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王子製紙がイーグルスに変更、北海道鶴鷲対決が楽しみに

2008年07月31日掲 載

王子製紙アイスホッケー部(苫小牧市)は28日、チーム名を9月から「王子イーグルス」に変更すると発表した。名称変更に伴い、ビジターユニホームとロゴマークもワシをかたどったものに一新。武田芳明部長は「多くの市民に応援してもらえるチームを目指したい」と話した。(7/28付 毎日新聞

アイスホッケーは北海道を代表するスポーツであるが、人気の方は全道的とは言い難く、釧路や苫小牧など地域限定となっている。アイスホッケー人気は20年近い長期低迷が続くが、6チームあった日本リーグは4チームとなり、リーグ戦が成立しなくなり、新たに韓国、中国、ロシア(現在は加盟なし)を加えたアジアリーグとして再スタートした。

西武鉄道、コクドは親会社のリストラで1チームとなり、名門王子は低迷。古河電工あらため日光神戸アイスバックスは相変わらずの苦戦。代わって日本製紙クレインズ(釧路クレインズ)が台頭したが、昨シーズンは名門・王子製紙が久しぶりに王座を奪回した。

アイスホッケーは釧路、苫小牧、日光など他のスポーツではホームタウン制が成り立たないような町でも古くからのホッケー文化があり、熱心なファンに支えられているのが魅力だ。Jリーグなどが出来る遥か前から地域スポーツとして根付いていたのがアイスホッケーだ。もっとも熱心なのは釧路で次が苫小牧であろうか。

王子製紙が王子イーグルスに改名することはいいことだ。できれば苫小牧を付けてほしい気がするが。これで西武が「東京レッドアローズ」などに改名すれば、さらに地域密着感が出る。あとはホッケーの魅力をいかに訴えて動員に結びつけるか。札幌にも1チームほしい。

【参考】チーム名変更に関するリリース

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1970年代パリーグ暗黒時代の話をしよう ファイターズ編(2)「最初に自社CMに登場した選手は」

2008年07月20日掲 載

最初に自社CMに登場した選手は

これまで多くのプロ野球選手が親会社CMに出演してきた。ファイターズの場合、球団誕生から34年が経過するが、CMに登場した選手は意外と少ない。最近では新庄、小笠原、ダルビッシュ、稲葉、森本など自社CMのほかにも出演しているが、以前、特に70年代から80年代にかけて日ハム製品CMに出た選手は微々たるものだ。あの大沢監督でも出ていないのではないか。

ところで最初にCM出演した選手は誰であろうか。木田勇?「ブー」である。記憶に間違いがなければ木田の前に出演した選手はゲーリー・ジェスター内野手である。誰、それ?

ジェスター(背番号3)は、1975年1シーズンのみ在籍している。経歴はウイッキペディアによると、「サンディエゴ・パドレスを経て1975年に初の外国人野手として日本ハムに入団した。一塁以外のすべての内野を守れる事がキャッチフレーズで二・三塁と遊撃で130試合に出場したが9本塁打45打点、打率.242と主砲としての活躍を見せられず、同年オフに解雇され、大洋に移籍した。」とある。日本での通算成績は、試合256 打数888 安打212 本塁打27 打点82 打率.239 。

このジェスター選手、セカンドやサードを守っていた記憶があるが、打撃が非力という印象であった。それでもCMに登場するとは期待の大きさの表れであろう。CMは、日本ハム「牛ふりかけ」(多分、こんな商品名)で、ユニホームを着たジェスターが、お茶碗と牛ふりかけを持ち、「この味、ベェリーギュウね」と日本語で駄洒落を言うつまらないCMであった。今ならエドはるみか。

ジェスター選手は、プレーよりもこのつまらないCMの印象の方が強い。ファイターズ創設時は全く使えない外国人選手に泣かされたものだ。当時、珍しかった外国人投手をよく補強していたが、レイ、ケキッチ、カルバーなど散々な出来で泣かされた。中でもスノーという投手は契約金だけ貰い、シーズン当初に逃走して永久追放になっている。そういう意味でもジェスターはファイターズ初の外国人野手であり、親会社の期待があった。このダメ外国人については、次回詳しく書きたいと思う。

なお、このCMに関してネットで調べたが、全くひっかからない。記憶に間違いがなければ、親会社CMに最初に登場したのはゲーリー・ジェスター選手である。誰かこの選手とCM覚えている人いませんか。

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1970年代パリーグ暗黒時代の話をしよう ファイターズ編(1)「悲しきヒーローインタビュー」

先月、70年代パリーグについて書いたところ多くのアクセスを戴いた。昔のパリーグについて続編を書いてほしいという要望もあったので、今後不定期であるが週末を中心に、1970年代のパリーグ(通称:暗黒時代)について、管理人がナマで見聞きした話を書いて行きたい。

第一回目はファイターズ編(1)ということで球団創生時の頃の出来事について記憶を辿りながら書いてみたい。ファイターズの試合に関しては1970年頃の東映フライヤーズ時代から記憶があり、1988年頃まで200試合以上は見ていると思う。

実は小学校入学前から親に連れられて後楽園球場のフライヤーズ戦、また、あの伝説の東京球場でのオリオンズ戦を中心に観戦しており、あまりセリーグは見ていない。その理由としては都内に住んでいる頃、生家の近くに立教大学野球部のグランドがあり、我が家に選手の何人かが下宿していた。管理人が生まれた前後の時代であるが、その中の選手の何人かがプロ(パリーグが多かった)へ進み、その関係で連れて行かれていくうちに、野球はパリーグになってしまった。それでは本題へ。

悲しきヒーローインタビュー

ファイターズ球団は1974年シーズンに誕生した。チーム名もフライヤーズからファイターズへ、過去のカラーを払拭しようと球団社長にはあの三原脩、監督には三原の娘婿にあたる中西太が迎えられた。

当時のパリーグの人気構図といえば、ロッテオリオンズがホーム球場がないジプシー球団ながら金やん人気もあり、もっとも観客動員数が多かった。準本拠地の仙台宮城球場をメインに、後楽園、神宮、川崎、静岡草薙などで試合を行っていたが、74年シーズンはプレーオフで強豪・阪急ブレーブス、日本シリーズでは中日を破り、日本一に輝いている。

次に人気があったのは福岡平和台を本拠にした太平洋クラブライオンズである。メジャーリーグばりの当時では斬新であった赤や青のユニホーム、ロッテとのプロレスばりの仕込まれた遺恨試合などパリーグを大いに盛り上げていた。

在阪球団、阪急、近鉄バファローズ、南海ホークスは実力も接近、常に優勝候補であった。上田、西本、野村というプロ野球を代表する智将が指揮を執っていたが、関西に3球団あったことも影響してか人気はなかった。

人気面で言うシンガリは、ファイターズであった。人気がないのはその時始まった訳ではなく、東映時代から不人気であった。原因はもともとのホームであった駒沢球場が東京五輪の関係で閉鎖され、その後、神宮、そして後楽園と他球団のホーム球場に居候の格好。盟主巨人軍と同居したため、この不幸は札幌ドーム移転まで続くことになる。

1974年シーズンの年間観客動員数は55万人でパリーグ全体では4位となる。ちなみに1位はロッテの87万人で最小は近鉄の31万人である。当時はひどい水増し発表の時代であったので実数では30万人程度ではないか。1試合平均にすれば5千人弱とみる。

当然、メディア露出は今とは比較にならないほど少なかった。NHKが年間数試合放送する程度で、またプロ野球ニュースも始まっていない時代。記憶では、当時のファイターズには応援団もおらず1塁側は静まり返っていた。そこで何とか盛り上げようということで球団自ら「お立ち台&ヒーローインタビュー」を始めた。ご承知の通り、ヒーローインタビューはテレビやラジオ局が持ち回りでやるものだが、当時、ファイターズ戦が全国へ流れることは滅多にない。そこで放送が無くても、勝てば勝利インタビューを行った。

この「ヒーローインタビュー」は、球団職員がアナウンサーの代わりになって行うもので、メディア向けのものではなく、あくまでも球場内にいる観客へのファンサービスである。この時、インタビューをしていたのが、記憶に間違いがなければ、後に札幌移転へ尽力貢献し、球団社長になった小島氏である。

答える選手もあまり気持ちが入っていなかったが、この自前ヒーローインタビュー、1シーズンで終わったのではないか。最初からファンサービスには熱心なファイターズ球団であったが、試行錯誤の時代であった。今の札幌ドームを見て、小島さんは何を思うであろうか。

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巨人軍人気の終焉と野茂英雄

2008年07月18日掲 載

プロ野球の巨人軍が旭川・札幌で公式戦を行った。10年前、いやファイターズが来道する1年前までなら満員になって、プラチナペーパーであったであろうが、どちらも空席が目立った。空席があった以上に球場内に熱気が感じられず、すでに巨人は「お客さん」というかんじであった。

読売グループは今回の北海道シリーズに力を入れており、異例の番宣を繰り返していたが、やはりダメであった。北海道は長い間、巨人軍の植民地のようなかたちで道民に圧倒的な人気を誇った。管理人は疑いを持たない北海道でのミーハー的巨人人気にいい気がしなかったが、いよいよ終焉を迎えたようだ。

巨人軍の戦略は全国制覇であり、ホームタウン制を無視した時代錯誤のやり方である。だからといって東京限定にすれば人気が上昇するという訳ではない。この北海道での巨人人気の衰退、いちばん喜んでいるのは北海道新聞であろう。

今朝、野茂英雄が引退した。スポーツ紙だけではなく、一般紙も一面での異例の扱い。当然であろう。野茂の野球界への貢献は半端ではない。実は管理人の従兄が代理人である団野村氏と仕事をしており、野茂の人柄などはよく聞かされていた。ちょうど野茂がドジャースで活躍したいた頃、管理人は米系企業に勤務したいたが、調子のいいアメリカ人は私を見るなり「NOMOさん、さんしーん」などといきなり挨拶してきて場を和ませたものだ。立派なコミュニケーションツールにもなっていた。

