止し、路線バス事業から撤退することになった。燃料費の高騰などが理由で、貸し切りバス事業は継続する。
廃止路線は円山線(盤渓-円山公園駅)、発寒南・真駒内線(盤渓-発寒南駅、盤渓-真駒内駅)。両路線合わせて年間700万-800万円の赤字を出しており、「他の事業の売り上げで補てんするのは難しくなった」としている。
これらの路線は地域住民や通学児童にとっては重要な交通手段。一部区間には代替路線がないため、札幌市は21日から当面は無料で貸し切りバスによる代替輸送を行う。
「ばんけい」は中央区にあり、都心からもっとも近いスキー場として有名。先月、モーグルの全日本選手権が行なわれ、里谷多英が劇的な復活優勝をした時に名前が露出した。
バスの方は屋根上に大きなロケットのようなものを2本載せた緑色のボディが印象的であった。スノービジネスも厳しい折、いちばん採算も取れそうもない路線バス事業から撤退か。
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16日付け道新によると事業存続への支援が受けられるようになったとして、21日以降も当面、バス運行を継続すると発表した。ただ、同事業廃止の基本方針は変わっておらず、今後も札幌市などと連携し、後継事業者を探す。
北海道政策情報誌「フロンティア180」で管理人記事が紹介されました
2008年04月14日掲 載
北海道政策情報誌「フロンティア180」4月号(北海道町村会発行)に管理人の記事が4ページに亘り、紹介されました。4月号の特集「アイデアでマチの魅力をPRしよう」で、管理人は「回遊型から滞在型へ、観光ノンブランド地域の観光活性について」というタイトルで寄稿しています。
内容は観光資源を持たない地域(ノンブランド地域)の観光活性として、ニューツーリズム(体験・滞在型)の活用について触れますが、集客への有効手段として、物見遊山から卒業し、自分スタイルの旅行ができるような人たち、「観光をしない観光客」の掘り出しが差別化につながることなどを紹介しました。
具体的な事例としては、真狩村のオーベルジュ「マッカリーナ」の成功例、陸別町の町公認で通年開催される首都圏からの訪問ツアーなどについて触れています。また、管理人のプロフィール紹介やのウエルネス・ツーリズムなどについても多少書きましたのでご興味がある方は読んでみて下さい。
「フロンティア180」誌は市町村職員向けのもので書店販売はしていませんが、一般の方にも通販をしております。北海道町村会HPから申込みができます。
■申込み先アドレス:北海道町村会総務部 soumubu@h-chosonkai.gr.jp
稚内全日空ホテル、市の大幅出資で当面の危機脱出をしたが
2008年04月13日掲 載
稚内市議会は11日、稚内全日空ホテルを運営する市の第3セクター、稚内シーポートプラザの経営悪化を受け、2億8000万円を追加出資する議案を可決した。市からの融資案が議会に否決され3セクが法的整理となる可能性もあったが、当面の危機は脱したと12日付け日経新聞などが伝えている。
稚内全日空ホテルの経営危機に関しては3/11付けブログ「ホテルが経営危機、三セクだったとは驚き」のタイトルで触れている。 ホテルは1994年に開業。長期負債の返済負担が重く、資金繰りが悪化していた。4月中に民間の株主にも追加出資を求め、計3億円を増資する。市の追加出資で出資比率は5割を超える。
このニュースには大きな違和感をかんじる。稚内全日空ホテルはシーポートプラザの中核であり、市のランドマーク的存在であることは理解できるが、素朴な疑問として何でここまで”協力”をしなくてはいけないのか。市は「これ以上の支援はない」と説明しながら、時代錯誤と思える行為をしている。
管理人は市が「全日空」ブランドへのこだわりと全日空への遠慮を感じる。前回でも触れた羽田-稚内便の通年運行に向けて市が補助する形で2万円程度の格安ツアーを催行。今年はなくなったかと思ったが調べたらやはりあった。全日空ホテルの問題と空路維持の問題はリンクしていると思うのは考えすぎてあろうか。
