ちなみにコースは池袋駅発着。【北海道方面】池袋駅発23:35 - 高速バス - 新潟駅前4:07 - 路線バス - 新潟港10:30 - フェリー - 小樽港 翌日4:30着。【東京方面】小樽港10:30 - フェリー - 新潟港 翌日6:00 - 路線バス - 新潟駅前7:05 - 高速バス - 池袋駅12:20着。(*高速バスはこれ以外の便も利用できる)
同様なチケットとしては、商船三井フェリーを使う「パシフィック・ストーリー」(東京・札幌連絡きっぷ)があり、こちらは9,900円で北海道へ行く場合のルートは、東京駅発14:00 - バス高速みと号 - 水戸駅16:32 - 路線バス - 大洗18:30 - フェリーさんふらわあ - 苫小牧 翌日13:30 - 中央バス高速とまこまい号 - 札幌駅15:45着である。(*東京-水戸間の高速バスはこれ以外の便も利用できる)
新日本海F、商船三井Fどちらも所要時間はあまり変わらないが、小樽コースは高速バス乗車が1回なのに対して、苫小牧コースは2回乗らなくてはならない。その分、千円高いのであろうか。また、小樽コースの北海道方面は最速だと2夜行になるのでかなりきつそうだ。
どちらにしても体力(若さ)と時間がある人向けの格安きっぷである。苫小牧コースは札幌でウトロ行きを当日乗継(夜行)すれば割引となり、知床へも格安で行ける。また、当日、空室があり、追加料金を払えば上等客室にも乗れるので使い方次第では面白そうだ。なお、新日本海フェリーのきっぷでは、舞鶴港を利用する大阪発着コース(9,200円)もある。
【参考】「東京⇔小樽エコノミーきっぷ」のページ
【参考】「パシフィック・ストーリー】のページ
毎日新聞の北海道版に関しては、かねてからいろいろな噂があった。現在、道内で夕刊は札幌圏を中心に旭川、小樽、室蘭などで発行されているが、発行部数が今年3月で約1万4千部(ABC協会調べ)、2006年と比べて約4800部減少している。
ちなみに毎日新聞の朝刊は約6万8千部、道新が約120万部なのでそれと比べると少なさがわかるであろう。また、夕刊紙で比較すると道内地方紙の十勝毎日新聞が約9万部、それと比較しても6分の1以下である。
毎日新聞webサイト「大盛り北海道」はよく見るが、ニュースボリュームは少なく、手薄なことがわかる。夕刊に関しては、東京版でも読み出がなく、広告収入を考えるとよくここまで持たせたというかんじである。広大な北海道で輸送費や配達委託費だけでもバカにならない。撤退はいたし方ないことであろう。
読売や朝日でさえもガリバー道新の前には太刀打ちできない。まして、新聞全体の売り上げが落ちて、道新でも夕刊はかなり部数を減らしている。産経はだいぶ前に夕刊を廃止したが、webが発達した現在、夕刊そのものの存在意義が問われる時代かもしれない。
実は、このニュースに関して投稿があった。この施設は、Mに超破格(40万円~80万円)で売却されたという。 数百万円の重機なども含めた売却価格のようで、競売にもかけられず非公開のうちに売却されたいう情報だ(確証はありません)。
最近、公共の宿の施設売却、特に道や健保・年金関連運営のものが多いが、中には惜しい施設がいくつもある。また、売却への経緯が不透明なものもある。ただ、闇雲に「努力していますよ」というポーズで処分すればいいという問題ではないのではいか。
