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湿原画家・佐々木栄松さんが逝く 思い出深い釧路駅構内のステーション画廊

2012年01月13日掲 載

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佐々木栄松さん 98歳(ささき・えいしょう=画家)11日、急性腎不全のため死去。前夜祭は12日午後6時、発葬祭は13日午前10時、釧路市昭和中央3の54の1のベルコユアホール釧路西。喪主は法定代理人の高野範子さん。自宅は釧路市南大通3の3。幼少より独学で 油彩などを学び、道東の風土をテーマにした心象作品を制作。釧路湿原を描いた数々の油彩は高い人気を集め、「湿原の画家」と呼ばれた。一方、画壇には属せず、公募展にも出品しない「孤高の画家」としても知られた。(1/12付 毎日新聞 大盛り北海道

佐々木画伯は湿原の絵画を中心に独自な手法で最晩年まで絵筆を取られていた。釧路駅構内にあった「釧路ステーション画廊」は氏の美術館であり、1987年の開業から閉鎖される2009年10月まで20年以上に亘り、展示を続けていた。

管理人は釧路へ度々訪れていたが、ギャラリーの存在を知ったのはだいぶ後から。列車待ちの時にたまたま訪れたが、湿原の作品以外にも生命力溢れる色使いを気に入り、何度か足を運んでいる。

いつもギャラリーは無人であったが、それが逆にホッとさせてくれ、釧路へ来た実感を味わえたものだ。佐々木画伯はギャラリー閉館後も高齢にも関わらず、創作を続けている話を聞いていたが天命が訪れたようだ。

釧路駅前の北大通には「ささき画廊」という老舗の画材店がある。そこには画伯の作品もあり、てっきりオーナーかと思っていたが、関係ないらしい。独自な作風は魅力的であったが、孤高な印象があり、殆ど知られることはなかったと思う。

釧路ステーション画廊がなくなって3年近くが経過するが、不思議なあの空間が好きだった。いつも受付に居り、佐々木画伯の作品を心底愛されていたYさんも訃報をどう思われているであろうか。

ご冥福をお祈りしたい。

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ステーションギャリー閉館の際の佐々木画伯からのメッセージ

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旅行雑誌の草分け「旅」が休刊、旅が「非日常」ではなくなったことで使命を終えたのでは

2011年11月22日掲 載

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写真左から創刊号(1923)、1963年7月号、1997年8月号*創刊号のみ復刻版

大正13年(1924年)に創刊された日本初の本格的旅行雑誌「旅」が、来年1月20日発売の3月号(通巻1002号)で休刊することが決まった。発行元の新潮社が21日に発表した。(11/21付 読売新聞

旅行雑誌の草分けである「」(新潮社)が来年の3月号で休刊する。最盛期の昭和40年代には20万部を越えたが、その後部数は減り続け、2004年に発行元のJTBが新潮社に譲渡。ターゲットを女性に変え、内容も海外旅行をメインにするなど刷新を図っていたが低迷が続き、2009年から隔月刊となっていた。

管理人は大変お世話になった雑誌である。おもに中学生から高校生時代、また社会人となってから1988年頃からJTB発行の最後の頃にかけて愛読をさせてもらった。70年から80年代にかけては国内から海外までテーマが幅広かったが、ふたたび読みはじめた頃からは鉄道やバスといった乗り物、温泉、ひとり旅、北海道など内容が「JTB時刻表」愛読者が好みそうなテーマに変わった。マニア度は高くなったが、著筆の顔ぶれは豪華であり、信頼性も高かった。管理人も何度か投稿させていただき、すべて掲載されたが懐かしい思い出である。

「旅」は1923年創刊、戦時中の休刊はあったものの、その間1003号まで85年続いたことになる。管理人はバックナンバーをコレクションしているが、その時代背景、文化・風俗などが見れて大変面白い。時刻表からも世相が垣間見れるが、「旅」はストレートにそれが伝わってくる。

旅行雑誌はかなりの数が消えた。専門誌に代わって「サライ」や「自遊人」のような大人向けの趣味誌がその受け皿になっている。鉄道雑誌でも同様である。先日、「旅と鉄道」が復刊されたが、北海道観光マスター氏がそれに関し、鋭く、適確な書評をでされている。