全日空ホテルは規模は小さいながらもシティホテル機能なので無駄なコストも多そうである。仮にホテルを民間に手放せば、観光客が多い稚内なので宿泊特化のアパホテルやルートインなどが購入するであろう。シティホテル機能を削れば単体では十分に黒字になるはずである。
ANAホテルチェーンは資本を外資(モルガン)に売却して以前ほどのブランド力もなくなっていると思う。こだわる必要もあるまい。
この問題、仮に破綻すれば大変なことになる。それでなくても稚内市は三セク施設が多い。実は管理人、5年前の冬、誘われて稚内1泊2日2万円格安ツアーに参加したことがある。訪問する場所は公共温泉、サハリン村(ロシア村?)など多分、三セクと思える施設で「お抱え観光」であった記憶がある。宿泊は追加料金を払い全日空ホテルであった。
毎日新聞HPで見つけた動画コーナー、「中央バスエアロエース」
2008年04月11日掲 載
毎日新聞北海道版サイト(大盛り北海道)はよくチェックしている。毎日サイトは以前MSNとの提携サイトで見ずらかったが、MSNは産経と組んだため最近は独自のものに戻っている。
現在、北海道版には動画コーナーがある。その中に「中央バスのふそうエアロエース」というのがあり、札幌ターミナルを出発するシーンが映し出されている。最初は中央バスか三菱ふそうの宣伝かと思ったが、それも考えにくく、チェックするとyou tubeのような一般からの投稿ものであった。
ちなみに視聴回数はこのバスがトップのようである。視聴者はバスファンであろうか。
支笏湖の宿買収が進む、ターゲットは道外観光客 潜在能力高い観光地への期待
2008年04月10日掲 載
今週に入り、閉鎖されていた支笏湖の宿泊施設2ヶ所の売却が決定した。
まず、阿寒湖畔などで旅館を展開する鶴雅グループが支笏湖温泉の支笏湖観光ホテルを3月末に買収したと8日付け日経新聞が伝えている。
また、2004年4月から営業を停止している支笏湖温泉のホテル「翠明閣」の経営権を「支笏湖丸駒温泉旅館」を経営する丸駒温泉取得したと9日付けの道新が伝えている。
支笏湖観光ホテルは1949年に創業した老舗で支笏湖観光が経営。収容規模は62室で350人と支笏湖畔で最大級の温泉旅館である。大手旅行会社と提携し札幌や本州から主に団体客を受け入れてきたが、個人客を呼び込めず、近年は売上高が2―3億円前後に低迷し、赤字が続いていた。
鶴雅グループは本拠地の阿寒湖に高級志向の宿を展開するほか、最近では網走湖やサロマ湖のホテルを買収し、鶴雅ブランドで新展開を図っている。鶴雅の大西社長は道東観光のカリスマとして有名だが、道東以外に進出するのはこれが初めてである。
今後、札幌圏や道外からの集客を狙い、改装後は室数を53室に減らして露天風呂付きの客室やエステ施設、料亭なども設けるという。これで道東観光への基地にもなるであろう。
一方の 翠明閣は大正初期、王子製紙の作業員の宿泊施設として始まった伝統ある宿だが、支笏湖対岸にある丸駒温泉が、王子製紙から株式会社「翠明閣」の株の大半を取得した。支笏湖観光ホテルと同じく、客室を減らし、全室とも湖を臨める温泉風呂付きの高級志向で道外客を狙い、宿泊料は一泊二食3万円以上に設定する。
丸駒温泉も業務拡張に熱心の宿だが、これまでの丸駒はどちらかというと道内客が多く、料理サービスは決して洗練されていれとは思えなかったが、どういうものができるであろうか。
支笏湖は札幌、千歳空港から近いアクセスに恵まれた観光地である。近いわりに俗化されておらず管理人は大好きな場所でこれまで幾度となく足を運んでいる。行く度に宿が減り、また、魅力的な宿が乏しく残念な思いをしていたがこれで変化が起きそうである。これまで「氷濤まつり」などの有名イベント開催時でも観光客の多くは支笏湖に泊らずに移動してしまっていた。