本体の問題は別にして、施設が赤字なのは、施設に魅力がなく、経営努力が足りないということもある。売却する施設の中には黒字のものも含まれているが、儲かっている施設まで処分する必要があるであろうか。やり方を変えれば充分に集客できる施設はいくつもあると思う。
安く売るのは勝手だが、これでは閉店セールの在庫一掃叩き売りと一緒である。これらの施設の多くは税金によって建てられている。それらを二束三文で売却してしまうのは納税者へ対する裏切りでもある。
管理人は北海道の人たちがどこから来たのか(移民)興味があり、よく尋ねるが、一部の人を除いてあまり自分たちのルーツに興味を示さないような気がする。既に入植から130年以上が経過し、すっかり根付いているということであろうが、ちょっと残念な気もする。
今回、紹介する「北海道の歴史がわかる本」(亜璃西社:桑原真人・川上淳著)は、これまで、あまり知る機会のなかった北海道の歴史を、石器時代から近・現代まで約3万年におよぶ時代の流れに沿い、52のトピックスで辿っている。
「北海道に現れた最初の人類は?」「アイヌ文化はいつから始まった?」「北海道にも県があった?」「屯田兵が置かれた本当のワケは?」など、興味惹かれるテーマが次々に登場する。
北海道の歴史というと五稜郭の戦いがあった幕末戊辰の役や、せいぜい松前藩が登場する江戸時代までだが、それ以前にも当然長い歴史があった。しかし、アイヌ民族やそれ以前の先住民のことはわからないことも多い。
この本で興味深かったのはアイヌ人と和人との関わりである。当時、アイヌ人が松前藩や幕府に果たした役割が大きかったことなどを知った。たとえばロシアや中国との交易ではアイヌが仲介役になっており、アイヌを通じて外国と繋がっていたことなどは初耳であった。しかし、アイヌと松前藩の関係は従属的であり、既にこの時代から和人への同化政策が取られるようになっている。
和人が道南に拠点を置き、松前藩が設置された15~17世紀は、世界史的に見ても覇権・植民化の時代である。欧州列強がアメリカ大陸やアフリカ、アジアなどに進出、先住民にとって受難の時代の始まりだが、同じようなことが蝦夷地でも起こっており、ケースはやや異なるが単なる偶然とは思えない。
明治維新となり、開拓の時代を迎えるとアイヌにとっては更なる受難の時代を迎える。狩猟から農業へ強制変更され、集団移住を強いられた。その後の経緯についてはあえて書く必要もないであろう。
和人化政策の法律として1898年「旧土人保護法」(何という名称か)が施行されたが、行政の世界で「旧土人」が使われなくなったのは、何と100年後の1997年「アイヌ文化振興法」が制定されるまで待たねばならなかったというから信じられない。ちなみに、新法成立に尽力したのは、あの萱野茂さんである。
「北海道の歴史がわかる本」では、これまで知らない北海道を知りえ、いろいろなことを考えさせられた。読みやすい内容なのでオススメである。
【参考】亜璃西社 本書紹介のページ
]]>礼文町は2007年5月から島の中心地・香深で温泉掘削に取り掛かり、礼文初の温泉を掘り当てた。地下1300メートルからの泉温は50度で最大揚湯量は毎分240リットル。泉質はアルカリ性低張性高温泉。入浴施設は日帰り専用とする。今後設計を進め、今年秋ごろに着工する予定だ。
お隣の利尻島では利尻富士温泉があるが、国内最北端の温泉になるのであろうか。緯度的には稚内温泉と甲乙つけがたい。町のプロジェクトのようだが、HP(下記参照)を見ても、温泉にかける意気込みが伝わってくる。公営温泉の深度ボーリング掘削と聞くと「まだそんなことやってんの」という気もするが、島民にとってはお待ちかねであろう。
