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大地震震源地の上空で出くわした不思議な体験

2008年07月03日掲 載

6/27より7/2まで道内各地を回ってきた。「北斗星」で札幌へ入り、その後JRとレンタカーで川湯温泉-弟子屈-標津ー釧路-札幌とまわった。道東は久しぶりであったが、太平洋側の最高気温が連日14℃以下と東京の真冬に近いような寒さ。札幌は25度以上の汗ばむ気候であらためて北海道の広さを実感した。

また、サミット直前ということで札幌や千歳空港周辺などを中心に道内は戒厳令のような物々しさ。全国各地から来た警察車両と警察官でまるで警察の見本市のようだ。6年前のワールドカップサッカーとはまた違う不思議な高揚感をかんじた。

ところで千歳から東京へ向かうスカイマーク機で面白い現象に出くわした。昨日2日は北海道から関東まで上空は快晴、日本海の飛島・粟島までもくっきり見える全パノラマ状態の順調なフライトであったが、岩手・宮城大地震の震源地付近(一関上空)に差掛かった時だ。

上空からも巨大崩落の現場や震災ダムが見え、窓から注視していた時、突然激しい揺れに襲われのだ。すぐにシートベルト着用サインが出たが、点灯した途端に激しい揺れは止まった。激しく揺れたのはその地点一ヶ所のみであり、不思議なかんじがした。栗駒山から飛行機が飛んでいた一関市付近のみ気流が悪く、揺れを起こしそうな薄い雲があらわれたのだ。仙台平野上空ではよくある現象だが、これほど局所的で、一瞬の激しい揺れは経験したことがない。先日、鳴子温泉からの地震雲の話を書いたが、何か意味がありそうな気がした。

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宮城・岩手内陸大地震 鳴子温泉からの地震雲

2008年06月19日掲 載

宮城・岩手内陸地震から5日目が経過した。この地震、被災地周辺を何度も訪れているのでひとごとではない。管理人は鳴子温泉(大崎市)に7年前からプチ湯治を兼ねて年2回ほど訪れているが、その際、レンタカーで栗駒周辺の湯めぐりに出かけていた。

被害がひどかった栗駒山周辺は宮城・岩手・秋田の3県にまたがり、良質な温泉地が点在する。特に旧花山村は花山温泉、温湯、湯の倉などがある人気の秘湯エリアである(今回死者が出た駒の湯は旧栗駒町)。

今回、駒の湯で亡くなられた宿泊客2名は「くりでん」の廃線保存の会合で来た鉄道博物館学芸員と栗原市のマチづくりをされている地域プランナーの方である。お二人とも管理人とは接点がある職業なのでひとごとではないかんじだ。

実は昨年の暮れ、栗駒高原鉄道の廃線跡の写真を撮りに行き、鉱山博物館を見学、その足で花山温泉へ日帰り入浴をしている。駒の湯は訪れたことはないが、実は次回の鳴子湯治の際に訪れたいと思っていた。また、今朝のニュースではランプの宿として有名な湯の倉温泉が震災ダムの影響で浸水が進んでいる。6年前に訪れたが、大変ショッキングな光景であった。

そういえば管理人が地域プランナーの仕事をしていた際、頻繁に宿泊した八雲町の見市温泉も明治時代に土石流の被害に遭い、数人が亡くなくなり、宿の場所を変えたとご主人から伺ったことがある。渓流沿いにある山峡の一軒宿だが、今回、被害に遭った温泉と似たような環境である。

自然の前では人間は無力である。管理人は地震予知に興味があり、宏観現象(地震雲や動物の異常行動・大気イオンの変動や磁気波など)を観察したり、関係するサイトをよく見ているが、今回の地震、どこかで大きいのが起きそうだという前兆は各所で捕らえていたが、それがいつ、どこで、どのぐらいの規模で起きるかまでは特定できていなかった。

現在の地震予知は殆ど不可能に近い状態。東海地震は予知できることになっているが、あれは学者が研究費欲しさに「予知できる」ことにしてしまったに過ぎず、実際は不可能であろう。現状では予知よりも、今回多少は役に立った緊急地震速報などアフターケアの充実が先決である。

鳴子温泉の東多賀旅館の女将のブログを読んでいると、地震当日、栗駒山方面に渦巻き状の雲が現れたと書かれている大変、興味深い記事をみつけた。

抜粋すると「それから地震予知に繋がるかどうか解かりませんがお客様が地震の起きる3時間ほど前の朝5時半ごろ栗駒山方向上空の雲を携帯電話で撮影されていました。真っ黒い雲と真っ赤な雲が重なって竜が昇るような恐ろしげな雲です。」とある。

竜が昇るような雲は阪神大震災の直前にも震源地の真上で確認されている。磁気が関連しているといわれているが、直前に発生するタイプの地震雲であろうか。

あらためて亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方にお見舞いを申し上げます。

【参考】秋田岩手の温泉施設への地震の影響一覧 「温泉ニュースブログ」より
【参考】鳴子・東多賀温泉のブログ「乳白色の温泉より愛をこめて」

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毎日新聞が道内の夕刊を廃止、夕刊の存在意義とは?

2008年05月14日掲 載

毎日新聞社が道内での夕刊発行を8月末でやめることについて、同社北海道支社は13日付の紙面で正式発表する。(5/13付け朝日新聞より)

毎日新聞の北海道版に関しては、かねてからいろいろな噂があった。現在、道内で夕刊は札幌圏を中心に旭川、小樽、室蘭などで発行されているが、発行部数が今年3月で約1万4千部(ABC協会調べ)、2006年と比べて約4800部減少している。

ちなみに毎日新聞の朝刊は約6万8千部、道新が約120万部なのでそれと比べると少なさがわかるであろう。また、夕刊紙で比較すると道内地方紙の十勝毎日新聞が約9万部、それと比較しても6分の1以下である。

毎日新聞webサイト「大盛り北海道」はよく見るが、ニュースボリュームは少なく、手薄なことがわかる。夕刊に関しては、東京版でも読み出がなく、広告収入を考えるとよくここまで持たせたというかんじである。広大な北海道で輸送費や配達委託費だけでもバカにならない。撤退はいたし方ないことであろう。

読売や朝日でさえもガリバー道新の前には太刀打ちできない。まして、新聞全体の売り上げが落ちて、道新でも夕刊はかなり部数を減らしている。産経はだいぶ前に夕刊を廃止したが、webが発達した現在、夕刊そのものの存在意義が問われる時代かもしれない。