朴訥で寡黙なところが魅力だ。何よりも信念の人、強い思いを実現させた行動は賞賛に値する。本人は拒否するであろうが、国民栄誉賞ものである。野茂のメジャー登場の頃からプロ野球への価値観が変わり、巨人人気の衰えが始まった。プロ野球は巨人だけではないことを教えてくれた意味でも貢献度は高い。

横浜BSや楽天GEなどが獲得に乗り出しだが、客寄せパンダの扱いなので復帰はしなかった。本人にしてみれば、自分を必要としてくれる球団があれば独立リーグやアマチュアでも投げたかもしれない。今日のNHKラジオプロ野球中継の解説が因縁の鈴木啓示である。アナウンサーは果たしてコメントを求めるであろうか。

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グレート草津さんと国際プロレスの思い出

2008年06月23日掲 載


IWA世界タッグ選手権 新日本プロレスとの対抗戦 草津&浜口VSヤマハブラザース

元プロレスラーのグレート草津さんが亡くなられた。酒豪だったことが寿命を短めた理由のひとつであろうか。

草津さんは天才的なレスラーであった。G草津といえば必殺・足四の字固めだが、それ以外にも真っ直ぐ伸びるルーテーズばりの美しいドロップキック、ロープに投げてのコブラツイストなど技の入り方が上手く、天才的であった。持って生まれた体格と勘のよさ、技のキレはジャンボ鶴田と共通するものがあったが、自己主張はせずに、あくまでも地味であった。

唯一、四の字固めでギブアップを奪うと、簡単にははずれないということでレフリーやセコンド数人がリングに上がってきて時間をかけてはずして行った。ライバル団体に出場しているデストロイヤーの四の字は簡単にはずれるのに草津選手の四の字は数人がかりでないとはずれない!!
これは説得力を持たせる為のギミックだが、G草津の四の字がなぜ簡単にはずせないかテレビの翌日は小学校で討論になったものだ。

管理人が小学生の頃はプロレス全盛期。金曜日夜8時は日テレ系列で馬場や猪木の日本プロレス中継があり、水曜7時にはTBS系列で国際プロレス中継があった(国際プロレスは日時がよく変わった)。
日本プロレスに比べると人気がなく、馬場の全日本、猪木の新日本の3団体時代になっても低迷がつ続き、結局1981年に団体が崩壊するまで常にマイナーな存在であった。

そんな国際プロレスだが管理人は好きで何度も観戦に行っている。メインイベントの後に金網デスマッチをやるのが恒例で、結局これが自らの首を絞めたような気がする。

草津選手は黒子に徹している印象で、常に二番手。ストロング小林やラッシャー木村に抜かれていってが、自分はトップに立たず、むしろ苦しい台所を支える為マネージメントに徹していたようだった。センスがあるにも関わらずファイトぶりはいまひとつ覇気がなく、管理人が中学生の頃は亡くなった方に失礼だが「無気力草津」などと友人と呼んでいた。しかし、晩年までIWAタッグ選手権を長きに渡り保持、パートナーもサンダー杉山、ラッシャー木村、マイティ井上、アニマル浜口と変わり、国際プロレスの歴史そのものであった。

今から10年ほど前、国際プロレス同窓会のような試合が後楽園ホールであり見に行った。この時のゲストが草津さんであったが、紺のスーツに白いYシャツとネクタイ姿で現役の時と殆ど変わらない姿をお見かけした。引退後は現役時代の名前を活かした形でサラリーマンをされていたようだが、最近では息子さんが同じグレート草津のリングネームでK1に上がっていた。

国際プロレスが崩壊したのが1981年の8月だから間もなく27年が経つ。早いものだが、最後の試合は北海道羅臼町で行われている。国後島を望む小学校のグランドが会場であったが、これほどラストに相応しい会場はない。また、国際プロレスは北海道での試合が目茶苦茶多かった。また、ススキノに国際プロレス直営の焼肉屋「国際亭」というものがあったらしいがご存知の方はいるであろうか。

東京12チャンネルが放映していた晩年、ラッシャー木村の故郷・中川村中学校体育館から中継があり、アンドレ・ザ・ジャイアントが入場するとプロレス慣れしていない観客が悲鳴を上げて逃げ惑い、体育館がパニックになったのを覚えている。木古内町からの中継では後に大スターになるダイナマイトキッドが初来日の初戦でいきなり世界ジュニア選手権であったが、どうして木古内でやったのか興味深い。

草津さんの死去、また子供時代の思い出がひとつ消えた。北京では草津さんの分もアニマル浜口親子に頑張ってもらいたい。
”赤コーナ~ IWA認定世界タッグ選手権保持者 260パウンド グレード草津~”(伏目がちで両腕を軽く上げ、握った拳をパーの字にしてガウンを脱ぐ)。

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華があってのプロスポーツ、コンサドーレは吉原宏太を復帰させたら

2008年06月08日掲 載

先日、プロ野球の復刻版ユニホームの話を書いたが、ソフトバンクホークスがホークス創設70年、福岡移転20周年を記念した南海ホークス復刻版ユニホームで登場した。管理人の記憶では昭和50年頃まで着用していたタイプのもので懐かしさで感動した。また、王監督が着る南海ユニホームは不思議なかんじがしたが、はっきりいって似合っていない!!やはり、あのユニホームは太陽(巨人)ではなく、月見草・野村克也「19」が似合う。

そんなプロ野球とは裏腹に盛り上がらない日本サッカー。最近はJリーグ観戦に行く機会も減ってしまったが、昨日はテレビで旅人・中田が登場する試合と夜はW杯予選を観戦した。先日の横浜国際競技場でのオマーンとのホーム戦は空席は目立ったが、昨日同じ会場でやった旅人出場の”花相撲”はほぼ満員。何とも皮肉なことである。

最近は代表戦でも客は入らない。Jリーグは平均した観客を集めているが、多くがコアなリピーターたちであり、プロ野球とは違ってマニアックなものになってしまった。

コンサドーレも久しぶりに一部復帰を果たしたのに盛り上がりをみせない。チーム創設時の熱さがかんじられず、管理人もスタジアムからは次第に遠ざかるようになってしまった。最初はサッカーを知らない人まで道民はコンサドーレを応援していたが、今では他チームと同様、限られた熱狂的なファンが中心である。現在、成績は17位であるが、大方の予想通りではないか。

一部復帰はしたが、昨年から大スポンサーであった石屋製菓の不祥事、経営赤字による減資など取り巻く情勢は厳しく、先行き暗いかんじだ。これはコンサドーレに限ったことではないが、大手母体企業を持たない地方Jリーグチームは残留するのが精一杯で、優勝争いなどは今のサッカービジネスのシステムでは難しいであろう。

Jリーグが始まった頃は華があった。一過性の人気ではあったがスターがいた。特にジーコ、リトバルスキー、ピクシー、カレッカ、ストイチコフ、スキラッチ、リネカーなどワールドクラスの選手が日本でプレーしていた。ところが今はどうであろう?外国人はブラジルの二線級ばかり。日本人プレヤーも移籍が激しく、馴染んだ頃には他所へ行ってしまう。

コンサドーレも今野や山瀬、エメルソンなど主力の放出で苦渋をなめている。Jリーグはチーム格差がある欧州リーグのシステムに近づこうとしているが、生え抜き選手の放出や低予算のチーム構成はサッカーをつまらなくして、ファン離れを加速させる。むこうのやり方がすべて正しいわけではない。川渕三郎がプロを100チーム作ると言っているが、その発想自体、欧州の受け売りであり、本当に地域スポーツして根付くのか疑問が残る。

最近のサッカー、特にJリーグはこじんまりまとまり過ぎていて面白くない。いちばんの問題はプロスポーツとしての華がないことである。代表戦の人気が落ちて、旅人の花相撲の方が注目されるのも仕方がない。

コンサドーレも地味過ぎてプロとしての華がない。チーム創生期スターとなった吉原宏太には華があった。新庄のレベルには遠く及ばないが、北海道にプロスポーツを根付かせた功労者でもあると思う。

もし、吉原選手がコンサドーレに復帰したらどうであろう?メディアの注目も集まるし、スタジアムから遠のいていたファンも戻ってくるのではないか。推定年俸1700万円位だが、ハイリスクのブラジル人を探すことを考えれば高い額ではないであろう。

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西鉄も遂に登場、フライヤーズ復刻版ユニホームを札幌Dで見たい

2008年06月05日掲 載

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写真上 東映フライヤーズホーム用(大杉8) 中フライヤーズビジター用(張本10) 下日拓ホーム 7色のユニホームのひとつ(張本10)

プロ野球も交流戦の真っ只中だが、最近各球団の復刻版ユニホームが目立つ。遂先日は東京ヤクルトが「ヤクルトアトムズ」時代のユニホームで登場した。

また、これまで九州時代のライオンズとは「断絶」をしていた西武が、西鉄ライオンズ時代のユニホームを着用することになった。西武球団は、通算記録などを含めて九州時代のライオンズと一緒にされることを嫌い、避けていた。これにはいろいろ理由があるが、1979年にクラウンライターから西武に譲渡される時、九州カラーの一掃を図った。九州色が強い選手の放出は当たり前、更にこれまでのファンもいらないという姿勢を取った。

この背景には堤義明の思惑があり、新球団・西武を早く定着させるために九州色の一掃の必要があり、球団を別物にする作業が進められた。それは企業側の論理、エゴであり、「必要ない」と言われたファンはたまったものではない。管理人が九州時代のライオンズファンであったことは以前のブログでも書いたが、ある日突然、応援していたものが球団オーナー側の都合により、二束三文(たったの3億円)で中村長芳(九州野球株式会社オーナー)から堤義明に売られ、消えたのだ。こんなにやりきれないことはない。当時、中村オーナーへは許しがたい感情があったが、後に私財を投げ打って球団経営を続けていたことを知った。それでも未だに怒りは解消できないものだ。

当時、高校生であった管理人は西武を応援するかどうか迷ったが、西武球団のやり方にはついていけず、ある日、池袋サンシャインビルにあった西武球団をひとりで訪ねたことがある。広報の方が対応されたが話は平行線。こちらはガキであったので上手く丸めこられたが、ひとりでよくも行ったものである。

