2005年10月13日

【函館バル街】イベント参加リポート

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函館市の元町・西部地区で恒例となった「バル街イベント」が9月27日開催されました。
今年の3月に続き、4回目の開催となりますが、函館市西部地区の飲食店街をスペインの居酒屋「バル」に見立て、散策と飲食を楽しみ、地域再生につながればということで恒例化してきたイベントです。

今回は、旧・英国領事館や甘味店などの初参加店も加わり、過去最多の44店が参加しました。ドリンク1杯と各店が創作するスペイン風のつまみ・ピンチョス(おもにツマミを楊枝でくし刺し状にしたもの)が楽しめるもので5枚つづりの3千円のチケットになっています。

チケットは当初予定していた1800枚を上回る約2300枚が完売。当日はチケットを求める人たちでメイン会場のアクロス十字街はごったがえしていました。
アクロスの会場には地元の和洋食、中華などの6店舗によるこの日限りの店「BARガスバリ」が登場。厚岸産のカキやサケのクリーム煮など趣向を凝らしたメニューが登場し、大盛況でした。
今回も十字街-谷地頭間をバル電車に仕立てた市電が往復し、高台の英国領事館へはシャトルバスが運行され、イベント規模も拡大しました。

【バル街】イベントもすっかり函館市民に定着したようです。参加されている人たちが、かなりお洒落をして来ている人が多いのには驚いてしまいました。
多分、函館の中でも高感度のトレンド系の人たちが参加されていると想像しました。

このイベントの魅力は既存施設を活用するので設備投資の必要がなく、行政にも頼らない新しい形の地域活性策であることです。地域を「飲み歩く」行為によって地域の掘り起こしや再確認をする意味でユニークなまちづくりモデルになるのではないかと考えていますが、今回いくつか気になったことがありましたので報告いたします。

前回と比較すると店の混雑が目立ちました。参加者が増えているので当然ですが、4回目なので「人気店」が誕生しています。並ぶこと自体は”お祭り”なのでそれほど苦になりませんが、店によってイベントや料理(ピンチョ)に対する意識の違いがあるようです。
また、券がなくても現金600円払えばOKという店があり、そのあたりも店ごとによって対応が違うようでした。

イベント本来の目的である元町・西部地区の活性にはかなり程度貢献していると思います。イベント自体かなり浸透してきており、スペイン→バル→はしご酒→賑わい→地域の活性というコンセプトは他の地域のはしご酒イベントにない、ユニークかつしっかりしたコンセプトであり、提案者のレストラン「バスク」オーナーである深谷氏には敬意を表します。

今後の課題としてはこのイベントをどういった方向に持ってゆくかです。現在のようなスポット開催でいくのか、それとも常時、楽しめるような仕組みを作るのか検討する価値があるかと思います。
また、開催地域が元町・西部地区だけでいいのか。地域の再興という意味では駅前の大門や松風町、五稜郭周辺などの地域で同時期または前後して開催し、市内繁華街全体の活性につなげるということも考えられます。

中心街全体に元気がない函館なので市電が通る古いエリアだけでも共同でやるという方法もあります。
現在はスペインのバルをコンセプトにしていますが、舶来イメージが強い現地域ではあまり違和感がありません。しかし、他地区での開催となるとスペインのイメージとは程遠く違ったコンセプトも必要かもしれません。
今月、大門の屋台村が出来ますが、バル街となにかリンクできれば面白いかと思いますがどうなのでしょうか・・・
イベントが大きくなってくると検討課題が増えてきます。

先日、聞いた話ですが最近函館で軽く一杯呑みに行こう、はしごをしようという時、「バルる」という言葉が使われているそうです。
また、「バル」=「はしご酒」と誤訳している人もいるみたいで笑ってしまいましたが、ひとつのキーワードから確実に広がりをみせていることはうれしいことです。

5回目がためされます。且つ楽しみであります。 

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2005年07月04日

■ 団塊・シニア層の北海道移住計画について

北海道移住「北の大地への移住促進事業」について

首都圏で住んでみたい地域のアンケートを取ると北海道は長野、沖縄などと共に住みたい地域の上位に入っていることが多く、憧れの北の大地といえるでしょう。
そんな憧れの北海道生活に対し、道がシニア層の移住促進を進めようと具体的な動きを始めました。
北海道移住を道が表立って奨励することは、最近では殆んどありませんでしたが、もともと潜在的な北海道ファン、移住希望者は多く、民間レベルでは90年代に入り、積極的な動きがありました。そのあたり本題に入る前に移住に関する動きについて簡単に触れたいと思います。