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4月1日道東の暴風雪と「快速ノサップ」の思い出 

2008年04月01日掲 載

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根室駅へ到着した快速ノサップ ご苦労様である

新年度がスタートした。関東では桜が満開となり、新入社員たちが颯爽と歩いているが、毎年この日はうつ気分になる。若い時のある”思い出”があるからだが、木の芽時から花が咲く、5月にかけては管理人のエネルギーがもっとも枯渇する時期である。

さて、1日は寒気を伴った低気圧が三陸沖で猛烈に発達、道東を中心に大変な暴風雪になったようだ。標茶では車70台が立ち往生、根室半島では各所で国道が寸断され、停電となり終日マヒ状態だったらしい。

管理人は1995年3月に根室で同じ経験をしたことがある。釧路からレンタカーで根室へ向かっていたが、途中から風・雪が強くなり、国道44号線は浜中手前から全く視界が利かず、吹き溜りが国道を塞ぎ走れる状況ではなくなる。やっとの思いで厚床まで来たが、そこから先は通行止めで何十台の車が埋まっているらしいという情報。

警察か開発局の指示で厚床駅に車を置いた。他のドライバーも同様だ。暴風雪の中、駅舎へ入ると普段は閑散としているところがごったがえしている。何と花咲線が遅れているが厚床へ向かっているという。時間通りでは行ったはずの根室行きの「快速ノサップ」がやってきた。これは奇跡かと思った。視界は利かず、風速は30メートルぐらいはありそうだが辿りついたのだ。

厚床を出た列車を暴風雪で車両を左右に揺らしながら懸命に走り、根室に到着した。鉄道を止める規制基準に達していたはずだが、走破したのは不思議だった。何も視界が利かない中、保線区員が乗車していたがこちらも不安であった。運転手さんはさぞや大変だったであろう。

根室駅を下車すると更に風が強くなり、歩けない状態で駅舎の壁につかまりながら迎えの車を待った。翌日、厚床まで送ってもらいレンタカーをピックアップしたが、車はブリザード状態且つ埋まっており、絶句した思い出がある。

独特な気象条件がある根室半島。自然の恐ろしさを身にしみた。2年前も暴風雪警報の中、北太平洋シーサイドラインを走り、道路には高さ50センチぐらいはある吹き溜りが障害物のように続々登場。引き帰すこともできず時速20キロ程度で2時間以上かけて抜けたが、この時の神経の使い方と立ち往生の恐怖(44号線ではないので殆んど通行量がない)も忘れわれない。

それにしても何百台という車が立ち往生して一夜を明かしたその日、釧路から根室まで懸命に駆け抜けた「ノサップ」はすごいと思った。JR北海道のキャッチコピーで「冬こそJR」というのがあるが、それはその通り、運賃も多少高くなるのも理解できる。

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激動の1968年、「交通公社時刻表」で北海道を旅する

2008年02月16日掲 載

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超多層列車急行「なよろ」・「かむい」・「るもい」・「ましけ」・「そらち」の時刻表 画面をクリックすれば拡大します
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旭川発旭川行き急行「旭川」!!

先日のブログで「JTB北海道時刻表」が3月で休刊になることを書いた。予想外に多くの反響があったが、手持ちの道内時刻表ではもっとも古い1968年7月号の「交通公社北海道時刻表」を久しぶりにめくってみた。1968年といえば国鉄に限らず、路線バスを含め公共交通がもっとも華やかであった頃だ。

当時、管理人は6才であったが、68年の夏休みは蔵王と諏訪・蓼科へ行った。山形までは特急「つばさ」に乗車、勿論、新幹線ではなく気動車で5時間近くかかったが、憧れの長距離特急に乗れて嬉しかった。山形市内と蔵王温泉に泊り、当時定番コースであった蔵王エコーラインの定期観光バスに乗り宮城へ。仙台からは指定券が取れず、冷房のない旧型客車の臨時急行で帰ってきた記憶がある。

諏訪は祖父母の出身地なので毎年行っていたが、出発の朝、立川米軍基地から輸送される燃料貨物車が学生(過激派)の襲撃に遭い、線路は火の海。中央線は半日以上止まり、臨時の気動車急行で行った覚えがある。当時の新宿にはフーテンやヒッピーがいたことも微かに記憶している。同じ68年に「新宿騒乱」があった日は、小学校が新宿に近かったため、午前で学校が休校になり、親が迎えに来たことがあった。毎日がエキサイティングな1968年である。

さて、「交通公社北海道時刻表」を読むと面白い列車に出くわす。なかでも5つの急行を各地で連結、切り離す超・多層列車を発見した。その列車は、名寄・旭川・増毛・富良野発留萌・札幌・小樽行き急行列車(812D)で「なよろ」、「かむい」、「るもい」、「ましけ」、「そらち」として走っている。

まず、名寄5:48に出発する札幌行き急行「なよろ3号」は、旭川で7:30発小樽行きの「かむい1号」と留萌行きの「るもい1号」を併結する。途中、深川で「るもい1号」を切り離す。さらに深川では増毛から来た「ましけ」を連結する。同一列車で上り下りの留萌線列車の切り離し&連結の離れ業だ。さらに滝川では富良野7:17発の「そらち1号」を併結して札幌には9:49着。ここで「なよろ」と「ましけ」はお役御免となり、「かむい」&「そらち」が小樽へ向かい10:28分着。「なよろ3号」は夏季だけの運転のようである。

まるでパズルを解くような難解複雑なダイヤである。1等車も旭川-札幌間の「かむい」に連結しているが、翌69年からは何故か手稲まで1等車(この年からグリーン車に)を連結している。意味不明。

北海道にはこういった多層列車が国鉄末期まであったが、5列車というのは記憶にない。

もうひとつ面白い列車として、旭川発旭川行き急行「旭川」というものがある。旭川から石北本線で遠軽、名寄本線に入り、名寄から宗谷本線に入り、旭川に戻るもので上下1本ずつ運転されていた。このような循環型列車は、当時全国各地にあり、北海道では札幌発で倶知安から胆振線に入り、室蘭・千歳線経由で札幌へ戻る「いぶり」もそうであった。

また、急行「大平原」も面白い。士幌線の糠平と広尾線の広尾を結ぶもので途中、帯広を経由する。十勝バスではない。ネーミングもそのものズバリだし、きっとカニ族が沢山乗っていたのであろう。「大平原」は、広尾から国鉄バスで様似へ、さらに日高線の急行「えりも」で札幌へ行く周遊指定券も発売されている。

1968年7月の北海道旅行、羨ましい気がする。

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小檜山博氏、JR北海道車内誌での記事盗用と情報社会の怖さ

2008年01月19日掲 載

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回収されることになったJR北海道車内誌1月号 「お宝」になるか

