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星野哲郎先生と北海道 そして私的な思い出

2010年11月22日掲 載

先日85才で亡くなられた作詞家・星野哲郎先生の追悼番組が昨日NHKで放映された(総合では1時間 BSでは1時間半で別構成)。代表作を挙げろと云われても多すぎて困ってしまうが、管理人は「365歩のマーチ」が好きである。元気がない時、スランプの時などはいつのまにかこの歌詞を口ずさんで歩いている。シンプルだが、まさに人生の応援歌だと思う。また、美空ひばりの「みだれ髪」は氏の集大成といってよいのではないか。

 

北島三郎の「函館の女」、「風雪ながれ旅」はまさに真骨頂、「函館」からは連絡船が目に浮かび、北海道上陸の高揚感が伝わってくる。さらに「風雪」の♪あいやー あいや 留萌 滝川 稚内♪などは単なる語呂合わせではなく、地名からリアリティをかんじる。多分、星野先生は真冬に同所を訪れたのではないか。

星野先生は北海道が大好きであったらしい。「好きですサッポロ」など多くの作品で組んだ作曲家の中川博之先生から直接聞いた話だ。この中川先生も北海道が大好きなのだが、何でこんな話を知っているかと云うと、数年前に中川先生のパーティにとある縁で行ったことがある。「ラブユー東京」や「さそり座の女」など60~70年代ムード歌謡の巨匠だが、管理人は昭和歌謡・特にこのジャンルが好きで、そのあたりで意気投合して二次会へ繰り出し、星野先生の話を聞いた。

実は星野先生とはその前、1984年に六本木で飲んだことがあるのだ。管理人は大学4年生、ちょうど就職祝いでミニクラブのような店に連れていかれたが、隣の席で星野先生がひとりで飲んでおられた。かなり出来上がっており、ピアノの生演奏で唄う客にいろいろ口を出していたが、プライベートでも素人の歌が気になっていたのであろうか。

そのうち、こちらにも番がまわってきて、たしか「ラブユー東京」かロスプリモスの他の歌を唄ったと思うが、星野先生から生意気な小僧のようなことを散々言われた。管理人の世代でこういう曲が好きだというのは気に入ったということで、席に呼ばれて乾杯をした。口うるさい酔っ払いのオジサンだったが、それから身近に感じるようになり、氏の作品を注目するようになった。シャイで口が少し悪く、酒場をこよなく愛する詩人といった印象であったが、憧れのタイプでもあった。

詞の本当の意味、深さなどは若い時はわからない。今回、亡くなってあらためて聴いてみると海への思いなどその詞から氏の生き様が見えてくる気がする。硬から軟なものまで何でもOKの職人気質の方であるが、基本は人生の応援歌である。「365歩のマーチ」などはあまりにも、シンプルな内容だがこういう詞を書ける人はいないと思う。リアリティがある。

先生の晩年の作品「ラ・サッポロ」をyoutubeから貼り付けた。赤平の炭鉱出身のコーラスグループ・アローナイツの曲だが、星野先生が北海道を愛されていることがよくわかるロマンチックでせつない歌詞だ。無名曲だが紹介する。

 

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映画「桃尻娘」の時代と女性の自立、そしてアンノン族のひとり旅

2009年08月01日掲 載


にっかつ映画「桃尻娘」から 78年公開


前回のブログで旅をしない若者をテーマにしたが、今から30年前の若者は我先にと旅をしていた。特に女性のひとり旅がブームになった頃で、雑誌「anan」、「nonno」の旅情報に触発された乙女たちが旅に出て行った。世間でいう「アンノン族」である(今でもこの死語を使う中高年は多いが)。


金沢、高山、萩、津和野、鎌倉、角館など小京都と呼ばれる町は賑わいを見せたものだ。管理人の親戚が萩駅前で土産物屋を営んでいるが、その頃は大行列、しかしながら今ではその面影すらないらしい。「anan」の創刊が1970年なので乙女たちも40代後半から還暦に届こうとしているのだ。70年代前半が「ディスカバー・ジャパン」、後半が「いい日旅立ち」である。


そんな時代の女性たちを描いた小説に橋本治の「桃尻娘」がある。ふたりの女子高生(のちに女子大生)を主人公にしたものだが、映画化もされた。

桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール(1978年4月29日公開)
桃尻娘 ラブアタック(1979年4月28日公開)
桃尻娘 プロポーズ大作戦(1980年4月26日公開)