バブル崩壊後の1991年には、十勝移住を希望する人たちのサークルとして「百年遅れの屯田兵」が十勝毎日新聞、メディアボックスなどを中心に立ち上げられ、仲間作りから移住ノウハウ、就職までサポート体制が整えられるようになりました。
また十勝の動きに触発されるかのように1994年には札幌で「私設・北海道開拓使の会」(現在はNPO団体)が当時のたくぎん総研が中心となり、立ち上げられました。
会ではバックアップをしてくれるスポンサー企業を募り、北海道では厳しい雇用門戸の開放にもつなげ、多くの会員が津軽海峡を渡りました。移住者と移住希望者の連鎖を継続するためのネットワークづくりを手伝うことが会の趣旨であり、現在は一服の感がありますが、その使命はNPOになった今も引き継がれています。

当初は「なんでわざわざ北海道に来るのさ」ということで、あちらこちらから奇異の目で見られましたがマスコミの報道などにより、知名度が高まりました。
これまでのマイナスイメージの移住から21世紀型の移住モデルを作るまでに至ったことは、両組織の存在なくして考えられないことです。道も市町村もI・Uターンの受入れに積極的になり、専任の部署や窓口を設け、活動をしていますが。最近は経済状況などから頭打ちの感があります。

現在、若者から働き盛りにかけての移住希望者が多いのは以前と変わりませんが、道内だけではなく、全体的な雇用状況の悪化もあり、移住はしにくい環境になっています。
移住を促進させる打開策がなく、閉塞感の状況下、出現したのが、団塊・シニア向けの移住プロジェクトの話です。

ここで「北の大地への移住促進事業」の概要を簡単にまとめておきます。道のプロジェクトは07年度から退職時期を迎える団塊の世代を北海道移住者として受け入れるため、今年度から「北の大地への移住促進事業」の名のもとスタートをしました。団塊の世代は約670万人おり、道は07年度から3年間で計3000世帯が移住すれば、約800億円の経済波及効果があるという推計を出しています。
道はシニア移住者を受入れる市町村を募り、移住事業担当者がいることを条件に、渡島管内の八雲町や小樽市など65市町村を「登録市町村」に指定して環境整備を行っています。
今後、団塊層・シニア層の移住を促進させるために、今年末までに戦略を練り、07年度までに移住しやすい環境を整えていく方針です。

事業計画では、企業から移住に関するアイデアを公募し、首都圏などでPR活動を展開するほか、体験ツアーなどを実施します。また、受け入れに積極的な市町村には不動産などの専門家を派遣し、サポート体制を整えます。福祉関連事業の拡大など「移住ビジネス」の創出と、人口増加による地域活性化を目指すということです。

この内容を読んでみると前述をした「100年遅れ」や「開拓使の会」で蓄積したノウハウを道が組織的にに、市町村と団塊世代向けにアレンジをした印象を受けます。
この世代は所得が多く、行動的、地域にも馴染みやすそう。また将来の雇用創出にもつながりそうなので北海道の田舎町に来てくれれば一石二鳥という発想は理解できます。しかし、まるで団塊層が高度成長期の「金の卵」のようで、創造的なプロジェクトとは思えません。

年寄りといっては失礼かもしれませんが、老人が多い町(それも”移住老人”という新人種)が魅力的といえるでしょうか。移住者には仕事を通して学んだ特技や専門知識などを地域で教えるといったマイスター的な役割を期待している市町村もあるでしょうが、優先順位としては今、働いている現役の人たちを先に通してあげることが重要であると考えます。
勿論、それが同時でも構いませんが、北海道の過疎の共通の悩みは若者がいないことです。かりに”移住老人”が寝たきりになり、福祉事業の雇用拡大が発生したため若者が地元に残る。→よって人口流出が止まり地域が活性化する-などとは決して思えません。

団塊・シニア層を道がプロジェクトとして移住促進にかけることは、やや短絡的な印象を受けます。地域活性手段としては手っ取り早いかもしれませんが、一過性と思われ、負の遺産を残しそうな気がします。

事例は違いますが、今、道が積極的に受入れているコールセンターやデータセンター事業と共通するものがあります。
そういう意味においても「旬」の人に来てもらい、頑張ってもらえるようなプログラムづくりに道が参加することを期待したいところです。