東京在の九州時代からのファンは西武球団に抗議をしていた。なかには過激行動に出るものもおり、たとえば西武電車の車内に「移転反対」「堤と中村に天誅」などのステッカーを無断で貼ったりしたもの。シーズンが始まると、それまでのファンを追いやり、西武(コクド)本社社員がアイスホッケーばりの応援をしていたが、それに怒りを覚え、彼らに暴行をしたものなどもおり、西武球団とは険悪な関係であった。

管理人は九州時代からの選手もスタッフもファンも大事にしない西武球団とはすぐに決別をした。それ以来、パリーグファンには変わらないが応援するチームがなくなった。

話が長くなったが、それから30年近くが経過して、西武が西鉄のユニホームを着ることになった。これは画期的なことであり、旧ライオンズファンとしては嬉しいことだ。西武球団の体質も堤義明の支配が終わり随分と変わった。また、何よりもプロ野球再編などが契機となり、とファンの関係がぐっと近くなった。分断されたライオンズができてしまったのは不幸なことであり、プロ野球を公共物という視点ではなく、単なる広告塔としてしか扱わなかった当時の経営陣の意識の低さがうかがえる。

ライオンズとはケースが違うが、北海道日本ハムファイターズにも触れられたくない過去がある。ファイターズの前身は東映フライヤーズ→日拓ホームフライヤーズ(神田うのと結婚した男の父親がオーナーであったがゴタゴタに嫌気がさし、僅か1シーズンで放棄)だが1974年に現球団に売却、その際にフライヤーズをファイターズに変えている。

その理由としては「フライ」にはハエの意味があり、食肉を扱う会社としてはタブーな名称である。改名理由は他にもあると思うが、ファイターズになったことで東映カラーが一掃されたのも事実だ。球団創設期に在籍した張本・大杉・大下らが「ファイター」であり、東映球団に敬意を顕す意味でも頭の「F」を残したという話もある。

東映球団が無くなってから既に35年が経過しており、記憶がある人も少ないであろう。しかし、1970年のヤクルトアトムズのユニホームも復活し、さらに古い60年代の西鉄ユニホームも蘇る。過去に敬意を表す意味でもファイターズの東映復刻ユニホームを見たいものだ。ファイターズ球団では通算成績などに関しては東映時代からのものを合算している。

また、これは球団負の歴史だが、日拓ホームフライヤーズの七色のユニホームがある。日替わりカラーで話題を呼んだが実際は一部しか着用されておらず幻である。また、張本が似合っていなかったのが印象的である(張本本人にとっても日拓ホーム1年と巨人へ出される前の日ハム2年間は暗黒の時代のようである)。

パリーグ暗黒時代の話を長々書いたが、管理人にとっては野球少年時代のほろ苦く、懐かしい思いである。札幌Dでファイターズを応援する道産子の皆さんは知らないことであろうが、一度「東映フライヤーズ」復刻ユニホームを見てもらい、フライヤーズ時代から続く歴史を知ってほしいと思う。

【参考】西鉄ユニホームが復活、西武30周年記念
【参考】懐かしのライオンズ帽子頒布会
【参考】懐かしのユニホーム京屋スポーツ
【参考】消えた球団 東映フライヤーズ

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観客動員に苦しむスキージャンプ、旅行ツアーに取り込んだら

2008年02月18日掲 載

17日は長野五輪で日の丸飛行隊が金メダルを取ってからちょうど10年が経った日であった。

10年後、大倉山では全日本選手権とNHK杯を兼ねた大会が行なわれていた。最近、ジャンプ競技の全国中継が減ったが、夕方からNHKが放映。W杯組から外れた湯本史寿(東京美装)が2本とも130メートル以上の飛躍で初優勝を果たした。

観客席は閑散としていた。雪模様とはいえ千人にも満たないであろう。10年前は5万人以上の大観衆がいた。五輪と全日本選手権を比較すること自体無理があるが、先日の大倉山W杯2連戦も不入りであった。欧州と比較すると何でこんなに観客が少ないのだろうかとため息が出てしまう。

この大倉山は札幌市の重要な観光スポットである。管理人は昨年秋、外国人が主に利用する多言語対応の観光バスに乗ってみたが、たまたまサマージャンプの練習をしており、外国人観光客ははじめてみる「鳥人」に驚きの声を上げていた。訪れた市内観光地の中で大倉山がNO.1だと横のシンガポール人が話してくれた。

年間を通じて多くの観光客が訪れる大倉山だが、ジャンプ大会の観客動員と結びつかない。何故だろうか?まず、告知不足がある。地下鉄の駅などに日程が書いてある程度でポスターもあまり見かけない。管理人は札幌市スキー連盟のHPで調べるが情報不足である。

観光客をターゲットに、パンフレットの充実やホテルでの案内、また、個人型ツアーのオプションとしてジャンプ観戦を組み込むことはできないであろうか。冬季観光の選択肢が増えている今、ジャンプ観戦は十分に魅力がある「旅行商品」といえる。

また、アクセスの問題がある。中心街から近いのにも関わらず、直通の交通手段がない。円山公園駅が最寄だが、W杯など大きな大会以外はシャトルバスの運行はない。需要がないから仕方ないがこれでは悪循環である。

スキーバスのように各ホテルで観客をピックアップして観光を兼ねて大倉山へ向かうことはできないか。規制があるなら中央バスの定期観光コースに組入れ、大会開催日のみ運行することも可能なはずだ。

現在、観客を増やそうとスタンプラリーなども実施しているが、札幌市民対象では限界がある。ジャンプ競技観戦=観光という発想で取組めば、口コミで外国人観光客を含めて動員アップが期待できると思う。

1998年の長野五輪団体優勝メンバー4人のうち、船木、岡部は今だ現役。斉藤は雪印監督になり、昨日久しぶりにテレビに出た。そして原田は解説の常連となった。日本チームが強ければ、今の1.5倍から2倍は黙ってもいても入るはずだが。

いつまで我慢が続くか。
 

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スキージャンプの影がますます薄くなる

2008年01月12日掲 載

かつてウインタースポーツを代表するものとしてスキージャンプがあった。札幌・長野五輪ではお家芸として大いに盛り上がったが、このところの凋落ぶりは目を覆うばかりだ。主役はフュィギアスケートに奪われ、昨年札幌で開催されたノルディックの世界選手権もろくにテレビ中継されず、ジャンプ陣が頑張り、銅メダルを取ってもたいして話題にならなかった。

年が明け、本格的なジャンプシーズンが札幌で始まった。5日の雪印杯、11日の札幌オリンピック記念、今日のHTB杯、明日のSTV杯HBC杯と続き、2月2,3日は恒例の大倉山W杯だ。

実はショックだったのが全国ネットのテレビ中継がなかったことである。昨年までは東京ではTBSが雪印杯、テレビ朝日がHTB杯を中継していたが今年はなくなり、民放系カップ戦の全国中継はSTV,HBC,TVH(未定)だけとなった。
STV杯は日本テレビが例年通り中継するが、こちらもいつまで続くかわからない。STV杯中継は南海キャンディーズがゲストに出て盛り上げるようだが、お笑いを使わなくていけないほど厳しいのだ。

国内組ではいまだに岡部や東輝が一線である。トップキャリアは20年近い。海外遠征組でも葛西がトップで彼らは92年のアルベールビルからの選手である。同年にバルセロナ五輪が開かれたが、その時のトップ選手でいまだ現役はいるであろうか。

問題は若手が育たず層が薄いことだ。下川町の強化育成が話題になっているが、かつてのジャンプどころ・小樽や余市から選手が出ず、何といっても札幌出身の選手が少なすぎる。受け入れ先の実業団も廃部縮小が多く、最近は個人スポンサー型の所属形態が目立つ。。
選手の超高齢化と若手育成の課題は、日本のジャンプ競技を滅ぼしかねない深刻な問題だ。

日刊スポーツのブログで面白い記事を発見した。北海道日刊の記者が書いたもので「スキージャンプを取巻く高齢化」というタイトル。

選手だけではなく、計測員の裏方さんも平均年齢が60才を越えているのではないかとある。札幌五輪のメダル独占から36年が経過したが、いまだに時がそこで止まっている人が多いのでないか。長野からも丸10年、ノスタルジーに浸っている場合ではない。JOCやSAJも本気で草の根からの強化策を考えてもらいたい。

とりあえず今楽しみなのは、女子ジャンプの13才伊藤有紀であろうか(下川は伊藤姓が多い)。

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コンサドーレスポンサー、今後はニトリ主導か

2007年12月10日掲 載

来季からJ1に復帰するコンサドーレのメーンスポンサーにニトリがなることになった。広告料として2億円、チーム強化費として1億円を出すもので、財政難のチームにとっては救世主の登場である。

ニトリは来季からユニホームの胸スポンサーとなり、コンサ2シーズン目の97年から続いた「白い恋人」は背中ロゴにまわることになる(コンサ初年は確か胸がハドソンで背中がサッポロビールであった)。これまでコンサドーレは石屋製菓=白い恋人=石水勲色があまりにも強く、それが災いして大物スポンサーが就きづらかった。

実際、石水氏(石屋製菓)は、豪華な「白い恋人サッカー場」まで提供し、スポンサー兼チーム運営にも携わる実質のオーナーであったが、あの不祥事により、これまでと同じ形態、規模でのスポンサードができなくなった。

そこでニトリが登場した訳だが、似鳥昭雄社長は慈善事業的な活動にも熱心な方である。もともと石水氏と似鳥社長は親交があり、その関係で協力を依頼したのであろう。J1とJ2では露出効果が全く違い、全国進出を果たしているニトリにとってはいいタイミングである。

約10年続いた石屋製菓(白い恋人)主導のスポンサードだが、来季からは体制が大きく変わりそうである。

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あの平和台球場は今・・・・

2007年11月28日掲 載

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僅かに残る平和台球場スタンド

福岡といえば西鉄、西鉄といえば西鉄ライオンズ(強引、今はソフトバンクホークスだが)。ちょうど鉄腕・稲尾和久さんが亡くなる2日前に博多を訪れたが、夕方時間が少しあったので、ふらりと稲尾さんが活躍した平和台球場へ宿のある天神から大壕公園まで歩いてみた。