場所柄、観光需要も期待できるので健全な経営を望む。
【参考】礼文町温泉ボーリング情報室のページ
4/25に就航したばかりのスカイマークは約1万400人で利用率は81.5%とトップ。エア・ドゥの利用客は前年とほぼ同じ約8300人で、利用率は74.8%。利用客をスカイマークに奪われることはなかった。
一方、大手は日本航空の利用客が約1万7700人で利用率は63.8%。利用客は前年より10%程度下回った。全日空は利用客が約2千人で、利用率は58.4%。利用客は前年を8%ほど下回った。
スカイマークは来月までの期間限定だが、普通運賃が片道1万円という大出血サービスをしている。これに対抗してAIR DOも各種割引サービスを実施しているが、連休中、格安2社の利用者が好調だった背景には、ビジネス客が多い通常期と違い、自腹で乗るレジャーや帰省目的の個人客需要が多かったことも背景にあるのではないか。
先月のブログで「広がる運賃格差、○金、○貧どちらを選択?」というタイトルで格安2社と大手2社の利用方法などについて書いた。
自腹を切るなら安い方を選ぶ。大手2社を利用するパックツアーで申込んでも1万円ならスカイマークの普通運賃を利用した方が割安感がある。便変更も可能で、募集型企画旅行だと10日前が申込み締切りだが、当日でも空席があれば乗れる。
管理人も5月下旬の旭川線をネットで申込んでいる。やはり1万円は安い。スカイマークに求めるのは安全運行の遵守と安易な撤退を繰り返さないことである。
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鉄道紀行作家の宮脇俊三さんが亡くなられて5年が経った。現在でも熱心な愛読者が多く(管理人もそのひとり)、著書は売れ続けている。宮脇さんの訃報を訊いた時のショックは半端ではなく、その後、宮脇本の購入は封印していた。
宮脇さんの代表作のひとつに「最長片道切符の旅」(新潮社1979年)がある。ご存知の方も多いと思うが、日本縦断一筆書き乗車券を最初に世に知らしめた作品である。最近になり、「最長片道きっぷ」の取材ノートが、遺品整理中に長女灯子さん(お父様と同じく作家をされている)の手によって発見された。
そのノートが『「最長片道切符の旅」取材ノート』(新潮社)として発売され、売れている。また、「小説新潮」5月号の特集が「宮脇俊三と旅」するで取材ノートの裏話や作者と縁が深い人たちが寄稿している。宮脇さんへの評価は没して尚、上昇しており、新たな鉄道の楽しみ方、ジャンルを提供した意味においてもその貢献は計り知れない。これからも読み続けられるであろう。
宮脇さんは中央公論社に勤められていたが、その編集部の部下に作家の村松友視氏がいた。このお二人、大変な共通点がある。まず、中央公論在籍中に本を書いて、ベストセラーとなっている。そこまでは驚く話ではないが、宮脇さんのジャンルは「鉄道」、片や村松さんは「プロレス」である。
当時、鉄道とプロレスといえば、マイナーオタクジャンルの極みであり、それぞれのファンは隠れキリシタンのようにしていた時期だ。村松さんは新婚当時、部屋を真っ暗にして、見つからないようにプロレス中継を見ていたらしい。
村松さんが「私、プロレスの見方です」を著したのは1980年。ほぼ宮脇さんの作家活動スタート時と同じだが、中央公論社で同じ釜の飯を喰ったお二人が、奇しくも鉄道、プロレスという当時堂々と言うのも憚る2大ジャンルを文学にしたことはすごい!!