女性誌も以前にくらべると旅特集が減っている気がする。やはり、インターネットが旅情報の主役となり、一方通行の情報では限界があろうであろう。そういう意味では「旅」は一定の役目を果たしたと考えられる。

しかし、新興の「旅ガール」(エイ出版)は交流型でネットとの融合を図りながら実用的な内容で健闘している。「旅」は海外がメインであったが、「旅ガール」は身近な国内であり、このあたり「旅」は読み物、「旅ガール」は山ガールの「ランドネ」同様に実用書に近く、”アンノン”の流れを引いているとも云える。新潮社とエイ出版の方向性の違いがよく見える。

40年前に「anan」が小京都ブームを起こし、若い女性たちが挙って旅に出たが、それは当時あまり知られていなかった場所を紹介し、それが新鮮であったことがムーブメントを引き起こしている。

「旅」休刊の背景には、ネットの普及やレジャーの多様化、若者の旅離れなどもあるが、旅が非日常的なものではなく、身近になったことも大きいと思う。新幹線などの発達で所要時間が大幅に短縮、安くなった航空機や高速バスなど選択肢も増加、女性が安心して泊まれるホテルが増えるなど旅の質が変わってきている。

遠くに出向くことが特別なことではなくなり、機会も増えた訳だが、たとえばその目的が都会にコンサートや買物へ行く、また、旅行といってもお手軽な温泉に1泊旅行など旅が本来持つ感動とは異なるお手軽なものになっていると思うが、それが今の旅なのであろう。

管理人はひとり旅に出ると開放感と孤独感の中、「遠くへ行きたい」のメロディがよく浮かぶ。あの詞、あのメロディは雑誌「旅」が長年かけて育んできたメッセージではなかろうか。

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観光を通じて日本が見えてくる 「日本の観光黎明期」展

2011年11月07日掲 載

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東京・汐留にある旧新橋停車場「鉄道歴史展示室」で開催されている「日本の観光黎明期展」へ行ってきた。小さなギャラリーだが、鉄道をテーマにした好企画が多く、前回は管理人が写真集も持っている石川光陽写真展「警視庁カメラマンが撮った昭和モダンの情景」が開催されている。

日本の観光黎明期とは興味をそそられるテーマだが、この展示ではお伊勢参りや日光詣といった江戸時代の話ではなく、鉄道をテーマにした近代のものだ。明治期から昭和初期までの取り組みに目が向けられているが、特に大正末期から昭和初期には、屋外レクリエーションや観光旅行が大衆化しており、今回のサブテーマ「海へ!山へ!鉄道で」がまさに合致する。

日本で鉄道を利用した観光旅行が活発になったのは大正中期からだという。ちょうどその頃に本州の隅から隅まで鉄路が延び、団体周遊旅行が人気となり、旅行ブームになったようである。2週間以上をかけて観光名所を周遊、本州だけではなく、既に連絡船網が出来上がった北海道や四国、九州まで足を伸ばした。当時、北海道まで行く人は少なかったであろうが、九州の別府などはいっきに人気が出た。それまで温泉といえば、近場の湯治が一般的であり、温泉旅行や慰安旅行という概念が出来上がったのもこの頃であろう。

震災を挟んで日本はいっきに近代化・都市化が進む。大正末期からはハイキングやスキーなど現在の野外レジャーの原型とも云えるスタイルが出来上がった。その頃には日本交通公社(日本旅行協会)から時刻表や旅行雑誌の「旅」が刊行されてレジャーブームは全国的なものとなる。

管理人は「旅」をはじめとした当時の旅行雑誌や案内書、パンフレット、絵葉書などをコレクションをしているが、大正末から昭和10年頃までがもっとも中味が充実しており、束の間の余暇を楽しめる時代であったのかもしれない。特にスキーは相当人気があったようで、各地にゲレンデがオープンしている。今では考えられないが、埼玉の奥武蔵や神奈川の丹沢、山梨の山中湖に笹子峠などにもスキー場があったらしい。

もし、戦争がなければと思ってしまうが、空白の20年間をいっきに挽回するように、高度成長期には第二次レジャーブームが押し寄せた。第二次ブームでも牽引役は団体旅行と温泉、登山やスキーであったが、そのモデルはバブルの崩壊と共に終わってしまった。