管理人は、西鉄黄金時代や稲尾さんの現役時代は知らない。初めて知った稲尾さんは西鉄末期に33歳の若さで青年監督として就任した時であったが、早々にあの「黒い霧事件」に巻き込まれ、鎮痛な面持ちで、涙を流していた姿が子供心に記憶にある。この時、5年で100勝を上げた池永さんが事件に巻き込まれて永久追放処分を受けている(一昨年に名誉回復された。それも稲尾さんなどの地道な運動があったからこそである)。余談だが、東中洲で池永さんが経営するスナック「ドーベル」は年内で閉店するとのことである。

管理人は、稲尾さんが監督を務めていた西鉄末期、そして太平洋クラブライオンズ・クラウンライターライオンズの大ファンであった。無茶苦茶弱くて、ハチャメチャな球団だったが、西鉄時代からの熱狂的なファンが全国にいた。

ファイターズファンには悪いが、昔の後楽園球場では、ライオンズファンの方が圧倒的に多かった。勝っている時や7回攻撃の前にはファンが内野席通路でスクラムを組んで炭坑節を唄った。懐かしい時代である。最初にトランペットで応援をしたのは広島カープではなく、ライオンズの東京応援団のはずである。
ファンは意外に若く、西鉄黄金時代を知らず、さらに博多とは縁も所縁もないような人が多かった。

その頃は、金やん率いるロッテオリオンズと稲尾監督の太平洋クラブの「遺恨対決」が有名であった。実は裏ですべて仕組まれており、ポスターに乱闘シーンの写真を使い、「平和台で決着」のようなプロレスまがいの宣伝をして、リーグから大変なお叱りを受けた。
金田監督は気の毒で、平和台では瓶や缶が集中砲火され、小便の入った一升瓶を頭から掛けられたこともあったらしいが、二人の監督はパリーグの灯を消すまいと必死に盛り上げていたのだ。

これを仕組んでいたのが、同時の球団社長の坂井さん、後に西武球団やダイエーの社長となり、、現在はプロ野球経営評論家だ。先日、亡くなったオーナーの中村長芳氏の片腕で、もともとはロッテ球団の”準オーナー”(この経緯は説明すると長くなるので省略)であったが、オーナー共々移動して西鉄を譲り受ける。
今では許されない行為だが、当時のパリーグは存亡の危機であった。太平洋クラブ、そしてクラウンライターとしてチームが消滅するまでの7年間、親会社を持たず、福岡野球株式会社という独自の法人が、営業収入のみで運営をしていた。チーム名の太平洋とクラウンは、冠スポンサー企業であり、今のJリーグと同じような経営スタイルであった。

東京のファンもかなりの過激派で、今では言えないような野次が飛び交っていた。ファイターズの名二塁手・大下などはバッドをもってスタンドに殴りこんできたし、1試合で1イニングごと全ポジションを守って有名になったTHは、何と試合終了後、ライオンズファンに一撃を食らわせようと通路で待機していた。
それを知った大沢監督が「T、お前何やってんだ!!お客さんには手出しちゃいかんぞ。お前のやっているこを考えてみろ」と怒鳴られて退散した光景を覚えている。

その後、75年に太平洋クラブの監督を辞めた稲尾さんは後楽園球場の放送席で、九州オンエア向けのラジオ解説をされていた。稲尾コールをすると放送中にも関わらず、放送ゴンドラから客席に向かって手を振ってくれた。隣りのゴンドラ(RKBとKBC)には中西太さんが解説をされており、負けじと手を振り返してくれ、お二人とも人がよかった。

ホームの平和台では、ナマで観戦することなく、チームは79年に西武に身売りされて、福岡から所沢へ移っていった。あの時の悔しさは一生忘れないであろう。あれ以来、本気で応援できるチームがなくなった。

稲尾さんはその後、ロッテの監督や中日の投手コーチになった。あの落合博満も稲尾さんの時に開花し、全盛を迎えた。
稲尾さんが何度も鉄拳制裁をしてまで育てた東尾修は、「黒い霧事件」で主力がどっさり抜け、急遽一軍へ。先発、救援と西武へ行くまでの11年間、酷使に耐えた。投球回数が300イニングを超えることはざらで、西鉄最後のシーズン72年は18勝25敗、太平洋時代の75年は317イニング投げて23勝15敗7セーブ。78年も303イニング23勝14敗2セーブ、投手が分業制になってからの記録なので意味がある。もしあのまま九州で弱いライオンズが続いていたら350敗ぐらいはしたのではないか(実際は247敗)。

稲尾さんは遥かに多い400イニングを投げていた。年間42勝、5年連続30勝はあまりにも有名だが、人間技とは思えない記録であり、史上最強の投手といっていいのではいか。今シーズンの最多勝、西武の涌井は、17勝10敗、投球回数も両リーグ最多の213イニングだが、これを見ても稲尾さんがいかに凄かったかがわかる。

今は取り壊されて、遺跡発掘調査が行われている平和台球場。スタンドの一部が遺構のように残っているが、かつてサムライ軍団がいたこの場所は、まさに兵も夢の跡だ。70年代の古きよきパリーグの時代である。

稲尾さんが亡くなる2日前足を運んだ平和台、不思議な縁をかんじた。
野球少年時代の楽しい思い出ありがとうございます稲尾さん。ライオンズ、そして平和台球場。

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上:西鉄時代の稲尾投手(ベースボールマガジン)中:太平洋クラブ監督の稲尾監督(野球カード)下:太平洋クラブのエース東尾と加藤初(ベースボールマガジン)

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力士死亡事件と相撲界(2) -相撲部屋と人材育成-

2007年10月03日掲 載

昨日に引き続き相撲の話を書く。

増位山(三保ヶ関親方)の歌で「両国エレジー」という相撲哀歌がある。確かこんな詩である。

♪朝もはよから起こされて 炊事 洗濯 拭き掃除
やっと ちゃんこに ありつけば 中身は空っぽ おつゆだけ♪ 

これは2番だと思うが、1番は夢を持って上京したが、待ち受けていたのは兄弟子のゲンコツといった内容である。大昔の歌であろうが、本質は今も変わっていないと思う。相撲部屋はまさに理不尽の世界である。

よくお相撲さんは無口だと言うが実際は違う。マスコミなど公の席では余計なことは言ってはならぬという昔から因習が残っているからだ。よく、バラエティ番組などで相撲部屋を訪問し、タレントが若い衆にインタビューするとどこか周囲に遠慮、気にするというか、伏し目がちだと思ったことはないであろうか。ひとことでいえばビビッている状態なのだ。

たとえば中学を卒業して15歳で角界へ入門したとする。人間形成が出来る以前に角界の価値観を叩き込む。世間は白でもこの世界では、親方や兄弟子が黒といえば黒と思わなければならない。そうやって自分で考える力をもぎ取り、染め上げてゆく。

管理人が相撲少年だった頃は、高卒は「理屈が多い」からと入門を嫌がられた。実際、高卒や中退で入ると自分より若い力士からこき使われる羽目になる。また、新弟子は入門後、1年ぐらいは相撲の専門誌を読んではいけないという不文律があった。まったく理解不能だが、情報遮断であろうか。

最近は大卒が増え、環境は変わったが、体育会系出身であり、日大相撲部などは大相撲などより厳しい稽古や上下関係があるので似たりよったりだ。
力のある大卒エリート力士とそうではない力士数確保要員のノンキャリア力士との差が広がり、かえって歪んだ世界になっているかもしれない。

北の湖理事長は13才で初土俵を踏んでいる。当時は中学生力士がOKの時代であった。それから40年間、独自の価値観の中で生きてきたわけである。時津風親方も自分の罪に対してピンと来ていないようだが、理事長も全く同じである。相撲界のタチが悪いところは引退しても年寄として残れる制度がある。もし、15才で入門すれば定年の65才まで50年間も同じ組織にいるのだ。

他のスポーツであれば引退をすれば他所の飯を食うが、相撲界の場合、親方で残れればそうではない。
相撲界という狭い価値観しか知らず、それが絶対になり、他者の価値観を受付けなくなる。そういう人たちが新弟子を育成しているのだ。相撲界の物差ししか知らない人たちが運営している特殊な世界であり、カルトといわれても仕方がないのだ。

管理人は、相撲部屋のライフスタイル、稽古方法(トレーニング)などいくつか疑問がある。新しく取り入れるべきもの、見直すもの、無駄なものも含め検証すべきだと思うが、外部の人間が入れないのだからどうしようもない。これまで長い間、国技という隠れ蓑を使い、アンタッチャブルな世界であった。

相撲界の暴力体質は今にはじまったことではない。戦前はヤクザが部屋に居候しており、力士ともヤクザともつかないものが沢山いたらしい。その当時から続いている悪しき伝統なのだ。

昭和の初期、古い大相撲の体質を改善しようと力士が団結し、春秋園事件を起こした。天竜三郎(プロレスの天龍の先代に当たり、今でも同氏が経営した同名の中華料理屋が銀座にある)を中心とした相撲界のクーデターであるが、参加した力士は髷を切り、ファンファーレに乗って登場した。勿論、茶屋制度なども廃止した。当時の相撲協会はあらゆる圧力をかけ、参加力士を呼び戻し、興業を打てないようにした。僅か2,3年で革新力士団は潰れたが、それ以降、相撲協会は国技を前面に出し、より閉鎖的、高圧的になったような気がする。

今回の大相撲不祥事は、春秋園事件以来の危機である。まさに80年近い膿が溜まったいたわけである。話がそれたが、力士だけではなく、親方の人材育成を含めて抜本から見直す時である。今のままでやり方を続けていればNHKも放映しなくなる。

何から手を着けていいのか気が遠くなるような作業であるが、稽古、人材教育を含め、ひとつひとつテーマを相撲界の常識、一般社会の常識、また、科学的検証を含めてやってゆくしかないと思う。