その後、鉄道もプロレスも晴れて隠れの身から開放され、今日に至る。実は管理人は鉄道、プロレスともに大好きであり、このお二人には感謝しかない。
小説新潮に村松さんの寄稿があるが、お二人とも会社を辞めるまで、お互いの「趣味」を知らなかったというのも興味深い。
実はよく行く居酒屋に村松さんがたまにいらっしゃる。管理人がカウンター越しにプロレスネタを振ると「またプロレスの話?」といいながら話題に乗ってこられる。できれば宮脇俊三さんのことも訊いてみたい。
ロビンソンは札幌松坂屋として1974年オープンしたが、その後、ヨーカドー傘下となり、ヨークマツザカヤ、1994年からはロビンソンに名称変更した。最近では百貨店を地下2階から地上2階までとして、3階から8階まではテナント専門店街「ラフィラ」として営業していた。
ススキノの低迷が長引き、周辺の若者の姿が少なくなるようになった。以前は大通の丸井今井や三越、パルコなどからの流れで集客もあったが、札幌駅前の大丸開業以降、大通以南の地盤沈下が続いている。もともと夜型の立地であり、交差点を渡ってわざわざ昼間に来る人も少ないであろう。
ロビンソンはススキノ交差点に位置し、待合わせのメッカとしても有名である。管理人も何度か地下の喫茶店を含め、待合せに使ったことがあるが、百貨店の中で買い物をした回数は少ない。上層階へ行くと閑散としており、コンビニ感覚のデパートであったが、常に中途半端な印象があった。最近の百貨店は富裕層をターゲットにした高級志向が目立つが、ロビンソンの場合、どこをターゲットに絞り込むか難しい。
銀座プランタンのような徹底的な女性ターゲットの店がいいような気がするが、競合店も多い。「さっぽろ東急」では若い女性狙いで上層階にスパやヒーリングサロン、女性たちが喜びそうなイタリアンなどを作り、新たな取り込みを図る。ロビンソンにはブランド品を扱う都市型アウトレットような店舗や本格的なコスメ系サロンなどが場所柄向いていると思うが。
ネットでJRの空席情報を調べる時は、JRシステムが運営する「JRサイバーステーション」を利用するのが一般的で、最近では「みどりの窓口」でもノートPCが設置しており、便利な時代になったが問使い勝手にやや難がある。
「JRサイバーステーション」の場合、まず、入力に手間がかかる-新幹線は列車名と駅名が画面に出るので簡単だが、在来線特急になると「在来線特急」を選択し、さらに乗降駅を手入力しなければならない。また、「北斗星」などの個室寝台の空席情報は扱っていない(開放型B寝台はわかる)。特に臨時扱いの「トワイライトEXP」や「カシオペア」の場合、このサイトではわからないのだ。
また、お盆や年末年始、GWなどの繁忙期にはアクセスが集中し、サイトにつながりにくくなる。検索できる時間も6時半から22時半までという制限もある。
管理人はこれまで「北斗星」個室を取る時、「みどりの窓口」にわざわざ行って確認していたが、最近、JR北海道内サイトで「JR北海道方面別空席情報」というものを発見した。
ここでは道内方面別の列車ごとの1ヵ月後までの空席情報(○△×で表示)がわかるほか、本州方面では「北斗星」のB寝台と「トワイライトEXP」の空席情報がわかる。
素晴らしいのは、これまでわからなかった「トワイライト」の空席状況がわかることである。本州方面の列車は上りのみしかわからないがこれは大変に役立つ。
JR北海道では以前から電話による空席案内もしており、利用したことがある。また、JR北海道宿泊予約サイト「ツインクル」は他の宿サイトが満室の時でも客室を確保していることが多く、札幌などで宿が取れない時は便利なのでオススメである。
【参考】JR北海道 方面別空席情報
国鉄時代の面影を残す西日本JRバス車両 北陸線木之本駅前から北陸線旧線の柳ヶ瀬トンネルを走り敦賀へ向かう。91年頃に乗車したがまもなく廃止され、琵琶湖・北近畿からJRバスは消えた