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2005年05月02日

百貨店の撤退と中心街の衰退 釧路の場合

再建を目指す丸井今井が取引金融機関などに提示した再建案で、札幌本店に加え、函館、旭川両店の存続方針を盛り込んでいることが明らかになりました。赤字店の釧路、小樽、苫小牧、室蘭の4店は閉店も視野に検討を進めているとのことです。
百貨店はスーパーや量販店と違い、駅前や中心街に立地しているのが一般的で、百貨店の撤退は地域の衰退にもつながります。また、百貨店が消えることは、地域にグレードの高い物販店がなくなってしまうので、その町の「格」にも影響してくる問題です。ロードサイド型ショッピングセンター全盛の昨今ですが、百貨店があるとないとでは、その町のイメージも大きく変わってくるはずです。
丸井今井が撤退を検討している都市の中で小樽は札幌に近く、ウイングベイ小樽などの商業施設もあり、小樽店自体の集客規模も小さいので地域へ及ぼす影響は少ないと思われます。苫小牧店も最近オープンをした道内最大級のスーパーイオンがあり、もともと大型SC中心の町です。室蘭は地域が空洞化しているので気になりますが、百貨店の売上げ自体がトントンなので存続できるかもしれません。
その中で気になるのが釧路です。地域の空洞化は道内の都市で№1といっていいでしょう。釧路駅からMOOのある幣舞橋方面へ伸びる北大通の寂れかたは急速に進んでいます。

釧路は商圏が郊外のロードサイド型に変ってしまった典型的な町です。釧路市の人口は減っていますが、隣りの釧路町は逆に増えており、空洞化をした都市といえます。(すでに都市とはいえないかもしれない)
ところで丸井今井・釧路店はもともとは鶴屋という地元資本の百貨店を10年前に買収したものです。前身の鶴屋は昭和5年創業の老舗で、釧路の中心街である北大通を代表する商店でした。
長い間、釧路の中心として栄えた北大通ですが、昭和40年代に入ると地域の基幹であった水産・石炭・紙パルプの地場産業に衰えが見えはじめました。そのあたりから釧路の退潮がはじまったわけですが、鶴屋百貨店は地域のランドマークとして辛うじて輝きを保ってきました。
しかし、ライフスタイルの変化により、消費購買は街なかから郊外へ移動してゆきました。こういった現象は釧路に限らず、日本全国どこでも見られる現象で、駅前商店街の空き店舗などは社会問題になっています。
釧路の場合、地域産業の不振、人口の流出、モータリゼーション化が早かったことなど空洞化が早まる悪条件も重なりました。

現在、釧路の中心街には魅力的といえる商業施設がありません。映画館も無ければ、喫茶店もどんどんなくなっています。幣舞橋にはフィッシャーマンズワーフMOOがありますが、閉鎖してもおかしくないほどの不振が長年続いており、もし、丸井今井が閉店すれば地域にとって大きな打撃を与えることが予想されます。

百貨店がなくなり、郊外の大型ショッピングセンターだけになれば、町全体の個性がなくなり、均質化し、「ファースト風土化」が進むといった文化面での問題も出てきます。
釧路は保守的な街で、小樽や帯広のように市民・地域レベルでの盛り上り、新しいものを造りだすといったことが苦手な地域です。
このままでは地域の液状化が進み、活力に乏しい町になってしまいます。中心街の衰退は地域の衰退であり、経済的打撃だけではなく、地域文化の衰退というファクターも含まれています。
こういった問題は釧路だけではなく、函館や室蘭などにも当てはまり、全国的な問題です。
いち百貨店の撤退では済まされないテーマです。

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2005年03月31日

【この冬のニセコはどうであったか】

ウインタースポーツのシーズンも間もなく終わりを迎えようとしています。今冬は全国的に豊富な積雪に恵まれましたが、客足は回復しているのでしょうか。
このところ話題を独り占めしているニセコとオーストラリアですが、どうなっているのか気になるところです。
昨年の本メルマガでオーストラリア資本による不動産や観光開発をめぐる動きをお伝えしましたが、その後も動きが活発化しています。スキーシーズンにあわせオーストラリア資本が95%入った「日本ハーモニー・リゾート」が東急系の「ニセコひらふ花園スキー場」を買収したことはお伝えしましたが、同社のロジャー・ドナザン会長の妻はカンタス航空の会長であり、11月にはカンタス航空が千歳線直行便を再開させました。今冬は多くのオーストラリア人が直接、新千歳空港から貸切バスでニセコ入りをしました。