主演は幻のアイドル・竹田かほり(榊原玲奈役)と亜子(田口裕子役)。にっかつ作品であったので、一作目は成人指定であったが、動員がよかったので2作目からは一般映画となった。

youtube画像を貼り付けたが、高校を卒業した竹田かほりが傷心旅行で「あずさ2号」で出かけるシーンが収録されている。1977年に大ヒットした狩人の「あずさ2号」は当時の国鉄もキャンペーンに参加するなど異例の力の入れようであった。本当に8時ちょうどの「あずさ2号」の指定席は取れなかった記憶がある。

映画では、それをダシにしているのだが、実際の新宿駅ホームや列車も登場する。車内の撮影もホンモノのようだが、この作品は成人映画である。当時の国鉄が許可したのであろうか?もしかするとゲリラ的な撮影かもしれない。隠れた名作「新幹線大爆破」は国鉄の許可が下りずに隠しカメラで撮影をしたと聞いたことがある。それにしても1978年当時の新宿駅は懐かしい。

一作目は金沢へ行くが、「桃尻娘 プロポーズ大作戦」では小樽へ旅立つ。まだ、昔の運河の時代で、小樽が注目を集め始めた頃の映像でこちらも懐かしい。


さて、主演の竹田かほりを幻のアイドルと書いたが、活動時期が短く、日活から一般作品に出始めた途端に結婚引退をしてしまった(多分、出来ちゃった婚)。23才ぐらいであった。相手は甲斐よしひろだが、かなりのショックであった。ふたりの娘はミュージシャンの甲斐名都である。 詳しくは知らないが、写真で見る限り可愛い。しかし、お母さんにはかなわない。今はどんな奥さんになっているのであろうか(今年で51才です!!)。

「桃尻娘」を紹介しようと思ったは先日亡くなられた山田辰夫さんが竹田かほりと何作が競演しており、とても懐かしくなったので、このブログのテーマとは外れるが書いてみた。


ところで玲奈の相棒を演じた亜子は全く銀幕に登場しなくなってしまった。公式HPを見てみると脳の病気と統合失調症で、障害者と書いてあった。ちょっとショックであった。映画の「レナちゃ~ん」と叫ぶ、あのトーンが忘れられない。

今回、初めて知ったが、3作共に音楽は長戸大幸である。あのZARDの坂井泉や「思い出の九十九里浜」のMIKEを生み出した名作曲家&プロデューサーである。この人の感性、素晴らしいと思う。


30年前の乙女たち。当時は「もう頬づえはつかない」など女性の自立がクローズアップされ始めた時代だ。無理して、突っ張っていた乙女も多かったが、アンノンや「るるぶ」を抱えて旅に出た。隔世の感だがとても、とても懐かしい時代だ。

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「こまどり姉妹がやってくる」が山形県白鷹町の音楽映画祭で上映、独創性がある地域イベントだ

2009年07月29日掲 載

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3年前の拙ブログで釧路出身のこまどり姉妹をテーマにした映画「こまどり姉妹がやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」が公開(2006年12月予定)されることを紹介した。その後、この作品公開に関する情報がなかったが、昨日、TTY様より山形県白鷹町で開催される映画祭「しらたか的音楽映画塾」で上映されることになったという連絡をいただいた。


7/31にはこまどり姉妹本人たちの歌謡ショー、8/1にはトークショーが開かれる。映画はドキュメンタリー・ロードムービー風のようだが、制作のアルタミラは「卓球温泉」、「スウィングガールズ」、「ウオーターボーイズ」といったメジャー作品からゴールデンカップス、田端義夫、釧路で倒れた高田渡などのドキュメンタリー作品も手がけている。「歌謡曲だよ人生は」もそうだが、この会社の作品の3分の2以上は見ているので管理人好みなのかもしれない。

また、映画祭自体も音楽とのコラボであり、昨年の講師があがた森魚と三宅伸行、ゲスト歌手は宮史郎で、何とも面白い組み合わせだが「歌謡曲だよ!人生は」と結びつけたのであろう。地方なので演歌の協力も動員には欠かせないであろうが発想力が素晴らしい。今年の映画講師は「歌謡曲だよ・・・」の監督である磯村一路氏。滝田洋二郎監督と同時代にピンク映画から出てメジャーになった方だ。