毎月楽しみにしているものにJR北海道の車内誌「THE JR Hokkaido」がある。特急電車の車内やツインクルプラザなどで無料で配布しているが、東京ではファン向けに神保町の「書泉グランデ」などでバックナンバーを販売している。

創刊以来、紙面サイズや編集内容もあまり変わらず、イラストレーターの渡辺俊博さんの紀行イラストは創刊の頃から続いている。また、もうひとつ長く連載されているものとして小説家小檜山博氏の読みきり小説があった。

いつも泣かせる人情話を書いてくれるが、盗作していたことが発覚してしまった。19日付けの読売新聞によると1月号の「THE JR Hokkaido」掲載の「新・人生劇場 電車」が、毎日新聞で掲載された読者投稿を盗用したものであり、小檜山氏も事実関係を認めているという。ちょっとショックな話である。

JR北海道は同誌の回収を始め、小檜山氏は読者投稿した主婦に謝罪文を送り、掲載打ち切りを申し出たという。

管理人は小檜山さんの小説を何冊が読んでいる。現在は削除してしまったが、本ブログの「おすすめ書籍」で紹介したこともある。

盗用は当然よくないことだが、毎月ネタを探すのは大変であろう。テーマが”ちょっといい話”的なものが多いので新聞の投稿欄に目が行くのも分からないわけではない。北海道では部数の少ない毎日新聞なので「大丈夫かな。まあ使わせてもらおう」という意識もあったのではないか。

最近、新聞社の社説やコラムが盗用していた事件が何度か起きたが、ネット社会の今、情報収集をしているうちにどれがオリジナルかわからなくなってしまうことも多いであろう。

このブログにしても、管理人が自分の言葉・考えで書いているつもりだが、新聞社HPやニュースブログなどから情報収集する際、一部記事をペーストして内容を把握、自分流の解釈をして再構築をかけるので、パクリにならないようにかなり気を使って書いている。

webによって情報収集が容易になった分、慎重さとルール厳守が求められるといえる。

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昭和パワー炸裂 花巻「マルカンデパート」大食堂

2007年11月27日掲 載

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マルカンデパートと昭和の雰囲気充満の大食堂、売り切れが続出の盛況ぶり

映画「3丁目の夕陽」がヒットしているが、昭和30年代から40年代のデパート食堂黄金時代を彷彿させるものに出くわした。
ちょうど花巻へ行った折、何度かコメントを頂いているmaksim727さんご推薦の「マルカンデパート」を訪れてみた。何が目的かというと最上階に「大衆食堂」である。昭和レトロのいいかんじを出しているというので、東和町からの帰り、路線バスがマルカン前にちょうど停まったので、急きょ途中下車をして訪れてみた。

外見は地方都市の地場デパートである。イメージでいえば函館の棒二森屋か上諏訪の温泉があるデパート丸光、潰れた釧路の丸三鶴屋(丸井今井)といったややうらびれ系である。
中に入ると雑然としており、100円ショップなどガラクタも多い。何よりも休日なのに客が少ない。管理人は朽ち果てた食堂を想像してエスカレーターを登ったが、着いてビックリ!!
昭和のお好み食堂(大食堂)を思い出させる大きなフロアが満席。さらに食券を買うのに行列が出来ている。ショーウインドーを見ると「売り切れ」と書かれた商品が続出している。

ここは花巻市民のオアシスか?いったいどこからこれだけの人が集まってきたのであろうか。外の商店街の人は疎らだが、大いなる熱気が大食堂にはあった。
そのパワーと混雑に圧倒され、何も食べずに引き上げたが、地域に愛されていることがよくわかった。意外にこういった施設が地域や商店街再生のカギになるのではないかと思った。

都内ではデパートの大食堂は殆んど消えたはずだ。高島屋の「特別食堂」でさえも無くなった。老若男女、家族同士が楽しく食事をしている光景を見て安心した。、日本も捨てたもんじゃないなと思った。

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花巻駅前を行く昭和50年代中頃製造の岩手県交通路線バス こちらも昭和パワーだ

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ススキノと中洲・盛り場を比較してみると

2007年11月22日掲 載

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中洲夜景と天神地下街

これまでススキノは星の数ほど(言い過ぎ?)足を運んでいるが、西日本最大の盛り場・中洲には縁がなかった。もともと九州に行った回数が少なく、福岡は今回で2回目である。かなり旅はしている管理人であるが、全国で抜けている個所はけっこうあるのだ。

博多には2泊したが、滞在したホテルは西鉄イン福岡。福岡市内に「西鉄」と付くホテルが5つあり、さすが地元というかんじだ。8月にオープンしたばかりのホテルだが、実は2年前まで博多東急ホテルとして営業していた建物だ。那珂川沿いにありちょうど天神と中洲の中間。客室からは対岸に中洲のネオンが見え、立地はサイコウであった。もとはシティホテルなので客室も広く(ツインシングルユース)、古いながらもよくリニューアルされていた。

夕食時、天神から中洲を歩いてみた。天神は西鉄の始発駅、天神福岡駅があるが、九州最大のターミナル、そして最大の商業エリアである。あらゆる機能がここに集約されており、札幌でいえばJR札幌駅から大通、ススキノにかけてのマチ機能を兼ねているかんじであるが、スケールは博多の方が遥かに上である。この他JR博多駅もあり、ターミナルは2ヶ所あることになる。福岡空港も地下鉄で博多駅まで5分、天神まで11分とえらく近く、千歳と比較すると札幌はお話にならない。

さて本題の盛り場、中洲へ天神から歩いてみた。まさに那珂川と博多川に挟まれた”中州”に立地するのだが、ススキノと較べると意外に地味な印象であった。まず、規模がそれほど大きくなく、飲食店の数は2千軒強ぐらいということで、ススキノの較べると半分近い。
ススキノと違うところは、食事処よりもバーやクラブなどが目立つことだ。勿論、多くの居酒屋もあるが、普通の飲食店は天神界隈に多く、若者はそこに集中していた。

ススキノでは1軒目の食事から2軒目のスナックやカラオケまで同じススキノで完了するが、博多の場合、ちょっと違うようだ。それにしても博多は食べ物が安い。今は”ふく”の季節だが、3千円位からコースがある。管理人が入った割と有名な店では、とらふくコースが5千800円であった。また、どの居酒屋でも生の鯖(ごま鯖など)があり、初めて一尾姿で出てきたものをみた(何と580円)。この他にも水炊きやモツ煮込みやモツ鉄板焼、うどんも300円でお釣りがくる安さで食べられ、それも美味しく感激してしまった。

札幌の食は安い部類だが、博多には敵わないと思った。よく、単身赴任経験者にアンケートを取ると札幌と福岡が1,2位を占めるがよくわかる気がする。どちらも共通するのは食べ物が美味しいこと、そして地元の人のよさである。

ススキノと中洲、比較すると面白いが、中洲は大人のホステスさんを多く見かけた。和服を着ている人も多い。ススキノは、ニュークラブ(?)の子供ばかり目立ち、大人の女性を見かけなくなった。和服のママさんなど絶滅品種である。管理人は最近、ススキノが面白くなく、足が遠のいているが、こんなところにも理由があるかもしれない。
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ホステスさん御用達のブティック(?)