また、不動産投資が活発になっています。今年1月1日時点で累計34件あり、約1万6000平方メートルの土地をオーストラリア人が取得しました。別荘として利用するほか、投資目的で購入する動きがあります。特に豪州資本が集中している「ひらふ地区」では、長引く不況で道内の地価の下落傾向が続く中、地価がじりじりと上昇しています。同地区への豪州資本による投資が好景気を呼び込んだ形で、従来価格の2,3倍で取引されているというのでバブル期なみの現象です。

先日、ニセコへ行きましたが、聞くところによるとオーストラリア人客はニセコエリアの中でも限られた場所に集まっているようです。3月中旬であったのでほとんどが帰国していましたが、豪州資本が集中する「ひらふ地区」が中心です。ニセコにはグラン・ヒラフ(倶知安町)東山(ニセコ町)、アンヌプリ(ニセコ町)などが規模の大きいゲレンデとして知られていますが、東山やアンヌプリへ行くスキーヤーは少なく、飲食や日常品の購入もひらふ地区で済ませ、倶知安町に集中してお金が落ちているようです。
(ニセコ町や蘭越町には恩恵が少ないです)
豪州資本による投資や開発について地元では冷静に見ていました。地元では地域経済活性化への期待の一方で、乱開発や局地的な地価上昇を懸念する声も出ています。
特にバブルで痛い目にあっているニセコでは、現状を”OGバブル”として捉え、金融機関も豪州資本への融資には慎重のようです。
今後、豪州資本は、カナダ・ウィスラーなどへ行くオーストラリア人スキー客50万人のニセコへの誘客、また、集客をニュージーランドやシンガポールまで拡大し、夏季は香港や台湾なども視野に入れたリゾート計画を考えているようです。
ニセコには「湯の里」など別荘地として開発されながら、親会社の倒産などで維持・管理が難しい別荘地がいくつかあります。今後、オーストラリア人向けの別荘がたくさん作られそうですが、「過去」と同じ過ちだけは繰り返してほしくはありません。
現状では多くの日本人がこの現象を冷静に、注意深く捉えていると思います。ビジネスモデルとしては大変、魅力的であるのでバブルで終わらないことを祈ります。
ニセコに関するレポートは、定期的に追ってゆきたいと思います。

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2005年03月03日

スペイン文化を活用した街づくり-函館

バル(bar)をご存知であろうか?
スペインやポルトガルなどにある居酒屋兼軽食屋のことで朝早くから夜遅くまで営業している店のことである。スペインではどんな小さな田舎町にも必ずといっていいほどバル(街)があり、地域のコミュニティ・スペースになっている。そんなバル街が函館にある。-といっても3月9日の一晩限り、西部地区がバル街に変わるイベントが行なわれるのである。
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函館市の旧市街地(西部地区)をスペインの飲食店街に見立てて、飲み歩きを楽しむ催し「バル街」の第3回が3月9日に行われる。市電の車内をバーに仕立てた「バル街電車」が登場するほか、老舗レストラン「五島軒」が新たに参加するなど、前回(36軒)を上回る42軒が参加の予定。
実行委員長の深谷宏治さんは「この機会に今まで入ったことのない店に足を運んでみては」と呼び掛けている。バル街は、昨年2月に「2004スペイン料理フォーラムin hakodate」のイベントの一つとして初めて実施。次の開催を望む声が多く寄せられ、実現した第2回には、目標の600人以上を上回る850人以上が足を運んだ。同実行委では、今後年2回の開催を恒例化する考えだ。今回、目玉となるバル街電車には、冷蔵庫やテーブルなどを備えた車両内でバーテンダーがサービスする。午後7時20分から10時まで、電停の谷地頭―函館どつく間を8往復する予定。飲食にはチケットが必要だが、飲み歩きの移動手段に利用する場合はバル街マップの提示で乗車無料となる。
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実行委員長の深谷氏は市内でスペイン料理店「バスク」を経営するオーナーシェフだ。スペイン料理のグルメが集中するバスク地方のサンセバスチャンの三ツ星レストランで修行、故郷の函館へ戻り、北海道はもとより当時、まだ日本で少なかったスペイン料理店をオープンさせた。サンセバスチャンはバスク地方有数の港町であるが、地形や町のつくりなどが函館に似ており、イカやタラが名物といった共通点も多い。現在、深谷氏は国内を代表するスペイン料理人であり、本格派のスペイン料理を求め、地元だけではなく、全国からファンが「バスク」へ来るほと知られた店になっている。
深谷氏は函館の街づくりの一環としてバルイベントを考案した。当初は気乗り薄であった地元も、飲み歩きで夜の旧市街を散策し、函館の魅力を再認識してもらうという狙いを理解し、会を重ねるごとに参加店が増えている。参加店はそれぞれ店自慢のつまみ(ピンチョス)を一品出す仕組みだが、そのあたりも本場志向(?)でなかなかの凝りようである。
函館は繁華街が五稜郭、大門、西部地区などに分散、百貨店の閉鎖などが相次ぎ、中心部のドーナツ化がいわれる中、飲食店も苦戦を強いられている。
街づくりに関しては結束力が弱いといわれる函館であるが、「バル街」は官主導ではない草の根的イベントであり、今後、西部地区以外にも広がりをみせるのか楽しみである。これまでも「飲み歩きツアー」は道内各地で実施されているが、自慢のつまみ(ピンチョス)を出す趣向や今回実施される市電のバル化など他にはないユニークな試みである。なお、チケットは3000円で販売しており、インターネットのバル街公式サイトからも予約できる。  www.bar-gai.com