この「日本の観光黎明期展」は11月20日まで開催されている。入館は無料である。

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森山大道写真展と亡くなられた佐藤忠良氏の彫刻作品を芸術の森で鑑賞

2011年04月06日掲 載

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先日(3/28)、「札幌芸術の森」へ足を運んだ。

目的は写真家・森山大道写真展「北海道<最終章>」と野外彫刻ブースの佐藤忠良記念アトリエを見に行くためである。森山は1978年にスランプに陥った時に北海道に三ヶ月滞在、その間に撮りためた未現像フィルムと2010年にふたたび撮ったものが展示されている。

世界的な写真家だが、管理人は最近まで存在を知らず、2008年に東京都写真美術館で企画展を見てから興味を持つようになった。1978年北海道は札幌のほか、小樽・美唄・夕張・留萌などが被写体となっている。嬉しかったのは管理人と全く同じアングルで撮ったものが小樽と夕張の飲み屋街であった。同じ場所から同視点で撮ったというだけで感激である。

33年前の光景は近過去のようにかんじていたが、写真で見ると高度成長も終わり、成熟した日本とは思えないような光景があり、若い人が見ると新鮮であると思う。

 

芸術の森には美術館のほか、有名な野外彫刻がある。冬季は奥まで入れないが、彫刻家「佐藤忠良記念こどもアトリエ」は通年行くことができる。実は記念館がオープンした2008年にも一度来ているが(その時のブログはこちら)、先月、世田谷美術館で「佐藤忠良展」を見ており、ふたたび作品を見たくなり、足を運び、野外彫刻をカメラに納めた。

ところがその2日後、佐藤忠良氏死去のニュースを知った。ちょうど旭川に居たが、買物公園にある忠良作品をあらためて見に行った。98才なので天寿を全うされたと考えるのが常であろうが残念でならない。

佐藤作品はあまりにオーソドックスなので、「どうして好きなの?」と聞かれると返答に困ってしまうがが、女性の美しさ、子供の無垢さを忠実に再現しているところに惹かれてしまう。北杜の窓サイトでも釧路幣舞橋の「道東の四季 夏像」の写真を使わしていただいている。同じ北海道と縁がある本郷新氏も好きだが、かなり対極といってもよい作風である。

肉体は滅んでも、作品(魂)が残る芸術家はある種、羨ましい。佐藤先生のご冥福をお祈りしたい。

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釧路駅ギャラリーの湿原画家・佐々木榮松画伯の作品が久々に表舞台に登場

2011年03月05日掲 載

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湿原の画家として知られる釧路市在住の佐々木榮松画伯の作品展が6日まで、道立釧路芸術館で開かれている。佐々木画伯専属のギャルリ一華(高野範子代表取締役)が主催し、初日の3日には今年10月で99歳の白寿を迎える画伯本人が来場して元気な姿を見せた。(3/5付 釧路新聞

湿原の画家と知られる佐々木榮松画伯についてはこれまで2度ほど紹介をした(2008.9.18記事はこちら 2009.9.18分はこちら)。作品はJRが民営化された直後の1987年から釧路駅2階の「釧路ステーションギャラリー」に常設として展示されていた。

寄贈作品が1000点以上もあったため、常設展ながら定期的に模様変えもされていた。「湿原画廊」の名の通り、釧路湿原をテーマにした大型作品が多かったが、生命力が迸る色使いとタッチであり、老いてなお精力的に創作活動活動を続けていた。

単調とも云える湿原の風景を佐々木流に昇華した作品は、ふたたび命を宿らされたようで不死鳥のようにも見え、画家とイメージがダブったものだ。

しかしながら、2009年の9月30日で駅ギャラリーは閉鎖された。その後、釧路駅は時代ニーズを組んだ企画を次々に登場させイメチェンをしたが、96才になった画伯の作品を見ることは出来なくなった。

作品千点は佐々木画伯の自宅へ返却されたいう。作品は行き場を失ってしまった訳だが、なぜそうなったのか、噂レベルでは聞いたことはあるが、表舞台から消えていた。

管理人は佐々木画伯の消息が気になっていたが、釧路新聞によると99才になった今もお元気そうである。釧路芸術館での開催は僅か4日間で惜しい気がする。もし、画伯の意向で作品を自由に動かせるのであれば、釧路駅や公共施設、ホテルなどに飾っていただきたいと思う。大事な地域の公共財産である。