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サイト開設まもなく3年、方向性で悩んでいる昨今です

2007年10月01日掲 載

今日から10月、会社でいえば今年の第四四半期を迎えた訳であっという間だ。このところ北杜の窓ブログ更新が滞っている。観光ミシュランなどの他ページや折角開設した別ブログ「旅をマーケティングするブログ」も更新しておらず、ちょっとヤル気をなくしている。

その理由としては、サイト開設からまもなく3年、月間1万5千以上のアクセスを戴いているが、内容のマンネリが一番目の理由。北海道関連を中心にした観光や交通ニュースを紹介し、管理人流の解説、コメントを書いているが、切り口がワンパターン化しており、以前ほど各テーマに対し、熱心に、愛情を持って書けなくなってしまった。

二番目としては、発信が首都圏であり、ライブ感のある情報を伝えることができないという理由。情報収集はメディア以外からも含め、アンテナを広げているが、どうしても無理が出てしまう。現地に居ないとわからないことがある。

三番目としては、こちらが伝えたい情報とRSSなどに登録している読者の”嗜好”にどうもズレがあるということ。硬い観光産業を語る記事よりは、乗り物ネタなどの方が興味があるようだ。特にバスやフェリーなどの乗り物オタク系記事の時は反応が強い。勿論、そういう話は大好きだし、今後も紹介してゆきたいが、それがメインのサイトではない。夕張や釧路など地方衰退記事などに反応が多いのは嬉しいことだが。

また、北海道以外の観光動向を伝えたい時もあるし、全く観光と関係ない趣味の話や日常を語りたい時もある。できる限り、私的なことは避けてきたつもりだが、そのバランスが難しい。そのために別ブログを作ったが、更新できない状態。メルマガも半年以上発行できていない。

仕事とこのサイトがつながればいいのだが、最近は北海道関連の仕事(観光や交通・ナビ関連を中心にしたwebの企画制作やマーケティングなど)が少ないことも最近のパワーダウンに影響している。このままでは北海道に対する愛情や情熱も薄らいでいきそう。

サイト開設3年を迎え、どういう方向性でこれから進めて行けばいいのか迷っているのが正直なところです。当面(今年いっぱい?)はこれまでと同じスタイルで行く予定ですが、動きながら改善や大幅リニューアルを含めて考えて行くつもりです。
リピーターの皆さまのご意見や提案なども是非参考にしたいと思います。よろしくお願い致します。

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石屋製菓不祥事にみた北海道が引きずる体質について

2007年08月19日掲 載

石屋製菓の不祥事は石水勲社長の辞任に発展をした。次から次へ不祥事や嘘が表面化し、先日のミートホープの事件を思い起こさせる。これで会社が消えることはないであろうが、企業ブランドは失墜である。土産菓子はイメージが先行するので、消費者へ与えたマイナスイメージは大きく、今後、舵取りを誤れば消滅の可能性もある。

今回の事件で、北海道経済の脆さをあらためてかんじた。北海道で優良企業といわれているところには同族経営が多い。売り上げはそこそこあっても「商店」の域を脱しておらず、一度劣勢にまわると弱い。コンプライアンスへの意識も当然薄い。
北海道経済は市場が小さく、競合も育ちにくい土壌があり、お山の大将で安住してしまう。また、もたれ合い体質もある。雇用主の雇用や従業員へ対する意識も低い。北海道経済が長期低迷から脱出できないのは、そんな体質と環境が関係しているのではないか。官主導(依存)の悪癖もいまだに残っている。

また、今回の石屋製菓の事件では、マスコミも青くなったのではないか。石屋製菓はメディアの力を借りて大きくなった会社である。「白い恋人」は、利益率が高く、潤沢な資金があり、広告宣伝費に多くの予算を投じている。
これだけ広告にお金を出してくれる道内企業は少ない。本来、報道と広告は別だが、イエローメディアだけではなく、大メディアでも提灯記事のようなものばかりになり、批判的なものは書きずらくなるのではないだろうか。

北海道には道新という絶対的なオピニオンリーダーがいる。一メディアが絶対的な権力を持っているので同じ色に染まりやすいという問題がある。そこに居るとなかなか気づかないことだ。多角的な見方が出来ず、チェック機能もはたらかないという問題が生じる。

10年近く前の雪印、先日のミートホープ、今回の石屋製菓と不祥事の背景は違うが、ファクターは共通している。事件の本質には、北海道(経済やメディアも含めて)固有の問題が背景にありそうだ。北海道が引きずる負の特殊性を一度、洗い出してみるといいであろう。

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石屋製菓の不祥事について(2)

2007年08月16日掲 載

石屋製菓の不祥事は、道内メディアだけではなく、全国レベルでもかなり大きく取り上げられている。昨日のブログで、「同族経営」の問題点と、「風通しの悪さ」について書いたが、新聞各紙も概ね同様な内容である。

管理人が1995年に石屋製菓を2度訪問している。ちょうど「チョコレートファクトリー」(白い恋人パーク)が完成し、コンサドーレ(当時:JFL東芝)を札幌へ誘致しようと動いていた頃である。
当時、管理人は、首都圏から北海道への「移住」を考えており、ある方の紹介で、石屋製菓の石水社長にお会いした。菓子の方ではなく、これからサッカーやテーマパークをはじめとする新規事業を進めるのでそちらのサポートをして貰いたいといった内容であった。

完成したばかりの工場も案内されたが、その時の印象は今回の事件を予見させるようなものがあった。
同族でトップダウンのオーナー企業体質、一般社員と経営陣(ファミリー)には大きな壁があるようにかんじ、これまで関わってきた会社とは大きな違和感を覚えた。中も静かで、覇気をかんじない。
将来の展望、拡大路線の話を社長はされたが、どこか不安をかんじさせた。管理人ははじめて同族経営とはこういうものであるとナマで知った。