滝田監督といえば話が逸れるが、「おくりびと」にも出演した監督と同級の山田辰夫さんが亡くなられた。管理人は大ファンだったので大変なショックを受けているところだ。メディアでは「名脇役」と報じているが、管理人の中では違和感がある。デビュー作の「狂い咲きサンダーロード」の狂気(主役)、「オンザロード」や「ヨコハマBJブルース」など初期の頃の作品の存在感はずば抜けていた。特にどこか抜けているチンピラ役が素晴らしく、昔の水谷豊や哀川翔を遥かに凌ぐものがあった。最近は登場回数が減り、役も変わったが、ふたたび注目を集めだしたところだったので本当に残念である。

日本映画が不振であえいでいた80年代前半には自主制作やピンク(ロマンポルノ含む)から多くの人材を輩出して、彼らが日本映画のけん引役となり、日本映画隆盛の時代を迎えたのだ。


話が戻るが、白鷹町のイベント、かなりサブカル的な地域づくりイベントであるが、過去のプログラムも見ても独創性があり、魅力があるものになっている(初期の頃のヨコハマ映画祭に似ているが)。こまどり姉妹の映画と共に楽しみである。31日は無理だが是非行ってみたいイベントである。

TTYさん、情報ありがとうございます!!

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阿久さん没後1年、「ざんげの値打ちもない」に四番が存在した

2008年08月06日掲 載

昨夜の「NHK歌謡コンサート」は没後1年となる阿久悠氏の特集「歌よ時代を語れ」が放送された。つい先日も日本テレビ系ドラマで『ヒットメーカー 阿久悠物語』が放送され、「スター誕生」の番組光景を再現したシーンなどリアルタイムで育った管理人にはたまらなかった。

昨夜の番組は、小林旭、尾崎紀世彦、都はるみ、石川さゆり、山本リンダ、森昌子、ささきいさお、八代亜紀、五木ひろしなどが御馴染みの代表曲を披露、あとなぜかジェロと松浦亜弥が出演した。ジェロは、阿久氏がもっとも思い入れがあったといわれる鹿内孝の「本牧メルヘン」を唄ったが、これはいだだけなかった。この曲が醸す雰囲気は鹿内本人でないとダメと信じる。なんで本人が出演しなかったのであろうか。松浦は『わたしの青い鳥』を歌ったが、意外に上手いのにビックりした。歌詞は間違えていたが。

そして今晩の目玉は何といっても北原ミレイの『ざんげの値打ちもない』だ。管理人は阿久さんの作品の中でもっとも好きな詩で、昨年のブログでもこのことは書いている。これまでの歌謡曲(流行歌)の常識を覆すようなショッキングで、斬新、且つ掟破りな歌詞である。これが流行った頃は小学生であったが、同じ頃、阿久さんの作品で森山加代子の「白い蝶のサンバ」も流行っており、歌って先生に叱られたものだ。

そして、「ざんげの値打ちもない」に幻の4番の歌詞があることがわかり、はじめてテレビで披露された。阿久さんサイドにも詞が残っておらず、北原ミレイが最初にレコーディングをした時の記憶を辿って復活をした。まずは1番から3番までの歌詞を

あれは二月の寒い夜  やっと十四になった頃
窓にちらちら雪が降り 部屋はひえびえ暗かった
愛というのじゃないけれど 私は抱かれてみたかった

あれは五月の雨の夜 今日で十五と云う時に
安い指輪を贈られて 花を一輪かざられて
愛と云うのじゃないけれど 私は捧げてみたかった

あれは八月暑い夜 すねて十九を越えた頃
細いナイフを光らせて にくい男を待っていた
愛と云うのじゃないけれど 私は捨てられつらかった

そしてこうして暗い夜 年も忘れた今日のこと
街にゆらゆら灯りつき みんな祈りをするときに
ざんげの値打ちもないけれど 私は話してみたかった
 
そして幻の四番である。

あれは何月 風の夜  とうに二十歳も過ぎた頃
鉄の格子の空を見て  月の姿がさみしくて
愛というのじゃないけれど  私は誰かがほしかった

これはスゴイ。どうしてカットされたのか理由はいくつか想像できるが、まずはリアル過ぎて暗すぎる。もうひとつは、当時の歌謡曲はテレビ向けに3分以内で終わるようにつくられたものが多い。四番までいくとかなり長くなるからなどが考えられる。