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追悼・原田康子さんと映画「挽歌」、トレンチコートが似合う女性がいなくなった

2009年11月16日掲 載

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「挽歌」主演 怜子役の久我美子さん

作家の原田康子さんが10月20日に亡くなられた。その原田さんを偲び、14日から北海道立文学館で、ミニ展示コーナー「追悼 原田康子」が開催されている。入場は無料。「挽歌」「海霧」などの代表作や直筆の色紙など約20点を展示され、なかでも、10年以上親交のあった同館副館長の平原一良さんが撮りためたポートレートは大半が未公開だという。

原田さんはマスコミに殆ど登場しない作家だった。また、作家歴の割には作品数も少ない。作風同様、神秘的なイメージがある方だが、管理人が名前を知ったのは釧路旅行がきっかけであった。1990年頃だが、ちょうど原田さん原作の映画で原田知世主演の「満月」が上映されていた時で、そのあたりもきっけとなり、かなりの長編「挽歌」にトライ。次に「海霧」、「恋人たち」と釧路をテーマにした作品を読んだ。フランスのサガン登場時と似た瑞々しさとロマンチズムがあり、管理人を釧路&原田ファンにしたきっかけにしたのが「挽歌」である。

だいぶ前にビデオで「挽歌」を見た。昭和32年の作品だが、当時の釧路の町はとても日本とは思えない。原野に一本道、まるでロシアか北欧のようで、映画の中でも霧が多く登場する。50年代フランス映画のような日本なのに異国情緒ある作品である。釧路の広大な風景と当時としてはモダンな家とインテリア、そして何といっても主演の久我美子が原作のイメージを厳守している。

原田康子さんは「髪が長く、ガリガリに痩せていること」ことが女学生・怜子役の絶対条件だったらしいが、久我はそれにピッタリであったので安心したという。当時、人気急上昇のオードリーヘップバーンをかなり意識したらしいが、トレンチコートに黒のタートルネック、同じく黒のパンツにローファーは今見てもカッコいい。また、煙草をふかすシーンがあるがこれもきまっていた。この作品の衣装担当は森英恵さんで音楽は芥川也寸志という豪華版である。

管理人はトレンチコートを着る女性が好きだが、最近は見なくなった。ミーハーだがバーバリーのコートが似合う女性はいいと思うが。


管理人の中で、渡辺淳一の私小説「阿寒に果つ」の主人公、時任純子は「挽歌」の怜子とイメージがダブる。純子のモデルとされている渡辺の初恋の相手、加清純子は冬の阿寒湖で行方不明となり、その春に発見されたが、渡辺の高校時代は「挽歌」が発表される前。しかし、何らかの影響を受けているのではないかと推測する。

二人の主人公に共通するのは魔性とは言わないが、昔のフランス映画に出てきそうな男性がどこまで理性を正常に保てるかわからないような女性。先ほどはオードリーヘップバーンと書いたがちょっと違う。フランスならジャンヌ・モローかジェーン・バーキンあたりであろうか。


話が逸れたが、渡辺淳一文学館、原田さんの展示が行なわれている道立文学館も中島公園内にある。久しぶりに原田康子さんの作品を読み返してみたくなった。

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札幌芸術の森にオープンした「佐藤忠良記念子供アトリエ」へ行ってきました

2008年10月08日掲 載

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芸術の森・佐藤忠良作品の屋外展示とアトリエ いちばん下は釧路・幣舞橋 四季の女神像

札幌市南区にある「札幌芸術の森」にこのほど日本を代表する彫刻家である佐藤忠良を記念した「佐藤忠良記念子どもアトリエ」がオープンした。管理人は忠良氏のファンで早速、10/3に出かけてみた。

佐藤忠良は1912年に宮城県に生まれ。13~21歳の青少年期を札幌や夕張で過ごしており、芸術の森の屋外彫刻展示にはオープン時からの作品がいくつかある。また、宮城県立美術館には「佐藤忠良記念館」があり、過去に訪れたことがあるが、釧路・幣舞橋「四季の女神像」の夏像も有名だ。女優の佐藤オリエは同氏の娘だが作品にも多く登場する(佐藤オリエといっても知っている人少ないかな。過去、寅さんのマドンナにも登場したが最近は姿を見ない)。