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力士死亡事件と相撲界 -時津風親方と相撲部屋-

2007年10月02日掲 載

このところニュース注目度は断トツを走る時津風部屋のリンチ殺人事件だが、相撲ファンとしてちょっとこの話題に触れたい。

朝青龍事件の時のブログでも相撲部屋のシステム、新弟子育成、イジメ、角界の閉鎖性などに苦言を呈したが、心配していたことが表ざたになった。

管理人は力士になりたかったほどの相撲追っかけ少年だった。中学生の頃は稽古見学やサインを貰いに大半の相撲部屋を訪ねている(当時は部屋数は今の半分以下の25程度)。デーモン小暮閣下ややくみつるなど齢が近い世代には相撲フリークが多い。角界入り志望は親への反抗もあり、本気ではなかったが、いじめがなく、居心地がよさそうな部屋を探したのは事実。部屋によってかなりの差があり、一般的には小部屋の方が定着率がいい。当時から陰湿なイジメ・しごきは知っており、今より遥かに上下関係が厳しい時代であった。

また、朝稽古も今はフリーでも見学できる部屋が多いが、当時は関係者以外は入ることができなかった。特に大部屋といわれる出羽ノ海や二所ノ関、高砂部屋などは、近ずきにくい雰囲気があった。重厚な鉄の扉で閉ざされており、いったいこの中で何が行われているのか悪い想像をしたものだ。

阿佐ヶ谷の花篭部屋(今の花篭とは別・輪島などがいた部屋でその輪島が潰した部屋)に行った時のことだ。部屋のすぐ近くに日大相撲部があり、学生力士も稽古に来ていた。なかには強い学生もおり、プロの力士を負かす。負けたプロの力士は稽古場の裏手に連れて行かれ、兄弟子からボコボコにされている光景を見たことがある。こんなことは日常茶飯事であったのであろう。

時津風親方の話をしよう。連日の報道で有名になったが、現役時は双津竜という四股名であった。同名の先代がおり、2代目ということになる。力士としてはつかみどころがなかった印象だ。身体は当時、高見山の次ぐらいに大きかったかもしれないが、身体を生かした相撲が取れず半端、相撲が遅く、覇気がかんじられなかった。コンニャクのようにフニャフニャしており、相撲好きの友人との間で双津竜のことを「ナメクジ」と呼んだ。あまり話題になることもなく、時津風には輪島のライバル、2代目豊山や蔵間がいたので、その陰に隠れていた印象がある。

土俵を降りると力士としては愛想がよかった記憶がある。当時、福祉大相撲や力士の歌番組があるとよく出ていた。なかなかの美声であったが、演歌が多い同時の力士間では異色で、越路吹雪の「ろくでなし」や「星降る街角」など高音・裏声を駆使していた記憶がある。あまり気持ちがいいものではなかったが。

引退後は錦島親方になり、名門・時津風を継いだ。双葉山、初代豊山と理事長を兼ねた大物の後だったので「まさかあの双津竜が時津風?」と驚いたが、名門部屋を継いだ。関取も先代の農大ルートもあり、順調に育っていった矢先の今回の事件である。

実は管理人も、事件を聞いた時、「あの双津竜が弟子を?」と思った部類である。社交的、好人物の印象があったが、実態は二面性があり、違ったようだ。

捜査を待たないとわからないが、最近の相撲界はおかしい。いや、もともとおかしかったのだが、封印されていただけである。力士、元力士、マスコミすべて言ってはならぬ不文律があり、超狭い村社会だったのだ。先日、テリー伊藤が相撲界のことを「カルト集団、オウムと変わらない」と言ったが、よく言ったと感心した。

今の相撲部屋は旧態以前としたシステムに、今の時代が持つ病巣が加わり、機能不全の状態になろうとしている。

最近の相撲部屋は、引きこもりやヤンキーなど矯正の場になってしまっている。実際、相撲部屋のホームページを見ると堂々と「問題児を逞しい子に育ててあげます」と書いてある。それも角界を代表する名門部屋のサイトだ。管理人は最初目を疑った。これが果たしてプロスポーツであろうか。
単なる養成費稼ぎ、人員確保の手段である。大相撲も落ちるところまで落ちたなと最近思っていたところの今回の時大山事件であった。

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駒大岩見沢敗れる、地区予選のシステムを変えてみたらどうだろう

2007年08月10日掲 載

夏の甲子園が始まった。開会式で駒大岩見沢、苫小牧と色違いの同じユニホームが行進し、奈良と和歌山の智弁学園のようであった。

実は「あれっ」と思った。岩見沢は南北海道ではなかったか?アナウンサーが、今年から「北」に編入されたと説明した。札幌近郊の岩見沢なので違和感をかんじたがレベルアップのためであろうか。
駒大岩見沢は今日、帝京に負けたが、苫小牧という「化け物」が登場してから、南と北の差が際立ってしまった。
資料によると北北海道勢は、1999年以来勝っていないのだ。それを見ると今の選考基準でいいのか考えさせられてしまう。それでなくても北海道予選は、支部予選で勝ち抜いたチームが地区大会に進む特殊なシステムだ。
まあ、利尻高校と根室高校がいきなり対戦するのは大変だろうが、いっそうのこと北と南を廃止して、北海道大会として行い、2グループに分けて、それぞれの勝者が甲子園へ出場できる仕組みにしたらどうであろうか。
勿論、移動の問題があるので支部予選は今の形で行い、地区大会へ勝ち進んだ学校は、北南関係なくガラガラポンして、北海道大会として予選を行う。北北海道勢は、ますます不利になるかもしれないが、底上げになるのではないか。
ケースは違うが、東京や出場校が多い神奈川、愛知、大阪でも2グループで予選を戦い、2校選出できればバランスが取れると思うが。

北北海道勢で印象的だったのは、1990年の中標津高校である。惜敗したが、旋風を巻き起こした。ちょうど中標津空港から東京への直行便が開業した夏でも鮮明に記憶している。

駒大岩見沢は破れたが、苫小牧がまもなく登場する。相手は広陵、面白い戦いになりそうだ。

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大相撲北海道巡業・朝青龍の話でも

2007年08月08日掲 載

大相撲は北海道巡業中だが、夕張巡業が8日、チャリティ形式で開催された。市民千人が招待されたが、先日はプロ野球2軍戦が開催され、これまでコンサート、プロレスなど数えきれないぐらいのイベントが実施された。また、甲子園の始球式では夕張高校の投手が始球式をしており、夕張は「劇場型社会」にすっかり利用された格好だ。市民はどういう気持ちなのであろうか。

大相撲といえばこのところ朝青龍の話題で持ちきりである。大相撲がこれほど騒がれるのは、昨年の貴乃花親方の事件以来であるが、今回は朝青龍のことを少し話をしてみたい。
管理人は幼少時からの相撲ファン。相撲部屋へ本気に入ろうと思った時期もあるほどで一般の人よりは角界のことは知っているつもりだ(当時の角界はタコ部屋なので3日もたたずに脱走したであろう)。

朝青龍への2場所出場停止のペナルティには正直驚いた。もともと角界にはこういった罰則はなく、露鵬の暴行事件での3日間出場停止が最初である。その後、旭天鵬が運転中の事故で1場所の謹慎処分になって以来である。どれもが外国人力士だが、その前にモミアゲで有名だった力士(高砂部屋)が交通死亡事故を起こした際(不起訴)は、自ら1場所謹慎を申し出てお茶を濁した格好だ。
はっきり言って相撲界はナーナーの御都合主義の世界、露鵬の事件まで罰則が規則化されていなかったのだから異常だ。

ペナルティではないが、先日廃業した旭鷲山もモンゴルでのビジネス上のトラブルから闇世界から脅迫され、大島部屋へトラックが突っ込み、その詰め腹を切らされた格好で、力を残しながら廃業をした。前述の旭天鵬も大島部屋、モンゴル力士のパイオニアであるが、ここの大島親方(元・旭国)は、巡業部長である。自分の部屋の力士二人が処分され、何で朝青龍だけがという不満もあったのではないであろうか。

外国人力士は高見山が先駆者である。彼は大変だったと思うが道化に徹して相撲界に貢献をした。帰化をしたが、日本人以上に日本的で、今でも角界に従順である。そのため、後の小錦、武蔵丸に代表されるハワイ勢は角界に同化しようと努力した。高見山という先輩がいたからこそ大きなトラブルを起こさないで済んだのだ。小錦が横綱を見送られた時、「人種差別」発言をしたが、後に封印をした。

これに対し、モンゴル勢には旭鷲山という先輩はいたが、朝青龍があっという間に頂上へ行ってしまった。管理人は朝青龍は力士というよりは、格闘者・アスリートであると思っている。彼の相撲は格闘技である。相撲は格闘技ではないのかと言われるかもしれないが、格闘技とも古典芸能ショーともいえない部分がある。朝青龍の土俵際のダメ押しや稽古場で相手に恐怖感を与えるため荒技をかけるのが、決していいことではないが、相撲を格闘技に近づけたという面では大いに評価するべきである。

彼はひとこと「やんちゃ」なのである。横綱の品格・品性・重みなどとよく言うが、そんなもの本当にあるのであろうか?また必要であろうか?
こんなことを言い出したのは、春日野理事長(栃錦)の頃からである。これまで、そんな横綱はいたか大いに疑問である。双葉山や常陸山は神格化されているが、それは「結果」であって発展途上の若者には通用しない。貴乃花がそうなろうとしていたようだが、無理があった。朝青龍が稽古で恐怖感を与えるという方法は、某大横綱が散々やっていた。言うことをきかない相手には、本場所の土俵でも「制裁」を加えていた。
また、解説をやっているダンディな元横綱(前述の某大横綱の師匠)は、「自律神経失調症」という病名で休場をして、場所中にハワイに居たことがわかり、物議をかもしたが、何のお咎めもなかった記憶がある。
大相撲を国技とし、横綱を神格化したのは、財団法人化してからの相撲協会の戦略と考えて方がいい。横綱審議委員会もあるが、あれはいったい何のためにあるのであろうか?記者や相撲ファンを集めるかweb投票でもした方がよっぽどよい。

朝青龍は、アダルトチルドレンの対極、精神分析の用語であるが、フリーチルドレンのタイプであると思う。報道が事実であれば、その脆さは理解できる。管理人流に診断を下せば「燃え尽き症候群」である。一時的にはモンゴルに帰国した方がいいと思うが、人間的成長、将来を考え自分と正面向かい合い、見つめ直して、気づくという意味では、日本に居た方がいいであろう。この最終判断は医師や親方でも無理であろう(この高砂親方は何をしているのか朝青龍以上に問題である)。