バブル期には、道外客をターゲットに高級志向の宿「あしり支笏湖」がオープンしたが、数年で閉鎖され、不動産サイトに9千万円に売りに出されていた記憶がある。その後、「支笏湖第一寶亭留 翠山亭」として定山渓第一ホテルグループの新ブランドホテルができ、少し変ってきた気配はあった。国立公園内で勝手にホテルを建てられないなど規制はあるが、以前は三井観光系のホテルもあり、高級感のある落ち着いた観光地であった。
支笏湖はもともと潜在能力がある観光地である。しかし、札幌から近いため道内客からは敬遠されてしまう。本来なら北海道の箱根になりうる可能性があるのに魅力的な宿が少なかった(丸駒温泉の孤軍奮闘か)。今後、道外客を中心に、札幌宿泊の代わりに、道内観光の1泊目や最終日の利用にと個人客が中心になりそうだが、新たな集客に期待したい。
鶴雅の大西社長は「支笏湖は札幌の近くなのに未成熟で、今後磨かれていく素材が多い。札幌圏のお客さまが滞在してじっくり楽しむリゾート地にしたい」と話しているが、ポテンシャルは十分にあるはずだ。
ちなみに管理人、「支笏湖国民休暇村」の中を散歩し、鳥の囀りを聞きながらお茶を飲むのがお気に入りである。温泉は循環だがヌルヌル感があり、誰もいないので何度か行っている。露天では丸駒や伊藤温泉が有名だが、早い飛行機に乗る時、札幌に泊らず休暇村に宿を取ったことがある。
東京-札幌線、広がる運賃格差 ○金、マ○貧どちらを選択?
2008年04月07日掲 載
ANAはこの4月から羽田-新千歳間に「プレミアムクラス」を導入した。現在、三国連太郎、佐藤浩一親子を使ったCMを盛んに流している。また、JALでもあの国内線ファーストクラスがいよいよ6月から登場することが決まった。
かつてのスーパーシート時代は4千円程度追加で乗れたのでお気楽だったが、ANAがスーパーシート見直しを行い、その結果運賃体系も変った。たとえば1週間前の事前割引を使って利用すると普通席とは1万円も違うので利用は躊躇ってしまう。
また、JALには「クラスJ」があるが、ファーストクラスの導入でJの影が薄くなりそうである。Jのサービス自体、当初はよかったが最近では普通席と変らなくなっている。JASの「レインボーシート」の引継ぎのようのものだがそちらの方がよかった。
*かつてのブログ「スーパーシートとクラスJについて」
以前、JASをよく利用していた頃はスーパーシートも利用した。他社と違いラウンジが自由に使え、アルコールも無料。マイレージポイントも高かったからだ。勿論、どんなチケットでも一律の追加料金で利用できた(ANA,JALも同様だった)。
その間、エアドゥ、さらに一昨年からのスカイマーク参入によって航空運賃が激安になった。たとえば来週14日午前10時台に東京-新千歳便を利用する場合の4社の運賃の違いを調べてみた。
普通運賃 事前割引(7日前購入)
ANA 33,600円 22,800円
JAL 33,600円 22,800円
AIRDO 22,600円 12,800円
SKY 14,800円 12,800円
運賃格差は歴然である。大手2社とスカイマークでは普通運賃で2万円近く、1週間前の事前割引でも1万円の差がある。プレミアやスーパーシートを利用しようものなら3万円近い格差が生じる。利用者にとっては選択肢が広がっていいことだが、他の公共交通機関、鉄道、高速バス、フェリーなどでは考えられないことだ。
1984年頃、「○金」、「○貧」というフレーズが流行った。確か「金塊巻」というベストセラーから出た流行語だが、大手2社の上級クラス利用は○金(金持ち)、新規2社は○貧(貧乏?)といったところである。
ANA、JAL利用者はビジネスや観光団体運賃利用が多く、それほど己の懐も痛まない人たちが多いと思う。それに引換えAIRDO、SKY利用者は自腹で乗る人が多いようである(管理人も含め)。
管理人は札幌線に限っていうとJALから○貧のスカイマークに切り換えた。理由はいろいろあるが「安い」に尽きる。徹底合理化しているが特に問題はない。その分、JALカードを使う機会が減ってしまったが以前ほどマイレージに魅力をかんじなくなったのも事実だ。
皆さんはどの航空会社を選び、どのクラスを選択するであろうか。