楽曲からすでに38年が経過したが、全く色褪せない。番組のタイトルの通り、阿久さんの楽曲は、時代を語っている。売れっ子の頃は詞が曲を喰ってしまうような気がし、あまり好きではなかったが、後になってそのスゴさに気付いた。昭和の名人である。


なお、幻の4番歌詞は1971年東映映画「ずべ公番長・ざんげの値打ちもない」(大信田礼子主演・彼女は都倉俊一氏夫人なので阿久悠氏とは因縁をかんじる)の中で、北原本人が歌っているらしい。

【参考】阿久悠氏死去と「ざんげの値打ちもない」

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都はるみの「小樽運河」、気になる歌詞

2008年04月16日掲 載

先日、歌手の都はるみの最愛のパートナー中村一好さんが自ら命を絶たれた。プロデューサーとしては大変才能があった方のようで石川さゆりの「天城越え」、都はるみの「千年の古都」など演歌を超えた演歌を作っている。

担当作品の中に「小樽運河」がある。この作品は都はるみカムバック第一作のもので1990年にリリースされている。吉岡 治 作詞 弦 哲也 作曲


メロディはこちら
 
精進落としの 酒を飲み
別の生き方 あったねと
四十路なかばの 秋が行き
セピア色した 雨が降る
イェスタディを聴きながら
二人歩いた
あぁ 小樽運河

誰のせいでも ないけれど
これで終わるの 始まるの
あなたはほんとの 男なら
私一人に させないわ
イェスタディを抱きしめて
揺らぐガスライト
あぁ 小樽運河

上りのディーゼル 待ちながら
やっぱり明日も 漂って
傘をあなたに 貸したまま
セピア色した 雨が降る
イェスタディをもう一度
窓のむこうに
あぁ 小樽運河

イェスタディをもう一度
窓のむこうに
あぁ 小樽運河

これまでの演歌にない演歌、むしろ新ジャンルを創ろうとしている意気込みをかんじる曲、詩、アレンジである。メロディは「星の流れに」(菊池章子)、「東京ブルース」(西田佐知子)に似てないこともなく、アレンジは「センチメンタルジャーニー」(松本伊代ではない)を参考にしているが、けじめをつける旅、団塊世代と思しきヒロインに「イエスタディ」となかなか意欲的な詞である。

気になるのは3番目の歌詞、「♪上りのディーゼル 待ちながら」である。驚いたのは「ディーゼル」というフレーズ。小樽駅から上りといえば倶知安、長万部方面である。小樽から先は電化されたおらず、すべて気動車・ディーゼルカー。作詞の吉岡治氏はそこを忠実に再現しており、具体的で、職人技だ。

普通の演歌歌詞ならこの部分、「♪上りの列車を」、「♪上りの夜汽車を」あたりが来るであろうが、「ディーゼル」と使ったことでリアリズムが発生している。「♪上りの気動車」では田舎臭く、マニアになってしまう。いろいろな部分で新生・都はるみを送り出そうという意気込みがかんじられる曲である。

このヒロイン、上りのディーゼルに乗ってどこへ行ったのであろう?「小樽のひとよ」の時代なら函館まで客車に揺られ、青函連絡船乗船だが、時代は1990年。倶知安あたりでもう一度「上りのディーゼル」を待ったかもしれない。

それにしても小樽運河」の楽曲はいい感性。しかし、垢抜けすぎていて大ヒットには結びつかなかったのであろう。「千年の古都」もいいが、それまでの唸り節の都はるみとは違いすぎてファン層を捕らえられなかった。現実と理想の狭間で創作活動は難しい。

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デュエットの王道「北空港」と遠距離恋愛ソング

2007年12月06日掲 載

先日、歌手の桂銀淑(ケイウンスク)が覚せい剤で逮捕された。
この人、だいぶ前に札幌のホテル客室で暴れてスイートルームを破壊したという話を聞いたことがある。クスリをやっているのではないかと噂されていたが、やはりそうであった。

彼女と作曲家・浜圭介のデュエットソングに「北空港」がある。あまりにも有名で、デュエットの王道を行くような曲だが、この歌の歌碑が新千歳空港ターミナル2階にある。ボタンを押すとメロディが流れるが、「逮捕された人の名前を掲げておくのは、観光施設としてふさわしくない」と理由で、今週中にも歌碑から「唄・桂銀淑&浜圭介」というシールをはがすことになってしまった。浜圭介さん、お気の毒である。