全国8社のJRバスは5月1日から、全国のJR高速バスが6日間2万円で乗り放題になる「高速バス乗り放題きっぷ」を一斉に発売する。
旧国鉄バスから分社化して20年になるのにちなんで、全国で2千枚を発売。道内は限定50枚。乗車期間は6月1日から1カ月間。北海道から九州まで120路線が利用可能になる。
JRバスになって20年が経過するが、国鉄時代からの「ツバメ」は引き継がれており、マークを見ると嬉しくなっててしまう。やはり管理人は「国鉄世代」である。
発足時は多くの乗合路線や営業所が残っていたが、最近では高速バス会社といった印象だ。北海道でも伊達、岩見沢、滝川、美瑛、帯広、大樹、厚岸、標茶(他にも)などから車両が消えて、札幌圏を除くと日高と深名線代替ぐらいしか残っていないのでないか。
今回の高速バス乗り放題きっぷ、企画ものとはいえ、ある種、画期的である。北は紋別から南は博多まで行ける。さすがJRグループといったところ。これまで広域の高速バスフリー乗車券は西鉄バスを中心とする九州地方にあったぐらいなので是非、JRバス各社でも商品化を検討していただきたい。
ところでJR高速バスポータルサイトのURLがhttp://www.kakuyasubus.jp/であった。割安なツアーバスを意識したドメインであろうが、「格安バス」というネーミングはいかがなものであろうか。これに抵抗をかんじる管理人も国鉄世代のあらわれか。
(以下4/22付け道新記事より)
札幌・ススキノを長年見守り続けた、作家の八柳鐵郎(はちやなぎてつろう)さんが十九日、七十六歳で亡くなった。豊富な人生経験から多くの人に慕われ、ネオン街をこよなく愛した「ススキノの生き字引」。二十一日に札幌市内で行われた通夜には約四百人が訪れ、死を惜しんだ。管理人は八柳さんと小さな交流があった。十数年前、たまたま八柳氏の著書を手に取った。北海道へ行った際は地元の出版物をまとめて買って帰るが、その時、めぐり合ったのが道新から発行されている著書だった。八柳さんは、二〇〇六年に閉店した老舗キャバレー「エンペラー」などを経営する青木商事の専務や相談役を歴任。「年末の書き入れ時などには、エンペラーの入り口前に立ち、自ら客の出迎えをやっていた」とすすきの観光協会の篠田政一会長は言う。
樺太生まれ。戦後引き揚げし、食糧難や貧しさを経験した。それだけに、地方から札幌に出てきたホステスには親身になって相談に乗った。
「金をためろ。金のないやつは不幸になる」-。エンペラーで約二十年間、ナンバーワン・ホステスだった徳川美智子さんは、八柳さんが口癖のように言っていた言葉を思い出す。「私にとっては仕事の師匠。ありがとうの一言です」と涙をぬぐった。
二十五年来の付き合いという、「あるた出版」の平野たまみ社長は「八柳さんを『夜の牧師様』と呼んだ人もいた。それほど心の温かい人だった」と振り返った。
八柳さんが熱心に取り組んできた一つに文筆活動がある。「すすきの有影灯」「薄野まで」「すすきのの女たち」…。歓楽街に長くかかわってきたからこそ知っている人間模様を、八柳さんは文字に起こした。
テレビでも共演したことがある作家の東直己さんは「繊細で、いい文章を書く人だった。苦労をしているからこそ、書けたのだろう」と語った。
二十一日の通夜に飾られた八柳さんの遺影は満面の笑みだった。「通夜の帰りに、八柳さんをしのんで、ススキノで一杯やってほしい」。葬儀委員長を務める「あるた出版」の山崎巌会長はそう呼びかけた
ススキノの女性や自身の過去などエッセーとも小説ともつかぬ独自のタッチで書かれていた。非常にリアル且つあたたかく、どれほどの人間をこれまで見てきたのか相当な苦労をされたことが伺えた。
暫らくし、八柳さんに会ってみたくてふらりと「エンペラー」を訪ねてみた。キャバレーは初めてで緊張したが、フロアの隅に立たれている八柳さんを発見した。早速、ご挨拶をすると、「私の本を読んで訪ねて来てくれた方は初めてです」と大変恐縮されていた。連絡先をいただけますかということで名刺交換をしてその日は帰った。