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2005年02月08日

西武グループ再編と北海道

西武鉄道グループの経営改革委員会がグループ再編計画を発表した。グループ中核企業のコクドのリゾート部門と西武鉄道を合わせた新会社構想が盛込まれ、この新会社のもとで業績の悪い施設は淘汰されそうである。道内にはコクドの施設が26箇所あり、その多くが苦戦をしいられている。道内のコクド関連施設をまとめておきます。
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■スキー場8ヶ所
真駒内・北広島・ニセコ東山・深川・富良野・函館七飯・津別・糠平温泉
■ホテル8ヶ所(すべてプリンスホテル)
札幌・札幌北広島・ニセコ東山・富良野・新富良野・大沼・釧路・屈斜路
■ゴルフ場10ヶ所
札幌北広島・ニセコGC・ニセコ東山PH・新富良野・富良野・大沼P大沼駒ヶ岳・北海道CC大沼・上士幌・女満別
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道内各地に施設が点在しているが、中には素人目に見ても採算が取れるのか疑いたくなるような施設がある。改革委員会では苗場・軽井沢・箱根など首都圏に近い施設に経営資源を集中し、北海道は東北などとともにリストラの標的になりそうな気配である。コクドが北海道へ進出したのは1965年、七飯町の北海道CCが最初であるが、札幌五輪を契機に札幌プリンスホテル(以下PHと略)、富良野PHなど続々オープンをさせ、オーナーである堤義明氏のスポーツ・コネクションにより富良野ではスキーW杯が開催された。
1980年代、まだ日本が元気であった頃、コクドはPHやレジャー施設を拡充させた。たとえば苗場のPHは増築を重ね客室数が千を超える巨大リゾートになった。そしてスキーの大衆化とともに苗場=PHとなり若者の憧れとなる。また、人里離れた過疎の村にスキー場を作り、ゴンドラを山の頂まで延ばすことで全国各地からオファーがかかりスキー場を増設した。志賀高原の焼額山や秋田の森吉など自然保護運動との対立もあったが概ね、「おらが町に西武のスキー場がきた」ということで地元には歓迎された。
道内では深川・糠平・津別などがその例に当てはまる。ホテル・スキー場ゴルフ場の三点セットが揃っていれば来客が見込める-これが西武・PHの基本事業スキームであったはずだ。
90年代に入るとスキー客とゴルフ客の激減は経営を圧迫した。しかし、こういった現象はバブル崩壊後、西武グループだけのものではなく凋落の本質的な原因はもっと根深く一連の不祥事がそれを炙りだしている。
PHの手法は「はこ物戦略」である。つまり大きく、立派な建物を風光明媚の場所に立て、あとはレジャー施設を作ればプリンスブランドで客はやってきてくれる-そんな図式ではないであろうか。最近では札幌プリンスホテル新館タワーがオープン。小泉首相もオープンに招かれたが「苦戦している」とホテル関係者はみている。
たしかにPHはホテルの大衆化に貢献をした。しかし非・日常性を満喫したい観光地でお決まりのPH流サービスではもはや消費者が満足しなくなった。目が肥えた消費者はPHの戦略を見通していることに企業側が気づかなかった-気づいたとしても大組織・オーナー企業のため反応が遅かったのではないであろうか。安いパック旅行ならPH、リゾート気分を味わうなら洞爺ウインザーホテルへ行くなど消費者は棲み分けをする時代であり、PHは残念ながら大衆路線を引いたことで自らを圧迫させたような気がする。
道内各地のコクドのレジャー施設は、地域に溶け込み、観光産業のみならず地域経済を支えている。西武グループ再編の行方の中で大幅撤退となれば影響は計り知れないはずだ。再編を注意深く見守る必要がある。

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