JALのファーストクラスは単純に8千円追加で乗れるのでパックツアーを利用する時にでも試しで乗ってみたいと思う。
中標津-千歳便が休止、撤退が進む道内千歳便と中標津の利便性
2008年04月03日掲 載
全日空が運航する中標津-千歳便が3月31日限りで休止となった。4月から中標津発着便は丘珠便三往復と東京便一往復だけとなり、新千歳空港での乗り継ぎができなくなるため、利便性の低下は避けられなくなる。
これまで中標津からは千歳、丘珠、東京便が運行されてきた。1990年の空港延長ジェット化により、東京便と今回休止となった千歳便が就航している。その後、丘珠便は1往復から2往復に、また、2往復に増便された東京便は1往復に逆戻りして今回の千歳便の休止である。
道新によるとその休止理由が「2006-07年度の平均搭乗率が三割弱と国内路線で二番目の低さ」と書かれている。確かに道内路線では千歳便の搭乗率が悪く、これまでも函館、紋別が廃止となり、その他の路線でも減便や丘珠へシフトがされている。
東京直行便があり、アクセスが悪く、丘珠より飛行時間も多少かかる千歳便が無くなくなるのは仕方ないが、減便されることは中標津にとってマイナスである。
中標津は標津線廃止後、航空機と札幌とを結ぶ夜行バスが唯一の足であった。札幌-中標津は遠く、車で朝出発しても着くのは夕方。JRを利用してもバス乗り換えがあり、現実的な手段ではない。航空機は中標津に限らず根室方面の住民にとって最大の足である。
また、中標津は道内では数少ない人口が増えている町である。空港が市街地にあり、非常にコンパクトでよくできているマチで、管理人もあの明るい雰囲気が大好きだ。空港の雰囲気もいかにも北海道らしく雄大。空港自体が観光資源となり得る。移住者にも人気があり、天候も安定している。
また、知床や阿寒・摩周、釧路湿原などにも近く、観光路線としての需要もある。近くに釧路、女満別の両空港があり、挟み撃ちを喰らっている格好だが、東京便1往復ではあまりメリットがない。全日空など東京-釧路線を減便し、中標津便を1本増やした方がいいようなかんじがするが。
最近、採算が取れないローカル線の休止や廃止が相次いでいる。昨年問題になった千歳-松本線などは採算は取れているのに燃費が悪く、早くお釈迦にしたいMD87を使用していたため廃止問題となった。
中標津のように航空機が地域のいちばんの足であり、発展しているマチにとって飛行機が1便減便になることでも大きな問題である。先日、札幌-根室を結ぶ都市間バスが値上げしたが、今回の件も関係しているかもしれない。
北海道観光振興機構がスタート、何かが変わるか
2008年04月02日掲 載
北海道観光連盟に替わる観光推進組織の社団法人北海道観光振興機構が1日から発足した。
観光機構は、北海道観光の長期戦略を検討する北海道観光戦略会議(南山英雄会長)の提言を基に、道観連が定款変更する形で発足。民間主導を理念とし、従来の北海道観光のPR活動に加え、市場分析や地域連携などの新事業を手掛ける。
前身の北海道観光連盟については多くの疑問があった。メンバーは道から天下った人や業界の利害関係者が多かった。コーディネートの発想や企画力に乏しく、道庁とのつなぎという印象であった。
「財界さっぽろ」4月号で新たに観光機構会長に就任した坂本眞一氏へのインタビューが掲載されている。この中で「自然は一流、サービスは三流」という質問に対してこう答えている。
「北海道を批判しているのは本州から来た評論家で、比較論で言っている。(省略)ただいちばんいけないのは安いツアーだ。サービスなんか出来ない。そこは反省が必要です。」
「スーパーマーケット型、薄利多売に関してはちゃんとした対価をもらい、満足のいくサービスが必要だと思う。(省略)いままでのような団体旅行一本で、安かろうという旅行だとダメになってしまう。」
「三流、二流というより、北海道独特流のサービスが欲しい、それがいまないわけではない」