お礼の手紙を送り、暫らくして「エンペラー」を訪ねてみた。八柳さんは「先日のOさんの手紙、店の朝礼で全部読ませていただきました。うちのホステスにも是非伝えたかったことがあります。」と言われた。こちらは赤面ものであったが、内容はキャバレーの文化を守ってほしいことや店の心遣いなどについて書いた覚えがある。
その後、2,3度お会いして、歌志内出身のアローナイツショーの時は、炭鉱出身の彼らに興味があることを告げると楽屋まで案内していただきアローナイツのボーカルの方を紹介したいただいた。八柳さんからは「一度、ゆっくりススキノで杯を交わしましょう」と言われていたが、その後、店には出られなくなり、結局果たすことはできなかった。最後にお会いしたのは2000年頃であろうか。
一昨年、秋エンペラー閉店の話を聞き、会社に八柳さんの近況についてお伺いすると既に体調を崩されて出てこれないというだった。
フロアの、やさしそうな笑顔が忘れられない。
万世閣はすぐ近くに「旭岳万世閣ホテルベアモンテ」があり、旭岳初の高級リゾート志向のホテルをオープンさせているが、ディアバレーはスタンダードツイン(1泊2食付)で1人9075円と割安な料金設定となっている。
旭岳温泉は国立公園内なので新たな建物の建設はできないが、代替わりが続いている。ベアモンテは以前、「えぞ松荘」だったはずで、古くからある湯駒荘も経営が代わり、きれいになっている。新しく生まれかわるのはいいが料金設定が少し高め(特にベアモンテ)の気がする。
管理人は「アートビレッジ杜季」という料理がおいしい小宿に2回ほどお世話になった。ダイニングから見る旭岳が素晴らしかった。登山シーズンに集中しがちな旭岳だが季節を変えても美しいところだ。また、ここのスキーゲレンデは国内トップクラスの雪質と雄大さであると思う。
余談だが、ボクシングの内藤大助は高校卒業後、洞爺万世閣の厨房に就職したらしい。たまたまテレビで恩人に会いにいく企画でやっており、名前は出さなかったが万世閣のようだった。当時の仲間は誰もいないと言っていたが、すぐに辞めてしまうのだろうか。
【参考】旭岳万世閣ホテルディアバレーホームページ
]]>昨年、臨時化が発表された段階で、全廃へ向けた既定事実とかんじたが、これほど早く無くなるとは想像できなかった。
夜行列車、寝台車の廃止は加速度に進んでいるが、北海道関係だけでも「北斗星」の1往復化(最盛期は3往復)、「日本海」のルート短縮(函館→青森終着へ変更)、快速「ミッドナイト」の廃止など国内で最後まで夜行列車が元気だった北海道も例外ではなくなった。
一般の利用者から見れば、すでに夜行列車はビジネスや帰省の際の移動手段には入っておらず、臨時化された段階で命運尽きたと思う。夜間移動の主役は鉄道からバスへ移っており、寝台車は非日常的な特別なものになってしまった。寝台料金を11月から5月の間、3千円に下げても選択肢に入っていないので客は戻らない(大幅な値下げをして大々的なPRをすれば別だが)。
「まりも」には、2001年春に乗車している。その時は「おおぞら13号」の名称だった。(「まりも」は以前、急行として運行されていたが、特急格上げの際「おおぞら」に名称変更。その後「まりも」としてまた復活)。
羽田を最終便の飛行機で発ち、22時近くに千歳着。札幌まで戻る時間もあったが、空港内の三井アーバンホテルのバーで時間を潰し、タクシーで南千歳へ出て、「まりも」B寝台に乗車した。
5月末の金曜日であったが車内は閑散としていた。早朝、曇天で薄ら寒い釧路へ到着。ホテルの朝食もまだ開いておらず、早朝の北大通りを幣舞橋まで散歩した記憶がある。夜行列車なのに「おおぞら」という呼称は合わないと思ったが、窓から見た早朝の北辺の大地は幻想的であった。
1959年9月に運転を始めた道内発着の夜行列車は、「まりも」の廃止で59年の幕を閉じる。