その後、石屋製菓は順調に業績を伸ばし、石水社長も北海道財界の若手からトップクラスへ昇進された。縁のあった会社なので成長を喜んでいたが、反面、やり過ぎではないか、本業が疎かになっているのではないかという不安があった。そして何よりも社長と対等で社内で話しができる人材が相変わらずいないのではないか気がかりであった。

企業の不祥事はある日突然、出てくるが、実は積み重ねの結果である。メディアから集中砲火を暫く浴びるであろうが、ここでいかに機転が利く対応が取れ、消費者にいいイメージを与えるかが、信頼回復のカギである、事業再開後へ大きく影響する。

「すばやく」、「嘘はつかない」、「発表ができることはすべて出す」、「頻繁な会見やリリース」、「消費者の立場になったメッセージ」、「誠意ある対応」・・・これらがキチンとできていれば大ヤケドにはならない。しかし、満足にそれができる会社が少ないのだ。

縁のあった企業なので気になりながら、成り行きを見守っている。

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暑気払い

2007年08月15日掲 載

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暑い日が続きますね。日本列島熱帯化ですが、昨日の夕方、チャリンコで海に行ってきました。海の家で生ビールを一杯!!暑気払い画像です。

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石屋製菓の改ざん事件と企業体質

石屋製菓が、「白い恋人」の「30周年キャンペーン限定品」の返品商品を再包装して賞味期限を改ざんし、通常の「白い恋人」として再出荷していたと発表したが問題になっている。また、アイスクリームからは大腸菌、バウムクーヘンの一部から黄色ブドウ球菌が検出された。

「白い恋人」シリーズは、北海道NO.1の売り上げを誇る菓子であり、石屋製菓の本社は、「チョコレートファクトリー」として観光バスも立ち寄る観光名所になっている。同施設内には、コンサドーレ札幌の練習場(白い恋人サッカー場)があり、チームのメインスポンサーとして球団運営も含め、支援してきた。また、最近では小樽運河のそばに、昭和レトロ風屋台村「小樽出抜き小路」を経営するなど本業の菓子以外でも積極的な展開をしている。

社長の石水勲氏は、これまで数々のプロジェクトを手がけてきており、北海道財界のなかでも力を急速に伸ばしている。石屋は先代が澱粉工場から出発し、石水氏は2代目にあたる。会社は云わば同族経営である。先日の「ミートホープ」でもそうだが、今回も内部告発から発覚したようだ。

その時のブログでも書いたが、同族・オーナーワンマン企業は、権力が一ヶ所に集中し、トップダウンになる。同族経営のすべてが悪い訳ではないが、会社がある一定規模に達すると、風通しが悪くなり、個人の裁量に限界がくる。そして組織も硬直化する。不二家然り、西武の堤兄弟なでもその例に当てはまる。

特に石屋製菓・石水社長の場合、本業以外で大変多忙である。もっとも基本である「菓子」が疎かになっていたのではないか。拡大戦略のツケがまわってきたともいえよう。

管理人は、石屋製菓がチョコレートファクトリーをオープンした際、ある縁があり、石水社長に館内を案内していただいたことがある。白い恋人の製造過程は、大変近代的で、細菌が検出されるようにはとても見えなかった。確か社長も「大量生産と衛星管理」について説明してくれた記憶がある。

石水社長は、首都圏のコンサドーレの試合へ行くと必ず姿があった。チームに並々ならぬ強い愛情を持たれているが、ここは菓子屋としての原点に返るべきである。ライバルである六花亭とは、対極的な存在であるが、ここは本業で勝負している。いい菓子があってこその新規事業。餅屋は餅屋であることを忘れないでほしい。

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「大型連休」よりも休暇を取り易い環境づくりを

2007年05月02日掲 載

 明日から大型連休後半が始まる。管理人は、混んで、高いGW期間中に旅行へ出る習慣はない。連休中の道内は本州に較べて、比較的空いており、特に道東方面は狙い目だが、そこまで行く交通費が高い。

最近、個人旅行の宿泊が、週末や3連休、そして大型連休に集中する傾向があると複数の宿経営者から聞いたことがある。以前であればパラパラといた平日泊り客が減ってがら空きに、ところが週末や連休になると客が一極集中し、断らなければならない状態という。宿経営者は事態を不思議がっていた。
 
どうして休日に宿泊が集中するようになったのか考えてみたが、平日に休暇を取りにくくなったことに原因のひとつがあるのではないか。
以前と比べ職場の個人への業務負担は増しており、雰囲気的にも有給休暇を取りにくい環境があるのだと思う。

政府が「ゆとり休暇」を推奨し、有給休暇の消化と長期休暇の取得を訴えても、職場環境は逆行している。3連休や旗日を増やすのもいいが、むしろ平日に休暇が取れ、休暇を分散できる仕組みをつくる方が正しい「ゆとり休暇」ではないか。

日本は欧州と違い、ロングバケーションは難しい。ならば繁忙期以外に1週間程度の休暇を年2回程度取れるようにすれば「ゆとり」の休暇が過せるはずだ。

休日の分散は、高く、混んで、希望の場所や宿が取れない不満を解消するだけではなく、観光産業にとっても入りが分散・平均化することで健全な発展につながり、一石二鳥のはずだが。

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知床「北こぶし」で世界自然遺産プロレス大会が開催

2007年03月26日掲 載

道内でマチおこしや福祉施設慰問など地道な活動を続ける道内限定プロレス団体・北都プロレスが3/31と4/1の両日、ウトロの「知床グランドホテル北こぶし」2階「北海」で知床世界自然遺産登録を記念(?)したプロレス大会を開催することになった。

当日は宿泊者は無料で観戦できるが、ホテルのブログを読んでいると「お子様、飛び入りOK!※流血などの過激な演出はありませんので安心してご覧いただけます。」と書いてあり、笑ってしまった。「過激な演出・・・・」と堂々と書くあたりプロレスもオープンになったものである。

また、北都プロレスでは4/4(水)午後6時から「チャリティプロレスinゆうばり」を夕張市の清水沢健康会館で開催する。入場は夕張市民のみで無料である。問合わせは北都プロレス℡011-791-2576 携帯090-8636-6198(中條) 。

この北都プロレスのマチおこしプロレス、地味だがコツコツやっており、好感が持てる。

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津波避難と首都圏震災による北海道パニック

2006年11月16日掲 載

昨日の地震と津波で興味深い記事が出ていた。

読売新聞によると竜巻被害を受けた佐呂間町では、対象732人のうち677人(92・4%)が避難した。一方、根室市では対象3万1426人に対し、避難所への避難者は131人(0・41%)にとどまった。この違い、まだ竜巻が生々しく残っている佐呂間町民は敏感になって当然であるが、根室の低さは「地震慣れ」からきているのではないか?