それにしても、いろいろな人物が登場し、思惑が見え隠れする朝青龍問題である。朝青龍は、自分が利用され、お払い箱にされる、それは外国人だからと思っているであろう。擁護する訳ではないが、肘がかなり悪いのは事実。白鵬が登場したので夏巡業ぐらい休みたかったのであろうが、巡業の意味を理解しておらず、反朝青龍勢の親方衆に勢いづかせてしまった。朝青龍が横綱になってから地方巡業は、不人気で極端に減っており、ギャランティを下げて、やっと数が増えてきたところだ。

朝青龍がどうなるか知らないが、相撲協会が罰則を規則化するなどシステム化を進め、曖昧さをなくしていくのはいいことだ。また、外国人の入門規制や番付面での不利など御都合主義ではない、開かれた相撲協会にしなくてはならない。これまでの協会は、暗黒の秘密結社である。相撲界が正さなくていけない部分はまだまだある。そういったものが、外国人力士のトラブルがきっかけとなって公にされていくことは、意味があることで、それだけでも外国人力士を入れた意味がある。

土俵の上でも格闘技としての相撲が見たいか、古典芸能スポーツしての相撲を見たいか意見が分かれるところだが、格闘技性が高い方が遥かに面白いはずだ。土俵の美は理解できるが、都合のいい時だけ品性や美を持ち出すのはやめてほしい。

これまで相撲界への批判はタブーとされ、抹殺されてきた。なぜか相撲ファンも暗黙の了解なのかあまり意見を言わない。国技館に来る客も優しすぎると思う。升席の大半が招待客だから仕方ないが、相撲観戦はスポーツ観戦というよりも歌舞伎やお座敷芸に来た時の感覚と似ている。だからブーイングも野次も少ない。予定調和で終わればいいのであろうが、それが続いてきて、時代と合わなくなってしまったことに気づくべきだ。これまでベールに包まれてきた相撲界だが、情報開示の時代である。そんなことはいつまでも通じない。

今回の件も含め、矛盾や不平等、また、テーマが逸れるが、陰湿なイジメ暴力的体質、相撲部屋のシステム、稽古や育成方法の見直し、身体がでかければ誰でも入門できる今の新弟子制度、年寄株や本場所制度など改善・見直しすべき点をあげればキリがない。これらのテーマに対し、協会は、「聖域」として、外部との遮断を続けてきた。相撲界への批判的な報道は、「村社会」の相撲担当記者では書けない。

朝青龍の事件で、相撲への注目が高まっている。スキャンダルでも相撲界にとってありがたいことなのだ。大相撲の世界が持つ閉鎖性、曖昧さが改善されれば外国人力士とのギャップも減ってゆくであろうし、スポーツの領域に近づくかもしれない。このままでは力士は入門しなくなるであろう。都合のいい言葉の伝統に胡坐をかいていてはいけない。

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大会をどう評価する世界ノルディック選手権

2007年03月05日掲 載

世界ノルディック選手権が4日に閉幕した。管理人は予定していた3日の宮の森へは所要で行くことができなかった。
大会は2週間に渡って行なわれたが、開幕の札幌ドーム、大倉山の団体ジャンプ以外は話題になることも少なかった。開催されていたことも知らない人も多いであろう。

テレビ中継も3日の宮の森ノーマルヒルはゴールデン枠での中継がなく、結局、独占契約をしたテレ朝がゴールデンでオンエアしたのは24日ジャンプのラージヒルとコンバインドの一部、25日のジャンプ団体だけであり、大会後半からは全く中継がなくなった。
当初は3日の宮の森はゴールデンで放映予定であったが、24日が5.6%、25日が6.5%という低視聴率のためドタキャン中止になったのかもしれない。

それにしても団体で銅を獲得し、ある意味、長野の金以上に感激をしたあの試合の視聴率が6.5%。残念だがこれがこの競技、この大会への興味度・認知度であり、五輪以外では冬季競技の視聴率が取れないことがあらためて実証された(アイスフュギアは別物)。
これではコンバインドを含めクロカン競技などは日本人選手が頑張っても永遠に陽の目を見ないであろう。

観衆も当初の予想19万人に対し、9万人しか集まらなかった。「9万人しか」ではなく、よく9万人も集まったと解釈することもできる(この数字は有料入場者であろうか)。
そのうちの3万人は開幕の札幌ドームである。もし、ドーム内で特設のジャンプ台を作り、大会を実施すれば19万人に近づいたかもしれない。戦前は後楽園や甲子園で全日本ジャンプ選手権が開催されている。冗談ではなく、話題づくりが少なすぎる。

大会を総括するとPR不足をかんじる。また、尻つぼみであった。残念ながらノルディック競技自体が馴染み薄であり、観客も楽しみ方を知らない。国内ではもっとも浸透していそうな札幌で開催してもこれが現実だ。
残念な結果であるが、あらためてノルディックスキーの日本での位置付け、北欧などの伝統国との違いが再認識された。

なお、スキー連盟の伊藤会長が岡部・葛西の両選手に対し、今後、海外遠征に参加させないと話をしたらしい。大会が終わったのでお役御免、辞めろということか。
現実的に考えればそろそろ老雄はバトンタッチであり、その方向には異論はないが、銅メダルを日本にもたらした両選手に対して今言うのは失礼ではないか。言われなくても十分にこの二人は置かれた状態を認識しているはずだ。どうもこの方、問題発言が多い。

この大会はノルディックスキー選手の成り手が少ない日本にとって子供たちに興味を持ってもらえればいちばんいいと思っていたが、「きっかけ」となるであろうか。

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久しぶりに感激したぞ。団体戦銅メダル!!

2007年02月25日掲 載

世界選手権団体戦で日本が銅メタルを獲得した。テレビの前で久しぶり興奮しながらの観戦であった。入賞できれば御の字と予想していたので大健闘、4選手が現状で持てる力を100%発揮した。期待をしていなかった分、その頑張りに感激した。

昨日のラージ個人戦ではいいところがなかった日本チーム。予想通りの結果かもしれないが、高校生の栃本が健闘し、風邪で力を発揮できなかった葛西はじめ各選手が団体戦へ向けて期すものが大きかったのではないか。

今の日本の力から考えればこのメンバー以外に考えられない人選であり、選ばれた4人は最高の仕事をした。
一番手、高校生の栃本はチームに勢いを与えた。堂々としているところがいい。よく頑張ったのが二番手岡部である。第二組は距離が伸びない中、2本とも確実に距離を稼いだ。あの長野の団体戦を彷彿させる岡部の仕事人ぶりは賞賛に値する。

このブログで何度もきびしいことを書いた伊東大貴は久々潜在能力を発揮した。あの2本目は世界で十分通用するジャンプだ。
葛西はリーダーとして安定したジャンプをした。今日の葛西は素晴らしい。これで不運な葛西のイメージを払しょくした。

限られた持ち駒で本当によく頑張った。4選手のこの大会へ賭ける意地のようなものをみた。地元開催でゴールデンタイム準生放送、大倉山の応援も後押ししたであろう。
次回は宮の森のノーマルヒル個人戦である。これで勢いずいたはず。ノーマルが得意な葛西、伊東をはじめ上位入賞が期待できる。

このメタルでとりあえずホスト国としての責任、日の丸飛行隊伝説を守ることができた。これまでにはない価値があるメダルだ。これがスムーズな世代交代へつながればいいと思うし、若手の台頭に期待する。

今日のテレビ中継の実況はテレ朝の田畑アナ、長野五輪の際、里谷が金を取った時の実況をしたアナだ。ジャンプ大会の実況ははじめてだと思うが、縁起がいいアナである。

大倉山が久しぶりに熱くなった夜であった。土曜日、宮の森が35年ぶりに熱くなってほしい。大倉山は7千人観衆であったがこのクラスの大会では少なすぎる。せめて1万人は来てほしい。

まずはおめでとう!!一時かもしれないが酔いしれたい気分だ。

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ノルディツク世界選手権はじまった。メタルは獲れるか?

2007年02月23日掲 載

FISノルディツクスキー世界選手権札幌大会が始まった。
札幌ドームには3万人近い観衆が集まり、開会式とはいえノルディツク競技としては異例の数字である。いきなりクロカンのスプリントで夏見円が距離競技これまでの日本人最高の5位入賞。いいかんじで開幕を飾った。

札幌ドームを利用しての競技、なかなかのアイデアである。管理人はドーム球場が大嫌いだが、北海道にはこういった多目的ドームが必要である。いかにも日本らしい開会式である。欧州と違って寒い野外の観戦に出たがらない(?)日本人(道産子)にも向いている。

ところでこの大会、マスコミの扱いが小さい。確かに地味な大会であり、日の丸飛行隊の長期低迷が続いている中、バリューは低いであろう。
首都圏ではNHKが少々取上げているのと大会放映を独占しているHTB(テレビ朝日)の扱いが大きいぐらいである。こういう競技は五輪以外となると難しいであろう。

管理人は実はジャンプ観戦へ行こうとかなり前から計画を立てていたが、昨年暮れに患った肺炎の関係で春まではなるべく長時間寒いところに居ないように医者から言われていた。なので自重をしたが、やはり虫が騒ぐ。

今回の世界選手権、観戦ツアーの告知などあまり見たことがない。また、全体的な告知が不十分で道外では大半の人が知らなかったではなかろうか。
今回の大会HPをみるとわかりづらく速度も遅い。サーバー等環境が脆弱であるがこれは欧州で管理しているのであろう。

管理人ファンのジャンプ競技の予想を立ててみよう。各紙と同じであるが、メタル到達はきびしく、入賞狙いが常識の線だが、地の利や自然相手の競技なのでなにが起きるかわからない。こういう書き方はしたくないが、「神風」に期待をしたいところである。
また、葛西には後半、宮の森で開催されるノーマルヒルで期待をしている。メタルを取らせて有終の美を飾らせてあげたい。伊東大貴にも入賞を期待する。