管理人も「北空港」は好きな曲。北海道で唄ったことはないが、これを歌うと千歳か札幌(ススキノ)にいるような気分になる。
この曲のテーマは、ススキノのホステスさんと店のお客さん(多分、転勤か頻繁な出張で北海道に来る道外の男性)の恋愛という「定番」ものである。

こういう関係をテーマにした曲は多く、ロスプリモスの「札幌の星の下で」の歌詞では、♪泣きじゃくる 泣きじゃくる 千歳の空を 今日も飛ぶ あのオーロラよ♪という部分がある。ここに出てくる「オーロラ」とは、昭和40年代、真夜中に東京-千歳を飛んでいた「オーロラ号」のことだ。きっと好きな男が、ススキノで飲んで、午前2時頃に千歳を飛び立つYS11で帰ってゆくのであろう。いい時代である。

千歳ではないが、最近歌碑ができた「小樽のひとよ」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)も東京と小樽の遠距離恋愛ソングである。その後、アンサーソングとなってシリーズ化されたが、この曲のイメージは空港ではなく青函連絡船である。今から40年も前の曲だが、当時、東京と北海道は遠かった。遠距離恋愛の舞台には最高である。

時代は遡り、バブルの頃には東海道新幹線の日曜最終列車を舞台にしたユーミンや山下達郎の”シンデレラエキスプレス”のCM(You Tubeの画像、懐かしいです)が流行した。この頃になると便利な新幹線のおかげで頻繁に逢えるようになり、遠距離恋愛にも悲壮感がなくなっている(主人公は日陰の女ではなく、男女雇用均等法が施行され、総合職ではたらいているようなOLのイメージだ)。関係が対等になっている。

「北空港」も同じ時代の曲だが、航空機の大衆化により、札幌まで頻繁に会いに行けるようになる。

管理人もこの頃から金曜夜の飛行機か「北斗星」で北へ向かうようになった。北海道新幹線開通までまだ時間があり、当面は遠距離恋愛が絵になりそうな北海道である。

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阿久悠氏死去と「ざんげの値打ちもない」

2007年08月01日掲 載

今日から8月。北海道や観光産業の話題と関係ないが、作詞家の阿久悠氏が亡くなった。ここ数年、たまにテレビで姿を見ると身体が不自由そうで、どこが悪いのかと思ったいたが、がん闘病中であることは知らなかった。
ちょうど今日は甲子園の全代表が出揃った日。毎年、この時期になると阿久氏は、愛する高校野球に関するコラムや詩を書いていたが、これも何かの偶然だろうか。そういえば朝日放送系「熱闘甲子園」のテーマソングは阿久氏の作詞。詞は流れないが、確か高岡健二が歌っているいい歌だ。

昭和歌謡の全盛に育った管理人にとって阿久氏の作品は強烈な印象を残している。歌詞がまるで絵コンテのように焼きついてきて、言葉の天才といえよう。若い頃は、その強すぎる詩が曲を喰ってしまっているようにかんじられ好きになれなかったが、後からその凄さがわかってきた。決して曲を喰っておらず、むしろ最高に引き立てているのだ。同時期に活躍したなかにし礼とは、剛と柔で対極的な作風であるが、文学的であることには共通している。

阿久氏の作品は5千近くあるそうだが、管理人が最近お気に入りなのが、もっとも初期の頃の作品「ざんげの値打ちもない」(1970年・北原ミレイ)である。おそろしく重く、ドラマチックな歌詞であり、それまでの歌謡界の常識を破る、ある種の掟破りのような作品である。若き日の阿久氏のパワーをかんじ、本人もお気に入りのようだ。
以前、この作品のイメージを「ポルトガルの教会のクリスマスの夜」だと聞いたことがあるが、すごい発想力である。

先日、日本映画で「歌謡曲だよ!人生は」が上映された。昭和歌謡黄金時代の名曲12曲をモチーフにした短編12作品で、そのなかで「ざんげの値打ちもない」もオムニバスのひとつになっている。余談だが、ざんげの値打ちもないは、1971年「ずべ公番長・ざんげの値打ちもない」(大信田礼子主演・今、彼女は都倉俊一氏夫人なので阿久悠氏とは因縁をかんじる)というタイトルで映画化されている。すさまじい題名だが、当時は東映夜の歌謡シリーズなどヒット曲と抱き合わせた作品が多い。
尚、札幌のシアターキノで4日から「歌謡曲だよ!人生は」が上映されるので、興味がある人は見てほしい。