根室は地震多発地帯なので津波に対する知識も豊富で、地震には冷静である。また、高台が多く、被害に合いにくいという地理的条件もある。
テレビの警報を見て”あの程度”なら来ないという確信があったのであろう。何しろ1994年の東方沖地震ではすぐ近くの色丹島が震源で、規模も確かM8.4ぐらいで今回より大きかった記憶がある。それでも到達した津波は2m程度ではなかったか?
それに対して佐呂間町のあるオホーツクは日本でもっとも地震が少なく、安全といわれているエリア。ところが竜巻と地震がいっぺんにやってきたからそれは大変である。

過信はよくないが、根室のような地震慣れも必要かもしれない。94年の地震は震度7クラスの揺れであったので首都圏で起きれば壊滅していたであろう。災害が最小限で食い止められたのは硬い地盤と頑丈な北方住宅のおかげである。

93年の釧路沖地震以来、何度も大地震に襲われた釧路の住民もそうであるが、地震慣れしている地域は、防災への意識が非常に高く、見習うことも多い。

もし、首都圏で大地震が発生した場合、多くの難民が北海道へ押し寄せるであろう。一時的に北海道はパニックになる(国内どこでもそうだが)。そのまま定着する住民など移住者が激増して受け入れきれなくなる可能性がある。さらに札幌の不動産が高騰し、地震景気ということも考えられる。
そして、現在、推進されているシニア移住などはどこかへ吹き飛んでしまうであろう。

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爆弾低気圧と竜巻、そして地震

2006年11月15日掲 載

千島択捉沖でM8.1の大地震が起きた。津波警報などが出ているが、大事には至らないようである。実は佐呂間の竜巻を含め、このところ寒冷前線を伴った低気圧が道内の陸地に近いところで急激に発達をするので、これまで見たことがない気象パターンであり、少し気になっていた。

管理人は気象や地震(予知)に興味があるが、通常、この時期、道東方面でこのような低気圧が陸地付近で発達することはない。せいぜい冬型が強まり、千島付近で発達する程度で、等圧線が立て込み、猛烈に海上で発達するのは2月ごろからである。

しかし、この数年、気象が明らかに変だ。道東(太平洋側)はこの時期もっとも穏やかで晴天率が高いはずであるが最近はそうでなくなり、いきなりドカ雪が降ったりする。一昨年の北見などはシーズンを通して雪国のような状態であった。これが温暖化と関係あるかは何ともいえないがやはりあるであろう。

ところで千島や三陸沖で低気圧が猛烈に発達するとその後に地震がおきやすいことはご存知であろうか。この話は根室の漁業関係者から聞いた話だが、1994年の北海道東方沖地震などあの付近で発生する地震の多くが、何らかの因果関係があるようである。

想像だが、気圧の変化、磁気、海面下の変化、月齢などいろいろな要素が重なるからであろうが、偶然とは思えないことが多い。このところ震源付近でも低気圧が何度も台風なみに発達をしていた。
記憶では千葉の茂原で竜巻が発生したすぐ後に震度5の地震が千葉東方沖に起きたことがある。

非科学的といわれるかもしれないが、気象現象が地震誘導に何らかに関わり、またはサインを示していると信じている。
参考までにロシアの地震予知サイトがあるがなかなかの的中率。今回、規模は予想より大きかったが的中させている。

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北海道ジャーナリズムと道民気質

2006年09月27日掲 載

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代表的な道内時事・経済雑誌

先日、新庄引退と道民気質についてブログに書いたが、道民はそんなにアホではない、批判精神は持ち合わせており、外様には言われたくない趣旨のメールを戴いた。

あの記事は、道民に対してというより、批判することを避け、狭い世界で循環する道内メディアを意識して書いたものである。
北海道には大小様ざまなメディアがある。その中で目立つのが道内経済(ゴシップ?)誌である。代表的なところでは「ZS」、「Q」、最近では「WS」、地方都市でも「HK」や「AZ」(?)などが思い浮かぶ。

それらをイエロージャーナリズムと呼ぶ人たちもいる。
私も以前、これらのメディアに嫌悪感をかんじたことがあった。人の足を引っ張りながらも持ちつもたれずの関係を作る。雑誌同士でプロレス的ライバル関係をつくり、部数と広告収入を相互で上げてゆく。だから北海道はダメなんだということになってしまう。ある種の共存共栄であるが・・・

確かに発展性はないが、ゴシップが面白いのは常であるし、需要があるのだからそれはそれでいいのではないかと最近思うようになった。メディアの本質はどこでもそれほど変らないはずだ。
たとえば業界誌を不要と言う人もいるが、業界誌の中には良質なものもあり、業界を浄化する意味合いもある。
勿論、タカリ的なことは許されないが、総てが不要とは言い切れないであろう。私も道内経済誌で北海道の動きがわかり、読み物としても楽しめるのでたまに購入もする。

最初の話に戻って新庄の話は100%甘やかす批判精神を持たないメディアは北海道にとってよくないということ。贔屓の引き倒しと書いたコンサドーレでは去年まで在籍した選手が、昨日オレオレ詐欺で捕まった。
これまで北海道は外から来るものには批判精神を持ち合わせないのに、中からのものは足を引っ張るような体質があった。
談合体質を捨て、流されずにYESはイエス、NOはノーといえる社会がつくれれば人もメディアも変ってゆくと思うが。
これは北海道に限ったことではなく、日本すべてに言えることであるが。

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ススキノ「エンペラー」が閉店

2006年09月10日掲 載

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「エンペラー」最後のショーの告知

これまで「エンペラーの思い出」としてお伝えしたススキノにある国内最後のマンモスキャバレー「エンペラー」が9日の営業で閉店をした。
私は7日に訪ねてみたが8時以降は満席とのことで入場できなかった。9日のラストステージは夕張出身の大橋純子が出演。35年の歴史に幕を閉じた。

現在、国内に「エンペラー」のような芸能人が出演するキャバレーは殆どなくなっている。新宿・歌舞伎町にある「クラブハイツ」(ススキノにも同名があるが同じテアトル系の経営である)ぐらいしか記憶にない。昔はどのマチにもあった形態であるが、いつのまにかキャバレーは「文化財」になってしまった。
50年以上続いたショーが楽しめるようなキャバレー文化が消えるのは時間の問題であろう。

ワンランク上の形態としてナイトクラブがあったが、赤坂の「ミカド」、「ニューラテンクオーター」、「コパカバーナ」などすべて20年以上前に消滅している。
そういった意味でも昔の日活映画のワンシーンと見間違えるような雰囲気があった「エンペラー」の閉店は誠に残念である。