管理人は以前、朝日カルチャーセンターで彫刻を習っていたことがある。そのきっかけとなったのが、芸術の森で見た忠良作品であり、あれだけ具象的に女性の美しさを表現できればと思い始めたが、彫塑は難しい。

今回完成したアトリエは、彫刻制作の一方で、美術の教科書や絵本を数多く手がけるなど、子どもの造形教育や豊かな感性を育むための活動にも力を注いできた忠良の想いを反映させた新しい芸術施設である。館内には、家族や子どもをモチーフにしたブロンズ彫刻・素描などの作品展示や実際に体験できるワークショップなどがある。森の中の小さなアトリエだが、これまで屋内施設がなかった野外彫刻スペースにアクセントができた。

芸術の森はモエレ沼公園と共に札幌市が誇るアートスペースであると思う。何度も足を運んでいるが、ひとつ文句がある。駐車場500円は高い。野外彫刻美術館(600円)と企画展を見ると2千円になってしまうので、せめて駐車場は無料にしてほしいと願う。これから紅葉の時期はおススメ。また、冬季はカンジキの貸し出しがあり、ラッセルしながらの鑑賞も面白い。

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「新日本人」よ、余裕をもって、旅にでも出たら

2008年06月02日掲 載

昨夜、テレビ東京系列で「新ニッポン人現れる」という久米宏司会の番組がオンエアされた。

番組は「新日本人」と呼ばれる20代のライフスタイルとバブル世代の40代と比較しながら探るというものだが、「新日本人」の主だった特長は、①お金を使わない②貯金をする③家からあまり出ない④酒席でも焼酎のジュース割りなど甘いものが好きで中性化している⑤居酒屋ではなくマック⑥車に興味がない⑦ボランティアが好きで社会的参加意識が強い⑧自由競争を認めるetc・・・かなり誇張されている部分はあるが、今の20代の大まかな傾向は掴んでいると思う。

管理人は典型的なバブル世代である。20代前半の頃、新人類などというフレーズが飛び出し、理解不能で、自由奔放の世代と大人たちからは白い目と羨望で見られたものだ。20代後半でバブルを体験したが、当時の異常な社会情勢にはかなり引いてはいたが、お金は結構使った。会社に着ていくスーツ(20代なのにディオールのスーツやヴィトンの鞄も買った)や普段着などのファッション、スキーや温泉旅行などのレジャー(当時はリゾートホテルや小洒落た旅館が好きで今とは別世界)、グルメなど殆どが小遣いに消えていた。

ところが平均的な今の20代はファッションや食、レジャーなどにはお金はかけない。昨日のテレビでは、コメンテーターの岡野雅行氏(岡野工業代表社員)が、「若いうちは自己投資として、どんどんお金を使わなくてはいけない。齢を取ったら何もできなくなるよ」といって嘆いていたが、管理人もその意見に賛成であった。20代から30代は自分を磨くとき。勉強でも遊びでも良質なものであれば、借金をしてもお金を注ぎ込む価値はあると思う。
20代の頃、見栄を張って、身分不相応の高級店や名旅館などに行って、恥をかいたことがあるが、若い時の恥はOK、無駄というものはないはずだ。

今の20代、たとえば真ん中の25才(1983年生まれ)は、小学校進学が1990年とバブル崩壊の年、中学進学が1996年で未曾有の大不況と大学卒業まで、世間的にいいという時を体験していないのだ。大人たちの価値観、生活も大きく変わり、その下で新日本人は育ってきたのだから、今のような生態が出来上がったのも仕方ないと思う。

2年前、「北海道は若者の旅誘致を、「旅離れ」の今だからこそ」というタイトルでブログを書いた。景気の低迷などが一因となり、若者の旅行離れが進んだといった内容だが、昨日の番組では海外旅行に興味がないのも「新・日本人」の特長と言っていた。全部が全部そうだとは思わないが、旅行離れは確実に進んでいるのは事実だ。ユースホステルでは利用者がこの十数年で4分の1まで減少し、今や中高年天国である。