「ざんげの値打ちもない」の画像をYouTubeで調べたが、ないのでカラオケ(インストロメンタル)で紹介。
♪1
♪2
♪3

強烈なインパクトをリスナーに与え、作詩の世界に革命をもたらしたといってもよい阿久悠氏。長く歌い継がれるであろう。

【参考】阿久悠氏オフィシャルサイト

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小樽文学館で昭和歌謡の企画展を開催

2007年07月09日掲 載

小樽をテーマにした名曲は多い。大半が昭和中期から後期にかけてつくられたものだが、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」にはじまる小樽シリーズ、昭和後期には都はるみの「小樽運河」や裕次郎の「北の旅人」など枚挙にいとまがない。
「小樽のひとよ」が流行ったのは幼少だが、それでも強烈な記憶があり、管理人にとって、それが小樽の原型となっている。

名曲を生んだ小樽だが、運河近くにある市立小樽文学館で7日から企画展「昭和歌謡全集小樽編-流行歌にみる戦中・戦後」がはじまった。
小樽にまつわる名曲や小樽にゆかりがあるナンシー梅木こまどり姉妹などの資料が展示されている。

最近は昭和懐古ブームで、歌謡曲でも映画「歌謡曲だよ、人生は」という名曲をテーマにしたオムニバス式の映画が上映中である(見た)。今回の展示が、テーマパークのようなエンタメ系ではなく、伊藤整や小林多喜二などの小樽文学系の展示で有名な文学館でやるところに意味がある。何度か文学館は訪ねているが、好きなところだ。9月2日までやっているので行ってみようと思う。

実は、管理人、行きつけの小料理の仲間と年に貸切で数回カラオケ大会をやる。それもふつうのカラオケではなく、テーマを決めて唄うのだ。これまでの例でいうと「70年代アイドル」、「ご当地ソング」、「ご当地ソング海外編」、「乗り物に関連する唄」、「色がつく唄」などバカなイベントをやっている。小樽に関連する唄でも結構ありそうであるが、ひとまわりでネタ切れしそうである。

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内山田洋氏死去で考えたグループリーダ論

2006年11月06日掲 載

少し話題を変えましょう。

今日の新聞各紙に元クールファイブのリーダーであった内山田洋氏が亡くなった記事が出ていた(享年70)。前川清離脱後はメンバーがひとり去り、二人去りでお笑いに近いようなことをやっている元メンバー(あの小林さんが後川清とホットファイブというモノマネグループにいる)もおり、悲しい思いで見ていた。

クールファイブ転落の最大の原因は前川清の個性が強すぎ、ボーカルが前川ひとりであったため、その後の修正がつかなくなったことだ。通常、歌謡コーラスは2人以上のメインボーカルを抱えているが、クールファイブは前川ひとりで、次の準備をしていなかったのではないか。

管理人はクールファイブのCDを持っているが、そのなかで前述した南州太郎似(古い)の小林さんの歌を聞いたが、とても聴けるものではなかった。クールファイブ凋落の原因は、申し訳ないがリーダーの落ち度といえよう。

クールファイブと同じ「中ノ島ブルース」を唄う北海道出身のグループでアローナイツをご存知であろうか?クールファイブの「中ノ島ブルース」はもともとアローナイツの持ち歌で競作となった。中ノ島の詞はもともとすべて札幌がテーマである。また、メンバー全員赤平の炭鉱出身のバンド仲間という異色グループであった。

アローナイツは決して楽器などは上手くなかったようだが、ヤマ出身らしい団結力を誇った。そこそこ売れていたが、1990年頃にリーダーの秋庭豊が亡くなった。その後、再スタートをきったが、メンバーがひとり去り、ふたり去りで今はボーカルの木下あきらがアローナイツを名乗ってソロで活動している。
アローナイツもセカンド・ボーカルがいなかった。残りのメンバーはどうしているのであろうか。

グループを束ねるのは難しい。独裁者といわれても亡くなったいかりや長助のような強烈なリーダシップも必要であろう。また、包容力、寛容力も大事である。
東京ロマンチカのリーダーで「小樽のひとよ」の作曲家である鶴岡雅義などはメンバーが何度も出入りを繰り返しながらもメインボーカルを育成し、とぼけた顔をしながら「危機」に対応している。
リーダーはボーカルで稼がしてもらい、ボーカルは有名にしてもらった恩がある。条件をクリアすれば気持ちよく、どこかで送り出すのが、リーダーの度量であろう。