前回、「エンペラーの思い出」の中で名物ホステスとして紹介をしたTさん(徳川さん)は既に退店し、スナックを経営していると道新の記事にあった。
また、店の顔であった八柳相談役は病気療養中とのことでどんな思いでこの閉店を受けとめたであろうか。

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函館駅の「女性専用パスタ店」が女の時間を大幅縮小

2006年08月17日掲 載

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新・函館駅2階にある「ブォン・ヴィアッジョ」の外観

4月のブログで紹介をした函館駅2階にある”女性専用パスタ店”「ブォン・ヴィアッジョ」が大幅に女性用タイムを縮小をした(午後2時から4時のみ)。ちょうど4月中旬、オープンしたての頃に行ってみたが、男性が入れるのは女性同伴で4時以降のみということで入口だけ見て帰ってきた。

その後、この店は物議をかもした。「男性差別ではないか?」、「専用の意味不明」など道外でもネットでかなり話題となり、私もブログで「意図不明」と書いている。

最近、女性がこれまで行きにくい、使いにくい、利用しにくいといった場所にプライオリティが設けられるようになった。通勤電車の女性専用車、夜行高速バスや夜行列車の専用車両などパブリックなものからホテルでも女性専用フロアなどがある。
温泉でもこれまでは女風呂が男風呂より小さいところが多かったが、男性と同じサイズかさらに広くするなど女性客の目を意識している。
なかには女性専用の岩盤浴やホテルのレディスパックなど男性からみると羨ましいようなオトクなものも多い。
消費購買力が高い女性を狙ったサービスの開発や、これまで男性天国であった立ち飲み屋や定食屋に女性を意識したインテリアやメニュー構成などであきらかにターゲットを女性に絞り込んだものを増えている。
しかし、こういった飲食店で「男禁」を銘打っているわけではなく、女性を活用することで男性客を誘客している。函館のパスタ店の場合はそうではなく、完全な”切り離し”である。それも公共性が高い駅ナカの飲食店でやる意図が理解できない。

果たしてこのサービスが女性に受け入れられていたであろうか。「男性差別」以前の問題として意図不明で非合理性な「女性専用パスタ店」はビジネスとしても発展性に疑問があるし、女性専用車や「消費女性主導の時代」を誤って解釈したJRサイドの勇み足であろう。 

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「エンペラー」の思い出(2)

2006年08月14日掲 載

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8/11のブログで紹介をした9/9で閉店をするすすきののマンモスキャバレー「エンペラー」についての続編だ。

八柳鉄郎氏の著作にもだびたび登場するが、「エンペラー」には名物ホステスが何人かいる。その一人、Tさんは外見が市原悦子似の普通のオバサン、しかし10年以上売上げNO.1の超売れっ子である。
何しろ数万人単位の顧客データベースを持ち、自宅には数台のPCとプリンターがあり、せっせとDMを送っているらしい。私は直接話をしたことはないが、和服やチャイナ服姿でいつも忙しそうにフロアを飛び回っていた。
Tさん、ひっきりなしで指名がかかるからであるが、このオバサンの何が惹きつけるのか一度、じっくりみてみたかった。Tさん、閉店後はどうするのであろうか。

私が「エンペラー」に行くのは有名歌手(最近はB級であるが)などが出演したりする日のせいぜい年に1,2回。黒服に「ご指名は?」と聞かれても、馴染みはおらず、知っている女性の多くがバイトなので次に行くときは辞めていることが多く、親しいホステスさんはいなかった。
そのなかで唯一、印象的な女性がいるので紹介したい。

1998年頃の話だが、私はフリーで行くので指名があまりかからないバイトの女性がとっかえひっかえ席へ挨拶に来る。これは落ち着かず、気疲れするのだが、源氏名Mという函館出身のホテル専門学校2年生の子がついた。同じ専門学校の同級生3人でバイトをしていたが、少しの会話でこれまで付いた子にはなかった聡明さと勘のよさのようなものをかんじた。また、もって生まれた水商売のセンスのをかんじた、この子はひょっとして化けるかなと思い、この後、どうなってゆくか興味をもつようになった。

当時Mは「エンペラー」を遊び代欲しさのアルバイトと割り切っており、水商売には興味がないようだった。しかし、当初はかからなかった指名が、行く度ごとに増え、指名により席を離れることが多くなった。売れっ子の証拠であり、数ヶ月でアルバイト組では人気者になっていた。

それでも欲がなく、行く度、「次はもういない。辞めてるよ」と言っていたが、就職難でホテルの仕事が見つからず、学校の出席単位も足りなりようだった。
そのうちアルバイトではNO.2か3になり、ホステス全体でもベスト10に入りそうだと嬉しそうに話をするようになった。その頃からやる気が出始め、レギュラーでやってみたいと言うようになった。プロ意識を持つようになり、原色の安っぽい貸しチャイナドレスをやめ、自前の服で出勤をするようになった。

会って間もない頃はMに幼さをかんじた。微笑ましい部分とここは直した方がいいという部分があり、話し方や食事の仕方などそれとなく注意したことがある(うるさいオヤジと嫌われるのではと内心ビクビクしたが)。
しかし、次に会うとそれが少しずつ直っているのに関心した。僅か数ヶ月の間に身だしなみ、話し方などが大人のそれになってきた。女性は周囲から注目を集めていると変わってゆくことを実感した。

Mとたまに食事に行くと人生相談を受けた。当時は同棲中であり、客とのアフターをすると嫉妬から暴力を振るうビデオ屋で働くフリーターの男のことで悩んでいた。
男からみれば女が手が届かないとこへ行くのが耐えられず暴力を振るうのであろうが論外であった。
その後も違う好きな男ができ、結婚をしたいと言って相談をされたことがある。それ以外にもこちらがカウンセラーのように会うたびにお悩み解決をした。Mとは恋愛関係とは程遠かったが、えらく馬があい、変化してゆく姿を見るのが楽しかった。

その後、Mはキャバクラ(すすきのではニュークラブという)にヘッドハンティングをされた。同時に暴力を振るう男のアパートから出てマンションへ移った。
有名なキャバクラであったが、そこでもNO.2になっていた。久しぶりに顔を出したが、初めて会った頃のあどけなさは消えており、売れっ子のホステスの姿になっていた。

私はキャバクラの雰囲気がどうも苦手であった。エンペラーのようなほのぼのしたものがなく、すべてシステム化されている。ひとことでいえば遊びごころが無く、誘うのが目的の客が多く、キャバクラへはそれ一度きりであった。
そこでは、世の中から会話やプロセスを楽しむ余裕がどんどんと失われてゆくことを感じた。

