頑張る温泉地だがもうひと工夫を求める
2006年09月28日掲 載
上:川湯温泉街 真ん中の白い小さな建物が唯一の公衆浴場 下:廃業したホテル このような建物がいくつかある
先日、道東・川湯温泉(弟子屈町)へ訪れた。年1,2回訪れているお気に入りであるが、ここの特長は、近くの硫黄山から大量の硫黄泉が惜し気もなく湧出しているおり、温泉地としての資源に恵まれている
ことだ。。群馬県の草津と同じ泉質であり、いかにも効きそうなお湯であるが、温泉地としては地味な印象を受ける。
温泉街には十数軒の宿があり、中規模4,5階建てののビルが目立つ。昭和40年代から50年代前半頃に建てられたような宿が多く、老朽化も進んでいる。かつては賑わいをみせていたが、客室が百を越えるような大規模ホテルは無く、チェーン展開をしている宿も無いためマス・ツーリズムの流れから取り残され、観光客は阿寒湖やウトロなどに流れてしまうようになっている。調べるとこの10年で十軒近い宿が廃業か代替わりをしておりローカルな温泉地としては変動が激しい。
最近になって川湯温泉は、地域を何とかしようと温泉そのものを売り出す「源泉かけ流し宣言」を行なった。温泉旅行が団体から個人へシフトをし、ひと昔前の露天風呂ニーズから、最近は源泉・泉質ニーズへの高まりを受け、湯量と泉質に恵まれた川湯は追い風と判断して実施したのであろう。
各旅館の玄関には、お揃いの「源泉かけ流し宣言」の布製垂れ幕が飾っており、「外湯めぐり」のスタンプラリーも実施している。
今年6月には「第2回源泉かけ流し温泉サミットin川湯」が開催された。
このイベントは源泉かけ流しを売り物にしている全国の温泉地が集い、取り組みを紹介するもので、第1回は奈良県・十津川村温泉郷で行なわれた。今回は十津川温泉、新潟県・関温泉、大分県・長湯温泉、摩周温泉、パネリストとして熊本県・黒川温泉、宮城県・東鳴子温泉が参加した。
また、夏季には「源泉まつり」がロングランで開かれ、縁日などが連夜行なわれる。このように川湯温泉はホンモノ志向、健康志向で客足の回復に務めている。
川湯温泉に限らず、道内の中規模温泉地は苦戦を続けている。核となるような施設がない温泉は、地域そのものが存亡の危機に瀕している。
そんな中、川湯より一足先に動きだしたのが、上士幌町の糠平温泉である。糠平は、かなり前から深刻な状況であり、大型ホテルが次々に廃業した。かつては襟裳岬や知床観光の中継地として人気があったが、川湯と同様に中途半端な規模で団体依存、宿の特長もなかったため衰退してしまった。危機感を強めた旅館経営者は旅行会社頼みの営業をやめ、個人客重視に大きく方向転換した。
連泊者が好きな宿の夕食を楽しめる「味巡り」を始め、各宿は夕食客を増やそうと食事に工夫を凝らすようになった。北海道遺産に選ばれた旧士幌線のタウシュベツ川橋梁の人気も高まり、最近では糠平駅跡に線路を敷き、ミニ鉄道も開業させた。早朝散策ツアーや気球体験など早い時期から体験プログラムを取り入れている。
各旅館は個人客ニーズに対応するために客室や風呂を改造、手作りであるが評判を呼び、最近では客が戻ってくるようになっている。
著者は糠平温泉の試みに興味を持ち、何度か足を運んで泊まってみた。各宿涙ぐましい努力をしているのはよくわかるが、まだまだ見よう見まね黒川温泉をナゾっている状況であり、洗練された御もてなしというレベルには達していない。
川湯温泉の場合も「源泉かけ流し宣言」をして、その心意気を支持しているが、糠平と同様に暖かい目で応援している段階である。なので今のレベルで満足してもらっては困る。そこから先の魅力がないとそれだけではお客は呼べない。北海道全体にいえることだが、観光施策に個性がなく、真似が殆んどである。
第1回かけ流しサミットを行なった十津川温泉では、「なびきツアー」というものを実施している。「なびき」とは、世界遺産に認定された古道を歩くことによって心身再生をはかるスピリッチャル・ウオークであり
単なる山歩きや霊場巡りとは違うらしい。
スペインのサンティアゴ巡礼が最近、人気になっているが、己の人間性を高めるのが目的で、人材育成のプロがコーディネートをしているものだ。十津川ではこのプロジェクトを村の中心事業として、村民を巻き込んだ全村的なものを目指している。
十津川のセンセプトは独創的であり、地元の資産を活かすだけではなく応用をしている。時代ニーズを取込んでおり、話題性も充分である。
川湯や糠平温泉には、素材の良さを活かしながら、さらにそれを活用したここだけのモデルを作ってもらいたい。川湯は飲泉による療養、糠平は花粉症疎開を打ち出しているが、もうひとつ踏み込んだものを期待したい。
函館バル街とバル文化
2006年04月26日掲 載
例の「函館バル街」が4月16日(日)に開催された。
今回で5回目の開催となるバル街は、2004年2月に第1回が開催。その後はほぼ半年間隔のペースで行なわれており、函館を代表する地域イベントに成長をした。