今度のジャンプ人選で納得いかない点がある。今期、あれほど好調だった東輝を外したことだ。大倉山に強く、海外のW杯(それもフライング)でも優勝をしている爆発力があるベテランだ。世界選手権へ賭ける意気込みは半端なものではなかったので本当に残念だ。

スキー連盟では当初「今回の大会は経験を積ませる選手ではなく、勝てる選手を優先させる」といっている。東輝はむらがるという理由で選考から外されたが勝てない選手であろうか?
この言行不一致には納得がいかない。

明日、明後日は大倉山で個人戦と団体戦が行なわれる。五輪以外でははじめてのゴールデンタイムの中継ではないか?世界中(おもに欧州)の目が集まっているので札幌ドームにいたくらいのお客さんに集まってほしいと思う。
来週の宮の森、行ってしまおうかな(秘)。

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札幌ドーム命名権売却と公共性

2007年02月03日掲 載

サンケイスポーツによると札幌ドームが、命名権を売却する方向で検討を始めたという記事が出ていた。

施設の命名権を企業などに売却するネーミングライツはここ数年、大流行である。日産スタジアム(横浜国際競技場)、味の素スタジアム(東京スタジアム)を皮切りにこの3,4年で瞬く間に広がり、現在では20施設以上あるらしい。

札幌市や道の命名権売却については昨年から話があった。真駒内屋内競技場や道立体育センターなどが売りに出されたが、成果は芳しくなかったようだ。

いちばん疑問に思ったのが、札幌ドームがどうして売りに出されないかということであったが、理由はドーム自体は黒字であることや、サッカーW杯もやった会場なので「聖域」という意識もあったのであろうか。
しかし、札幌ドームを所轄する札幌市は、赤字続きの財政難の折、歳入拡大が必要である。

このネーミングライツ、売却すれば年間億単位の収入が入る。しかし、安易に売却するのは危険な気がする。

これは民間施設だが、西武ドームは4年前、IT企業のインボイスへ売却、そして、今年からはグッドウイルへ変わる。西武球団では地域密着を目指し、球団名を埼玉ライオンズに変える計画だそうだが、球場名が企業名だとその意義が薄らいでしまって地域密着感がわかない。まだ西武ドームの方が地域性をかんじるが。

余談だが、以前、近鉄球団が大阪近鉄へ球団名を変更し、更には大阪バッファローズにする予定と聞いた時、やっとプロ野球にもJリーグのような地域密着ホームタウン制の時代が到来するかと思った。しかし、実体は球団売却への布石であったが西武もそう疑われても仕方ない。

公共施設の命名権を売却する際は何らかのガイドラインが必要ではないか。
たとえば契約年数、地域に根付いている企業、社会貢献度が高い企業、商品名はダメなど何らかの条件があってもいいと思う。その場合、選定が難しいが該当なければ辞めるぐらいの勇気があってもいいと思う。これまで命名権を買った企業にはイケイケ(死語)のところが目立つ。

もし、大倉山ジャンプ競技場がIT企業に買われたとしたらどうであろう。たとえば「楽天シャンテ、K点135メートル」と聞くと違和感をかんじるであろう。甲子園球場がカタカナの企業に買収されたらどうであろうか(現状では考えられないが阪神が阪急に買われる時代である)。

札幌ドームの場合、北海道に根付いた企業(例:サッポロビールなど)など条件をつけるべきと考える。できれば真駒内や体育センター(ここは道立だが)など他の施設も一括して命名権を与えた方がスマートであると思うが。

プロレスファンにお馴染みの「札幌中島体育(スポーツ)センター」という名称、聞いただけで胸がキュンと来る人も多いのでは。それは40年以上の歴史でつくられたネーミング=記憶=公共地域性だからであると思う。

夕張の場合もそうであるが、売っていいもの、悪いもの、また、そのやり方というものがあるはずである。
金儲けをする前に考えること、できうることがあると思うが。
あまりに不器用、策がなく、世知辛いものをネーミングライツからかんじる。

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ノルディック世界選手権まじか、久しぶりのジャンプ観戦だが

2007年01月14日掲 載

この週末は今シーズンはじめてスキージャンプのテレビ中継を見た。
2月には札幌でノルディックスキーの世界選手権が開催される。その選考を兼ねたHTB杯とSTV杯であるが、今年はW杯遠征組も帰国したので中身が濃い大会になるのではと期待した。

しかしながら土曜日に開催されたHTB杯は外国人選手が優勝、岡部が4位に入ったのが最高であった。今日のSTV杯は東輝が何と14年ぶりの優勝。管理人は東はてっきり引退したものだと思っていた。東3兄弟の末弟、大倉山3連勝やW杯優勝など実績のある選手であったが、一発屋の印象が強く、競技生活も長くなった。

全身で優勝の喜びを表した東輝の姿は感動モノであり、ベテランが活躍してくれることはファンとして嬉しいが、未だに葛西、岡部、東輝が第一線で活躍しているのは異常なことである。彼らの年齢は30代の半ばであり、ジャンプ競技としては超高齢選手である。昔なら考えられない年齢であるが、彼らに頼らなくていけないのが現状である。

世界でこれだけの高齢選手が飛んでいるのは日本だけである。長野どころかリレハンメル、アルベールビルに出た選手がまだ現役だ。葛西などはV字になる前のクラシック飛行の時代から一線にいる。

若手の層が薄く、安定した成績を残せないので結局、ベテラン頼りになってしまう。
今年の世界選手権はこのままではベテラン中心の布陣となりそうである。個人的には優勝やメタルに縁がなかった葛西に花を持たせたいがメタルには届かないであろう。
今シーズン(世界選手権)が終了すればベテラン組は引退するであろうが、それに代わるエース級が出てこない。伊東大貴への期待は高いが今日も2本揃えることができなかかった。
昨年のトリノの前にも同じようなことを書いたが1年たっても変化がない。
今は日本ジャンプ競技最大の危機といってよいであろう。抜本的な強化対策の見直しが求められる。

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”562万パワー”で勝ち取った栄冠

2006年10月27日掲 載

今朝はこの話題に触れざるをえないであろう。
北海道日本ハムファイターズ44年ぶりの日本一。44年ぶりではなく、実質の初優勝といっていい。

今から二十数年前、ファイターズの本拠地後楽園球場にはこんな音楽が流れていた。
♪F・I・G・H・T(途中略) 100万パワーの僕らが見方 GOGOGO~ ファイターズ優勝だ GOGOGO~ ファイターズ皆のファイターズ♪
初期の応援歌であるが、疎らなスタンドに響き渡っていた音楽が今でも耳に残っている。

歌詞の100万パワーとは78年頃、パリーグではじめて観客動員が100万人を越えた。それから取ったのであるが、当時は主催者発表であったので実数はその半分程度であろう。何よりもファイターズを応援しているファンというものが殆んどおらず、ビジターチームの応援団にぼろくそ野次られ、肩身を狭い思いをしていた。

今回の優勝、まさに札幌ドーム4万2千人の観衆と562万北海道民の応援の賜物である。地域に根付くことは、コンサドーレの例や地域性、道民気質などからある程度予想はついていたが、こんなに早く結果が出るとは思わなかった。

3年前の今頃、東京ドーム最後の年、スポーツ新聞社に勤務する友人の紹介でファイターズの打撃投手兼スコアラーの伊藤栄祐氏と呑みに行った。
その時、伊藤氏は札幌移転を心から楽しみにしており、他の選手もファンがいない東京に嫌気がさしており、心待ちにしていると話していた。
40年近い間、不人気が続いた東京時代から、僅か3年で変わってしまった。

しかし来年こそ正念場である。ヒルマンも新庄も小笠原もいない。今年の千葉ロッテの轍を踏まないためにもファンは暖かくも、甘やかせず、批判精神も持ちながら末永く応援してほしいと思う。

それがチームのためであるし、北海道のためである。早く「北海道スタイル」を確立してほしいと優勝を見ながら考えた。

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”辞めないで新庄”掲示板に見た道民気質

2006年09月22日掲 載

日ハムが好調である。このままいけば1981年以来の優勝や、札幌ドームでのプレーオフ開催も現実味を帯びてきた。これもファンの後押しがあってのことである。

管理人はファイターズの後楽園(東京ドーム)ホーム時代、更に遡れば東映フライヤーズの頃から試合を見ている。
私が生まれたか生まれない頃、立教大学野球部の合宿所が実家の近くにあり、選手の何人かが我が家へ下宿をしていた。立教が強かった頃であり、プロへ行った選手も多い。その中で我が家へ集まった選手は在京パリーグ行きが多く、東映や後のロッテなどに入団をした。

そんな関係もあり、物心付かない頃からスタジアムへ行っていた。特に後楽園でのファイターズ(フライヤーズ)観戦が多く、5歳から25歳の間に300試合ぐらいはナマで見ていると思う。
当時はガラガラ、客の野次が球場に響き渡り、怒った選手がバットを持って殴りこんでくような古きよき時代であった。張本、大杉、大下、岡村、坂本などサムライ熱血漢タイプの選手が多かった。
どちらかというと悪役のイメージが強かった球団が、今ではベビーフェースであり、隔世の感がある。

前置きが長くなったが、先日、道内のJR駅で日ハム新庄引退を阻止する「ONE MORE SINJYO」の掲示板が張り出されているのを見た。私は札幌、帯広、釧路の各駅でそれを見たが、どれも新庄の引退を惜しみ、引き止める内容であった。
冷やかしや批判はなく、どれも暖かい内容だ。新庄ならびにファイターズは本当にいいファンに恵まれていると思った。

しかしながら私の中は「?」だらけである。4月の大事な時期に突然引退を発表をした。あの時のヒルマン監督の噛み殺したような表情から察すると事前に聞かされていなかったのではないであろうか。
普通なら大ペナルティものである。北海道のメディアも引退を良心的に受け止め、盛り上げ、批判めいた記事はなかった。商業価値がある新庄だから許されることであり、同じコトを小笠原がやったらどう評価されたであろうか。

北海道人は総じて人がいいと思う。それは素晴らしいことであるが、全てを吟味することなく受け入れてしまうような傾向がある。コンサドーレにしても同じことがいえ、大事にされるあまり贔屓の引き倒しになってしまっている(最近のサポータはかなり厳しいがいいこと)。

