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2005年10月04日
誰も知らない小平町・達布の変遷と産業遺産について
2日は恵比島駅から小平町・達布へ向かいました。ここはかって炭鉱があり、専用鉄道が留萌から来ていたところ。訪れるのは9年ぶりのことですが達布はどう変わったでしょうか。
達布は留萌支庁の小平町から幌加内方面へ20キロ以上山へ入ったところに位置しています。小平というと鰊御殿で有名な花田家番屋など海のイメージが強いところですが一歩内陸へ入ると炭鉱がありました。
天塩炭鉱は昭和42年まで稼動、その後も別事業者によって小規模の掘削が続けらているようでした。現在、達布の人口は200人強の静かな集落です。しかし、今でも炭鉱華やかし頃の面影が地域のあちらこちらに残っています。周囲は農作地帯で静かな田園風景が続きます。その中にポツリと達布の集落がありますが、訪れた9年前にはバス営業所、車庫、食堂、旅館が存在していました。
バス営業所と車庫は炭鉱鉄道であった天塩炭鉱鉄道(昭和42年廃止・留萌-達布)の駅舎跡と鉄道車庫が鉄道を引きついた「てんてつバス」の施設として使われていました。
てんてつバスは留萌と達布を1日4往復するだけのバス会社でちょうどやってきたバスも無人でした。多分、お年寄りの通院などに使われているのでしょうが道内の路線バス会社で1路線のみの営業という会社は聞いたことがありません。貸切で食べているのでしょうか。
バス営業所は無人化されたようで中へ入ると年代モノの金庫や算盤、応接セットがきれいに置かれ、まるで50年前にタイムスリップしたようなレトロな営業所になっていました。既に廃線になった鉄道記念館の駅長室の佇まいです。
今は運転手の休憩所に使われているのでしょうか。バス営業所は健在でしたが営業所機能はすべて留萌へ移ってしまったようです。
営業所があった所は旧・駅前で崩れかけたような旅館(花月旅館?)が9年前にはありました。昨日の日記で書いた「すずらん」のロケで作られた駅前旅館をさらにボロくしたような建物で廃墟かと思いましたが、当時営業中で確か工事関係者用に1泊2食で4,800円で泊めていました。
今回、建物は健在でしたが旅館機能は失ったしまったようです。これで達布地区から宿泊施設がなくなったことになります。
唯一の飲食施設「寿食堂」は健在でした。お昼のせいか客が数人入っていったのには驚きました。一般の商店は9年前より閉めた店がさらに増えた気がしました。
今回のお目当ては前回、場所がわからなかった旧・天塩炭鉱の「遺産」を見ることです。市街地から2,3キロ走るとかなり大きいホッパと石炭を運んだコンベアが残されており、現存するホッパの中ではかなり大きな部類に入ると思います。ヒグマの襲撃に気を使いながら車を降り、近づいて撮影。私を発見した近所の人に「危ないから近づくな」といわれましたが、熊のことか施設のことかわかりませんでした。
この周辺、まだまだ手付かずの「遺産」が放置されていそうな場所です。
達布は炭鉱がなくなり、中心地も市街地としての機能を失いかけています。しかし、閉山をしても達布は残り、暗いイメージもないノンビリしたところでした。近くにある沼田町の古河・昭和炭鉱や羽幌町の築別炭鉱のようにまちごと消えるという事態は避けられました。
地味といえば地味な存在ですが道内にはこういった場所もあるということを知っていただければ幸いです。
最近、空知の炭鉱施設が「北海道遺産」に登録されましたが、空知以外にも誇るべき施設跡はたくさんあります。達布のように現在も生活を営んでいる人がいる場所こそ遺産として価値が高まるのではないでしょうか。
明日は今回訪れた北海道遺産関連の施設や町について触れたいと思います。
投稿者 hokutonomado : 2005年10月04日 22:42 | [EDIT]
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