クールファイブの場合、前川清としてみれば充分、ご奉公をしたので卒業したつもりであろうが、結果的には喧嘩別れのようになってしまった。詳細はわからないが両者の器量が問われると思う。
音楽グループに於いてもリーダーのリスクマネージメントが問われる。

よく、子供の頃、マネをしたクールファイブごっこ、大人になったからも何十回とカラオケで唄った。特に「逢わずに愛して」が好き。これでまた昭和歌謡黄金時代が遠くなってゆjく。
内山田氏のご冥福をお祈りします。

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「こまどり姉妹がやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」12月に公開

2006年08月28日掲 載

先日、このブログ欄で双子のリリーズを取り上げたところ思わぬアクセス数をいただいた。
そのリリーズの姉貴分といえばザ・ピーナッツを思い起すであろうが、もう一人忘れていけない「双子」がいる。同じ北海道出身の「こまどり姉妹」だ。

そのこまどり姉妹が今夜、テレビ東京系の「昭和歌謡大全集第27弾」(27回も続いているのは賞賛だ)に久々テレビ出演をしていた。七五三のような派手な振袖は健在であったが、昭和の塊のような濃い番組であった。特に「うぐいす芸者歌手」特集というタイトルで芸者スタイルの歌手のアーカイブスをやったが、さすがテレ東といいたくなるようなお宝映像であった。
さて話が逸れたが、こまどり姉妹の映画が近々に公開されることをご存知であろうか。

昨年の春頃から映画を撮っている話は道新で読んで知っていたが、全く内容がわからなかった。ネットで調べるとタイトルが「こまどり姉妹がやって来る ヤア!ヤア!ヤア」(スゴ過ぎるタイトルだ!!)。
監督は片岡英子。この人も知らない。こまどり本人が主演なので多分、ロードムービー風なのであろうか。 公開は今年の12月にされそうだ。

こまどり姉妹というと不幸一色いう子供の頃のイメージが残っており、これほど薄幸さが似合う歌手も珍しいであろう。リリーズを一緒にしては失礼かもしれないが、リリーズにもデビュー時、翳りに似たものをかんじた(美しいものとして)。

両者の歩んだ道がまるで違うので比較の対象にならなが、北海道出身の双子歌手(こまどりは釧路出身)であり、ブランクからの復活などいくつかの共通点を思い浮かべた。

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ばんえい競馬が舞台 「雪に願うもの」を見て

2006年05月29日掲 載

週末、久しぶりに邦画を見た。ばんえい競馬を舞台にした『雪に願うもの』である(道内は4月に先行ロードショー)。
詳しいストーリーなどについては公式HPを見ていただきたいが、一度は故郷を棄てた青年(伊勢谷友介)と兄(佐藤浩市)の不器用な対峙と兄弟愛をばんえい競馬の厩舎を背景に描いている。人生の居場所を失った青年が自分と同じように崖っぷちに立たされてしまうウンリュウという馬に巡り会い、再びスタートラインにつく物語である。

前評判の高い映画であったが見ての感想は意外に凡作であった。人物設定、心理描写などが中途半端、兄弟関係も型にはめられ過ぎており、豪華な脇役陣も含め活かしきっていない印象を受けた。テレビドラマの延長線レベルであり、根岸吉太郎監督の作品としては評価が低いのではないか?
評価が分かれるところであろうが、見終わって印象が薄い作品であった。

原作は帯広在住の作家・鳴海章の小説「輓馬」。2000年に公開されたロードムービー『風花』に続く作品だが、前作では相米慎二監督がメガホンを取り、「輓馬」を読んだ相米監督が映画化を希望していたが、2001年に他界。根岸吉太郎監督がその遺志を引き継いだ。

『風花』で新境地を開拓した小泉今日子が再び厩舎の賄いの役で出演していたが、彼女の空気のような存在感が出ていなかった。

廃止も検討されている「ばんえい北海道競馬」であるが、この映画で多少のPRになったであろうか。
ばんえいは10年以上前に岩見沢で見たことがある。馬体重と同じぐらいのハンディを背負いながらのレースは壮絶であり、先入観としてあった動物虐待のイメージとは異なり、見応えがあるものだ。

道東で細々と行なわれている草競馬(ギャンブルではない)とばんえい競馬は北海道開拓の歴史そのものである。つきなみの言葉だがいつまでも残してもらいたいものだ。

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