雰囲気に流されず、事実を冷静、客観に受け止めてから行動に出ることも必要なのではないか。

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巨人戦の放映中止は広告戦略の転換点

2006年08月02日掲 載

フジテレビでは、8月8日、9日、10日の「東京ヤクルトVS巨人」(於 神宮球場)の3連戦を『フジテレビデジタルナイターまつり』と銘打って大きくブームアップします。
CSデジタル放送、WEBサイト、携帯サイトの3つのデジタルメディア横断プロジェクトが初めて実現し、身近にあるあらゆる端末からLIVEの迫力に手軽にアクセスすることが可能になります。プロ野球の持つ魅力を、これまでにない新しい形で、日本中の野球ファンにお届けします。(フジテレビリリースより)
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先日のブログで「スタジアム広告と媒体効果」を書いたが、今回はスポーツ中継そのものの広告効果について考えてみた。
昨今、巨人戦視聴率低下が問題になっているが、フジ(CX系)では3連戦すべての地上波放映を中止した。これまで3連戦あれば1試合程度を抜くことがあっても「完全撤退」ははじめてのことである。
平均視聴率10%以下ではTX系(テレビ東京はキー)をも下回り、スポンサー離れを加速させるであろう。
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今回、CSとWEB、携帯をつかった3媒体中継をはじめて試みるが、今後の野球中継だけではなく、テレビのあり方を伺う意味で大変興味深い。

テレビとネットの融合がいわれて久しいが少しずつであるが変化が出てきている。大きな流れとしてはテレビ局がネット化に傾いていると思われるが、問題はビジネスモデルや収益が流動的で不確定であることだ。民放各局は広告料が収入源であるが、現在、テレビCM広告費は年間20411億円(2005年度)である。これに対し、ネット広告は2808億円であり、テレビが広告費全体の34.2%なのに対し、ネットは4.7%とかなりの開きがある。とはいえネット広告が去年はじめてラジオ広告を抜き、今後、ネットがテレビに接近し、パワーバランスが崩れることが予想される。
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プロ野球中継はJリーグがはじまるまでは国民的娯楽であった。今でも関西地区では阪神のジャイアンツ化(むしろJリーグの地域密着に近いか?)でNO.1のエンターテイメントを維持している。
視聴率の低下は野球人気が下がったのではなく、テレビコンテンツとしての野球の魅力がなくなっとことが大きいと思う。CSやWEB、携帯などメディアが増え、多様化したことで茶の間に座る時間が減り、どこでも楽しむことができる。HDDレコーダーがあれば”CM飛ばし”で後からの観戦も可能だ。

また、プロ野球ファンのニッチ化が進んでいるのではないか。これまでセリーグ、巨人一辺倒であったファンが、パリーグや阪神などに振り分けされており、パワーバランスが完全に崩れてしまった。
プロ野球全体の動員数は増えても巨人という核が脆弱化し、分散されれば全国放送が難しいであろう。
サッカーでは代表戦が人気なのに対し、Jリーグの試合に地上波テレビがつかないがいい例である。
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このままではいつのまにかゴールデンタイムから消えたプロレス中継やヒットチャート型の歌番組と同じ運命を辿りそうである。プロレスや歌謡曲番組が消えたのはそれそれ事情は違うが、背景には視聴者の嗜好の多様化に対応できなくなった点がある。
今後はWEBからの中継であれば、ネットの特性を活かしたユーザーの嗜好に合わせた広告の投入や、ネット広告からテレビ広告へつなげるようなメディアクロス型の展開になってゆくであろう。
また、マス市場特有の曖昧さが多く、効果測定が難しいテレビCMから撤退や戦略を変える企業が続出することが予想される。

今後、プロ野球はJリーグ化していくであろう。頼みはWBCのようなサッカー型のイベントかプロ野球の甲子園化であろうか。

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スタジアム広告と媒体効果

2006年07月26日掲 載

今日は広告マーケティングの話をします。

先日、楽天の本拠地フルキャストスタジアムからのゲームをNHKBSで見ていた。気になったのが氾濫する球場広告である。ここは昨年から楽天がホームにしているが、以前の長閑な雰囲気の宮城球場と違い、いかにも突貫工事で作った外野と内野席の中間に位置する歪に突き出した客席、以前はオール芝であった外野席も前部が椅子席で特別席となっているほか大改装がされている。

もともと老朽化が激しい球場を改造したものだが異様なつくりだ。そして、これでもかというくらいに広告が各所に貼られている。スコアボードなどは広告のなかにスコアと選手名が埋まっているかんじでポータルサイトがリアルに現れたようだ。
全体的に不快感をかんじる。多分、旧県営宮城球場時代の10倍以上は広告があるであろう。これではNHKの地上波では頻繁にカメラアングルを変えなくてはならず放送にならない。
しかし、楽天球団は広告収入のおかげで昨年は黒字となった。

こういったマーケティングデータがある。ファンがあるドーム球場に訪れ、球場を出た直後思い出せる広告は50社のロゴのうち10%も思い出せないというものだ。さらに時間が経過すれば記憶はもっと薄くなるであろう。
広告は多すぎるとかえって効果を失う。フルキャストのように汚らしく(そう見える)広告を並べている球場などはなお更であろう。
昔、後楽園球場があった時代、外野フェンスの広告主(サクラカラー、森永チョコレートなど)を今でもいくつか思い出すことができる。もっとも商業主義的であった後楽園でも数は限られており、広告効果があったのだ。
また、広告が付きにくい不人気球場はスペースが空いているいるので意外に印象に残る。近鉄の本拠地であった藤井寺球場などは外野フェンスの広告が疎らであったが、「近鉄特急で伊勢志摩、スペイン村」へなどが頭にこびり付いている。視聴率調査と同様に単純な露出回数では効果がわからない。

Jリーグが始まった時、リーグスポンサーは一業種一社とした。チームスポンサーも同様であり、バランスがいい広告配置が成されていた。その後、Jリーグ人気の後退もあり、最近では小枠のスポンサーの広告も出しているので楽天のスタジアムとあまり変わらなくなったが、それでもリーグ管理の下一定のルールがある。

現在は広告が巷に氾濫している。ブログなど個人メディアの時代が到来しているので、広告主はより一層吟味して広告を出すべきであろう。
また、スペースを提供する側の意識、モラルも問われる時代だ。

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高校野球の概念を打ち破れ、駒苫

2006年07月25日掲 載

大旗は海峡を越えた―駒大苫小牧野球部の軌跡大旗は海峡を越えた―駒大苫小牧野球部の軌跡
田尻 賢誉

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第88回全国高校野球南・北海道大会最終日は25日、夏空の広がった札幌円山球場で午後1時から決勝戦が行われた。室蘭支部代表の駒大苫小牧が札幌光星を11―1で下して優勝。4年連続6度目の夏の甲子園出場を決めた。(苫小牧民報)
 
駒苫強し。昨年からの公式戦連勝を44とした。これまでの池田、PLなどの強豪校と比較しても桁違いの強さであり、安定感と併せて高校野球のレベルを超えている。
強さとはただ試合に勝つことだけではなく、二度の不祥事が続いたのにも関わらずそれを乗り越え、動ぜずバネにした強さにある。こういった高校チームはこれまでみたことがない。

道内では既に敵なしであり、甲子園でも投手陣の大きな崩れがない限り、優勝候補NO.1であろう。
判官贔屓を抜きにしても恐ろしいほど強く、魅力的なチームだ。3連覇達成という偉業だけではなく、これまでの高校野球の概念を打ち破ったチームをつくってほしい。激動の1年を過した香田監督にも大いに注目している。

また、初出場の帯広・白樺学園高校にも相乗効果でまず1勝を期待したい。

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コンサドーレの試合を観てかんじたこと

2006年05月02日掲 載

久しぶりにコンサドーレの試合を見に行った。30日、東京・西が丘サッカー場で行なわれた東京ヴェルディ1969戦で試合は0対2で敗れた。
西が丘は小さいスタジアムだが推定2千人近いコンサドーレファンが集まっていた。連休ということで北海道から来たサポーターもいたが、相変わらずアウェーでの動員力もすごい。

チーム誕生から今年で丸10年、北海道初のプロスポーツとして根付いたが、ここへきて翳りもみえる。予算削減によるチーム強化方針の転換により若手主体に変更、実戦を積ませながらの強化のためなかなか勝てず2部で低迷している。

選手の移籍も激しく、出場している選手の多くのプロフィールがわからない。きっと他の多くのサポーターも同じはずである。選手の平均年齢も23ぐらいであろう。
スタジアムから見ていても選手はただのあんちゃんにしか見えない。プロとしての「華」というかオーラがかんじられないのだ。

チーム創成期に活躍した吉原宏太やウーゴ、バルデス、岡ちゃんの時のエメルソンや山瀬、今野などが懐かしい。かつてアルシンドも短い期間ながら在籍していた。
以前にも書いたがプロスポーツは華がなければいけないと思う。特にコンサドーレは人気チームである。若手育成→高く売るのもサッカービジネスであるが、スター選手やレベルが高い外国人選手が居てこそのプロサッカーである。
今は予算を抑えてじっくり育成というやり方であろうがその間にコンサドーレは忘れられてしまうであろう。

今期、横浜FCが好調である。高木琢也が監督となり、カズ&城のツートップ、元フリューゲルスの山口と話題には事欠かない。キワもの的と白眼視する人もいるかもしれないが、こちらの方がプロとしての華がある。

コンサドーレは5年計画でJ1復帰を目論んでおり、今年はその4年目である。まあかなり悠長なことを言っていると思う。

西が丘のスタンドは相変わらず暖かかったがサポーターの数はかなり減っている。コアな連中は相変わらずだが家族連れサポーターが少なくなった。このあたり弱いせいもあるが、スターがいない、選手がすぐに変わり馴染みにくいといった要因があるのではないか。

また、日ハムが全道単位でファンを獲得しているのに対し、コンサドーレは札幌集中型の気がする。
Jリーグ自体、ファン構造がかなりマニアックになってしまっているが、今一度大衆へ目を向けるべきである。


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