管理人の学生時代は「地球の歩き方」などを片手に各地をまわるバックパッカー全盛時代である。国内組なら周遊券片手に一ヶ月近い有効期間を目一杯使って北海道を旅した。当時、ヨーロッパへ一緒に行った仲間などは旅行会社とローンを組んでも旅に出たほどだ。新日本人はさぞや軽蔑するであろう。

ところが、新日本人の旅行スタイルは、日帰りか1泊の温泉旅行、番組によると海外ボランティア旅行などが人気だそうだ。旅行スタイルは如実に時代を映し出している。

借金をしてまで旅に出ろとは言わないが、その時にしか出来ないことがある。そして、旅は長く、未来に効くビタミンとなりうる。新・日本人には是非、旅に出てリアルの世界をもっと体験してもらいたいと思う。今のままでは余裕が無さ過ぎて、どこかで燃え尽きてしまいそうだ。その為には、気軽に旅ができる環境を社会が作ってあげる必要がある。

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「根室夢幻行」-流氷を描く画家とノサップ岬

2008年02月02日掲 載

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飯沢紗千子画伯が描く流氷

今年は久しぶりに流氷が早い時期から訪れた。さぞやオホーツクの観光地は賑わっていることであろう。
同じ流氷が来るにも関わらず、ひっそりとしているのが根室だ。根室の流氷は遅いが、今年は風連湖付近まで達している。

管理人にとって根室は忘れられない地である。20年近く前、体調を崩し数ヶ月入院、退院後、待望の北海道へ旅に出たが最終ゴールが根室であった。たまたま宿泊した照月旅館は親切な宿で、凹んでいた当時の管理人にとって心底安らげる場所であった。照月さんとは今でも親しく、家族ぐるみのおつきあいをさせていただいている。

その時、宿から「根室夢幻行」という冊子を貰った。観光ガイドだが、根室の歴史やカルチャーなどかなり深く掘り下げ、自治体の観光パンフとはひと味違う内容で、読み応えがあった。

その中で「流氷」にまつわる話が紹介されている。目を惹いたのが、流氷をテーマにした油絵を書いている根室在住の画家・飯沢紗千子さんの作品であった。根室半島北海岸(オホーツク側)を埋め尽くす流氷、アンダーな色使いながらハッとするような鮮やかな原色を混ぜる。それはまるで閉ざされた世界から、かすかな春の息吹をあらわしているようであった。ロシアや北欧の画家が描きそうな世界でもある。

管理人は飯沢画伯の作品が気に入り、紹介をしていただいた。聞くと歯科医の奥様で、小学校でも絵を教えているらしい。作品の写真集を送っていただいたが、流氷とともに小さな蝶や昆虫が絵に出てくる。こんな寒い時期にいる訳ないと思い、「虫は象徴的意味ですか?」と訊くと、実際に3月後半になるといるということで実在だった。

飯沢画伯の作品には、氷で閉ざされた春国岱や番屋の廃墟、ノッカマップ岬灯台といったところが舞台になっている。
管理人は、その後、同じ場所に真冬も含め、何度も出かけてが、恐ろしく絵になる世界なのである。管理人は写真撮影だが、飯沢画伯が何でそこに惹き付けられたのかわかった気がした。

その後、都内でグループ展を見させていただいたが、この10年以上接点がなくなった。コピーであるが、彼女の作品集も引越しの際にどこかへやってしまった。少しお金ができたら飯沢画伯の「流氷」を購入し、飾りたいと思う。そうすれば原点であった「根室」をいつも近くで接することができる。

以前も書いたがノサップ岬を太平洋側へ流れる流氷の姿と音は神秘的だ。山崎ハコの歌に「流氷岬」という曲がある。マイナーなので知られていないが、管理人は北原ミレイが唄っているもの(タイトルはノサップ岬)を持っている。山崎ハコのノサップは隠れたな名曲である。

♪北の白い灯台に 一人たたずむ女がいて
漁に出たまま帰ってこないあの人の船を一人待つ納沙布。
夢でも逢えたことに喜ぶ女は、霧に濡れて
も納沙布に飛んで行きたいと願う。

話が山崎ハコに飛んだが、飯沢画伯、元気にされているであろうか。
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管理人お気に入り ノッカマップ岬灯台 70年代の廃車が絵になる

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