【参考】JR北海道のプレスリリース
]]>オンパクの本家本元である大分県別府市の別府八湯温泉泊覧会(ハットウオンパク)を運営するNPO法人「ハットウ・オンパク」はこれまで北海道函館市の湯の川温泉と福島県いわき市のいわき湯本温泉にノウハウを伝授、既に2カ所でオンパクが開催された。
「オンパク」は全国に波及し、函館市ではいち早く2006年秋に「湯の川オンパク」1回目を開催、去年に続き今年も開催される予定である。また、ニセコ町でも開催予定である。
このオンパク、いいイベントであると思うが、北海道の温泉観光は九州の観光地を参考(パクリ)にしているものが多い。客室、露天、町並み景観計画など「あそこと同じ」というものがいくつかある。それはそれで他所を参考にしながら、北海道観光を改善・向上させてくれればいいことだが、観光立国といわれながらも二番煎じが多く、個性の乏しさには一抹の寂しさも覚えてしまう。
道産子にはもっともっと自分たちに身近にあるものの良さを知って、それを地域づくりに活かしてもらいたいと思う。隣の芝生はよく見えるかもしれないが、目の前に宝の原石がころがっているかもしれず、それを洗い出す作業も必要だ。
そして、オンパクに関しては是非、その地域の特長が前面に出る企画を打ち出して欲しい。
先日、歌手の都はるみの最愛のパートナー中村一好さんが自ら命を絶たれた。プロデューサーとしては大変才能があった方のようで石川さゆりの「天城越え」、都はるみの「千年の古都」など演歌を超えた演歌を作っている。
担当作品の中に「小樽運河」がある。この作品は都はるみカムバック第一作のもので1990年にリリースされている。吉岡 治 作詞 弦 哲也 作曲
メロディはこちら
精進落としの 酒を飲み
別の生き方 あったねと
四十路なかばの 秋が行き
セピア色した 雨が降る
イェスタディを聴きながら
二人歩いた
あぁ 小樽運河
誰のせいでも ないけれど
これで終わるの 始まるの
あなたはほんとの 男なら
私一人に させないわ
イェスタディを抱きしめて
揺らぐガスライト
あぁ 小樽運河
上りのディーゼル 待ちながら
やっぱり明日も 漂って
傘をあなたに 貸したまま
セピア色した 雨が降る
イェスタディをもう一度
窓のむこうに
あぁ 小樽運河
イェスタディをもう一度
窓のむこうに
あぁ 小樽運河
これまでの演歌にない演歌、むしろ新ジャンルを創ろうとしている意気込みをかんじる曲、詩、アレンジである。メロディは「星の流れに」(菊池章子)、「東京ブルース」(西田佐知子)に似てないこともなく、アレンジは「センチメンタルジャーニー」(松本伊代ではない)を参考にしているが、けじめをつける旅、団塊世代と思しきヒロインに「イエスタディ」となかなか意欲的な詞である。
気になるのは3番目の歌詞、「♪上りのディーゼル 待ちながら」である。驚いたのは「ディーゼル」というフレーズ。小樽駅から上りといえば倶知安、長万部方面である。小樽から先は電化されたおらず、すべて気動車・ディーゼルカー。作詞の吉岡治氏はそこを忠実に再現しており、具体的で、職人技だ。
普通の演歌歌詞ならこの部分、「♪上りの列車を」、「♪上りの夜汽車を」あたりが来るであろうが、「ディーゼル」と使ったことでリアリズムが発生している。「♪上りの気動車」では田舎臭く、マニアになってしまう。いろいろな部分で新生・都はるみを送り出そうという意気込みがかんじられる曲である。
このヒロイン、上りのディーゼルに乗ってどこへ行ったのであろう?「小樽のひとよ」の時代なら函館まで客車に揺られ、青函連絡船乗船だが、時代は1990年。倶知安あたりでもう一度「上りのディーゼル」を待ったかもしれない。
それにしても小樽運河」の楽曲はいい感性。しかし、垢抜けすぎていて大ヒットには結びつかなかったのであろう。「千年の古都」もいいが、それまでの唸り節の都はるみとは違いすぎてファン層を捕らえられなかった。現実と理想の狭間で創作活動は難しい。