暫くしてMはすすきのでは最高級といわれる新興のクラブにハンティングされた。座って5万円、ボトルを入れて7万はかかるのでとても行ける身分ではない。よく電話やメールを貰ったが、店が変わる度にMに足が遠のくようになった。

ところが3年前、スーツ姿のMと偶然、すすきので出会った。一瞬、オーラを出しているMを見て手が届かないところへ行ってしまったようなかんじがしたが、立ち話をするとすぐに昔へ戻った。
翌日、旭ヶ丘で遅いランチをした。一緒に食事をするのは2年年ぶりである。

「エンペラー」時代の昔話で盛り上がった。ふたりで小樽の雪明りの祭りに行った時、雪でJRが止まり、遅刻をして店へ入れてもらえず、日払いの1万円が貰えないで半べそをかいていた話など懐かしかった。

Mは「何でOさんは私が水商売が向いていて、そっちで仕事をした方がいいと言ったのですか。1,2回しか会っていないのどうしてそれがわかったのか不思議で」と訊かれた。
これは経験というよりは、勘みたいなものだと答えた。さらにMは「そう言われて後から暗示みたいに向いているんだと思うようにしたの。店の人は上手いこと言うけどお客さんでそんなこと言う人あまりいないから今のクラブに移る時もその言葉を思い出して決めたんだ」と言った。

「予想」が的中したわけだが、ここまで大きくなるとは思わなかった。Mには天性の素質があったような気がする。これはいくらキャリアを積んでも備わるものでなく、気質のようなものであろう。
水商売の仕事は生身の姿が出るので、単なるお色気やクチ上手だけでは長続きせず、プロとして成功するにはもっと深い部分が求められると思う。
私が知っている限り、長くお店をやっている方は皆さん人柄がいい。こちらも信用しているから長いつきああいになるのであろう。これはどんな仕事でもいえることであるが。

Mの場合、当初の無欲さ、自然でフェアな振る舞いが結果的に花を咲かしたのではないか。また、夜の仕事をしている女性のなかでは時間に正確で、几帳面である。

Mとは次回に札幌へ来る時は必ず店を寄ると言って別れを告げた。
それから3年が経過したが、まだ店へ足を運んでいない。Mは今年で28歳になった。この2年、バッタリ連絡がなくなった。

今回は「観光研究所」の内容には合わない話をしたが、エンペラー、経営する青木商事さんとは不思議な縁がいくつかある。閉店を聞いてMのことを思い出し、書いてみたくなった。
どうしているか。

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ススキノの顔、「エンペラー」が閉店

2006年08月11日掲 載

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エンペラーの入口にあるショーの告知 有名歌手は月1,2回であるが以前は毎夜出演していた
札幌・ススキノに「エンペラー」というマンモスキャバレーがあるのをご存知であろうか。
有名芸能人のショーが見られ、800人を収容できる規模で一時は札幌市内観光バスのコースにも入っていた店である。そのエンペラーが9/9で廃止されることになった。大変ショックである。

ここにはいろいろな思い出がある。たまたまエンペラーがある青木ビルの屋上に私が以前勤務していた会社のネオンサインがあった。今から13年ほど前だがそれを撤去することになり、広告宣伝担当であった私は挨拶へ行った。

その後に案内されたのがエンペラーであったが、生まれて初めてキャバレーというものに入った。チャイナドレスや和服を着た数え切れない女性がおり、フロアーを走り周っている。多分、100人はいたであろう。店には活気があり、笑い声や歓声がこだましていた。
ホステスさんはおばちゃんから若い子まで千差万別であり、まるで動物園のよう。お客さんも面白い人が多く、ボックスでうつ伏せになり、マッサージをしてもらっているオジサン。新聞紙から魚の燻製を出し、ホステスに振舞う漁師町から来た人など見ているだけで飽きなかった。
道内の地方から来る客が多いことを後で知ったが、ここに来るのを楽しみにしていたことが傍目にもわかった。

その後、エンペラーには、札幌へ行くとたまに顔を出すようになった。
エンペラーには八柳鉄郎さんという有名なマネージャー(当時は専務)がおられた。ススキノを舞台にした多くの著作を残しており、氏ならではのシュールで暖かい作風に惹かれ、殆んどの著作を読んでしまった。テレビの人生相談や雑誌のエッセーなど書かれており、北海道の方はご存知の方も多いであろう。

ちょうど八柳さんがフロアにいらした時、思い切って声をかけてみた。お客様から著書のファンだといきなり言われたのは初めてだと恐縮しておられたが、その後、何回か手紙のやり取りをさせていただいた。
ある時、八柳さんに挨拶へ行くと「Oさんの手紙に書いてあった文章、感動しましたよ。こないだの全員ミーティングで使わせていただきました」と言われ、穴があったら入りたい気分になった。

最近はエンペラーにも足が遠のき、八柳さんにもお会いしていない。既に75歳ぐらいのははずだがお元気でいられるのであろうか。閉店までに是非一度、顔を出したい。
エンペラーの話はいろいろあるのでまた書きたい。

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23年に渡り世界の難民にメガネを贈った会社

2006年07月05日掲 載

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は4日、難民救済への貢献をたたえるナンセン賞を富士メガネ(本店・札幌市)の金井昭雄会長(63)に贈ると発表した。日本人の同賞受賞は初めて。
金井会長は、メガネ店のスタッフとともに「視援隊」を組織。1983年からタイ、ネパール、カンボジア、ナイジェリアなどで難民キャンプ訪問を続け、難民の視力検査やメガネの寄贈活動を続けている。これまでに贈ったメガネは10万組以上にのぼる。(読売新聞)

富士メガネの慈善活動の話は以前から聞いていた。世界の難民の視力検査やメガネの寄贈活動に絞り込んで23年も続けてきた。企業の慈善活動(フィランソロフィ)でここまで地道に継続してきたという例はあまり聞いたことがない。まだ、メセナやフィランソロフィといった言葉がない時代からの活動だ。富士メガネには失礼だが、北海道のいち中堅企業が続けてきたというのも驚きであり、まさにミッションといえる。
時流に流されない使命感があったからここまでできたのであろう。

一般的に北海道の企業は広告にお金は掛けてもこういったことには無関心である。北海道に限らず日本どこでも最近は余裕がないので地道な社会貢献などどこかへ飛んでいってしまった。
量販店や安売り店が攻勢をかけるメガネ業界にあって23年の長きに渡り、メガネを贈り続けたという事実は賞賛に値する。
まさにホンモノであり、こういった企業はもっと評価されていいのではないであろうか。
わざわざ富士メガネで眼鏡をつくってみたくなった。

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