坂本会長、なかなか的を得た発言だ。サービス三流というわる諸悪の原因は、このサイトを立ち上げた理由でも書いているが、物見遊山の周回型ツアー旅行客中心の発想から業界が脱却しておらず、脱却したくても旅行会社主導のために変えられず安い価格で取引せざるを得ない。なので北海道のホテル・旅館の客室単価は全国で最低水準となる。
旅行会社へ依存する宿側、観光施設と薄利でも数で勝負したい旅行会社の思惑が悪の連鎖になっている。
もし、サービスの物差しを伊豆箱根や有馬・城崎、九州などと較べれば、二流三流と言われても仕方がない。そうではなく、坂本会長が言う「北海道独特流のサービス」が確立されていれば、そんなことを言われないはずだ。会長は「いまないわけではない」と発言しているが、それが本当に独特流なのかは疑問だ。
九州の人気温泉地は湯布院・黒川が牽引役となり、各地に素晴らしい個人宿が誕生している。落ち目になった別府も生まれ変わろうとしている。九州の宿には環境を活かし、機目の細かさや独創性がある。北海道もそれに追従するであろうが同じものは無理だし、真似事である。
現在の北海道観光は「団体(パックツアー含む)」と「個人旅行」では受け入れる宿側の意識やニーズの違いなどから同じ土俵に上がらない。そこが埋まってくれば自ずと変わってくるはずだ。
以前、「試される大地北海道」というコピーがあったが、自虐的で大嫌いであった。最近は「自然は一流、サービスは三流」がよく使われるが、これも気分がいいものではないので使ってほしくない。
そのためにも北海道観光振興機構のお手並み拝見だ。
4月1日道東の暴風雪と「快速ノサップ」の思い出
2008年04月01日掲 載
新年度がスタートした。関東では桜が満開となり、新入社員たちが颯爽と歩いているが、毎年この日はうつ気分になる。若い時のある”思い出”があるからだが、木の芽時から花が咲く、5月にかけては管理人のエネルギーがもっとも枯渇する時期である。
さて、1日は寒気を伴った低気圧が三陸沖で猛烈に発達、道東を中心に大変な暴風雪になったようだ。標茶では車70台が立ち往生、根室半島では各所で国道が寸断され、停電となり終日マヒ状態だったらしい。
管理人は1995年3月に根室で同じ経験をしたことがある。釧路からレンタカーで根室へ向かっていたが、途中から風・雪が強くなり、国道44号線は浜中手前から全く視界が利かず、吹き溜りが国道を塞ぎ走れる状況ではなくなる。やっとの思いで厚床まで来たが、そこから先は通行止めで何十台の車が埋まっているらしいという情報。
警察か開発局の指示で厚床駅に車を置いた。他のドライバーも同様だ。暴風雪の中、駅舎へ入ると普段は閑散としているところがごったがえしている。何と花咲線が遅れているが厚床へ向かっているという。時間通りでは行ったはずの根室行きの「快速ノサップ」がやってきた。これは奇跡かと思った。視界は利かず、風速は30メートルぐらいはありそうだが辿りついたのだ。
厚床を出た列車を暴風雪で車両を左右に揺らしながら懸命に走り、根室に到着した。鉄道を止める規制基準に達していたはずだが、走破したのは不思議だった。何も視界が利かない中、保線区員が乗車していたがこちらも不安であった。運転手さんはさぞや大変だったであろう。
根室駅を下車すると更に風が強くなり、歩けない状態で駅舎の壁につかまりながら迎えの車を待った。翌日、厚床まで送ってもらいレンタカーをピックアップしたが、車はブリザード状態且つ埋まっており、絶句した思い出がある。
独特な気象条件がある根室半島。自然の恐ろしさを身にしみた。2年前も暴風雪警報の中、北太平洋シーサイドラインを走り、道路には高さ50センチぐらいはある吹き溜りが障害物のように続々登場。引き帰すこともできず時速20キロ程度で2時間以上かけて抜けたが、この時の神経の使い方と立ち往生の恐怖(44号線ではないので殆んど通行量がない)も忘れわれない。
それにしても何百台という車が立ち往生して一夜を明かしたその日、釧路から根室まで懸命に駆け抜けた「ノサップ」はすごいと思った。JR北海道のキャッチコピーで「冬こそJR」というのがあるが、それはその通り、運賃も多少高くなるのも理解できる。