5回目のバル街は初の日曜開催ということで昼間からの参加店も増え、裾野が広がってきた。日中からコーヒーと軽いデザートを食べられるので、お酒だけではなく、一日楽しめる本来のスペインバルに近づいてきたかんじだ。
バル街へは昨年3月の第3回以来、これで3回連続の参加である。
きっかけは、実行委員長である深谷氏がオーナーのスペインレストラン「バスク」へ数年前から通っている縁もあるが、今から20年前、スペインに長期滞在をしてバル文化を満喫した経験があることが大きい。その後も何度かスペインを訪問しているが、スペインでもっとも印象的で思い出深いものをひとつ挙げろといわれれば迷わず「バル」と答えるであろう。バルはスペインの文化そのものである。
スペインのバルは、朝の7時前から深夜0時過ぎまで開いている。
朝は朝食(desayuno)の客でごったがえし、それが落ち着くと11時頃には午前のおやつタイム(once)の客がやって来る。昼食(comida)を挟み、午後の休憩(merienda)、そして夕方からははしご酒タイムの時間と続き、一日5回のピークがあるといわれている。(最近は様変わりしてきているようであるが)
ほぼセブンイレブン状態(今は24時間営業だが)であり、バル店員の長時間労働がしばしばスペインでは社会問題になる。
バルの最大の役割は、スペイン人にとって時計代わりの場所であり、食の供給基地、また、コミュニケーションの場であることだ。イングランドのパブやフランスのカフェ、イタリアのバールなどと似ているが、微妙に役割や内容が異なっている。
バル文化とは単にはしご酒といった意味だけではなく、もう少し広いコミュニティとしてのメッセージがある。
日本ではこの形態の飲食店は殆んどお目にかかれない。強いていえばイタリア風カフェ&バールの「PRONTO」の業務形態が近いが、こちらは大手外食産業(サントリーフーズ運営)のためスペイン式バルとは比較の対象にはならない。
最近、スペインバルが密かなブームになっている。既に銀座界隈では10店舗近くある。手軽で、お洒落なところがウケているようだが多くは夕方から営業の”呑み屋”であり、経営者も外食産業のプロである。
古くからある立飲み屋も日本流のバルといえないこともないが、もとのコンセプトが違う。
スペインバルの特長は「朝から深夜まで」である。そして、地域住民の交流の場である。どんな小さな田舎町でもバルはある。人口数百人の集落でもバルが成り立っている。日本では考えられないがそれが文化である。
函館が地域活性にバルを選んだ意義は大きいと思う。有数の観光地である反面、駅前から十字街、宝来町方面などシャッターを降ろした商店も目立つ。特に夜になるとバッタリと人通りがなくなる。地元客と観光客が行く店が分かれており交流も乏しい。年配者が中心の地域である。かって函館の中心街であり、ハイカラ文化の発信地であった西部地区を元気にするためにバルを持ってきたのは絶妙である。
現在、駅前や商店街の空洞化が進み、商圏は郊外へ移っているのが、これは日本の地方都市全般の傾向である。札幌のような大都市でも郊外型へ移行しつつある。飲食店の多くが大手の外食チェーンとなり、個人店舗がどんどんとなくなってゆく。それは地元経済の損失だけではなく、地域が持つ個性の喪失日本の均一化でもある。
中心街や個人商店の崩壊、車文化による郊外型社会、希薄化する対人関係などこういった時代だからこそバル的な文化が求められるのでないか。
勿論、スペインと同じものではなく、日本流のものでいい。ヨーロッパ、特に地中海国家はどんなにIT化が進んでも自分たちのライフスタイルを頑なに守る。
バル街の魅力は既存施設を活用するので設備投資の必要がなく、行政にも頼らない新しい形の地域活性策である点だ。地域を「飲み歩く」行為によって地域の掘り起こしや再確認をする意味でユニークなちづくりモデルになるのではないかと考えていたが、これからはもう一歩、中へ踏み込み、広義のバル文化を根付かせられないものかと思った。
函館バル街が単なるイベントとして終わるのではなく、地域再生、回帰へつなげるためには、日常的な集いの場の提供など朝から夜まで居ることができるモデル店舗的なものがあってもいいのではないであろうか。
また、このような発想が全国各地が広がることを希望する。
釧路中心街、崩壊の危機!早急に策を打て
2006年01月12日掲 載
日本経済新聞によると丸井今井釧路店の閉店にあわせ中心市街地で店舗の閉店や移転・縮小が相次いでいます。同地域は郊外の大型店に顧客を奪われてきましたが、来年8月の丸井今井釧路店の撤退でさらに人通りが減ると見越し、早めの閉店を決断しているところも多いようです。
丸井今井の閉店予定店舗がある都市ののなかでもっとも中心街の崩壊が危惧される釧路市ですが、今後どう展開してゆくのか大変気がかりです。
釧路店の歴史は新しく丸井今井が拡大路線を取っていた1996年の開店ですが、昭和初期から同地にあった地元の老舗・丸三鶴屋を引き継いだものであり、同地には70年近くにわたって百貨店が存在をしていました。
釧路市の駅前メインストリートである北大通は、既に1980年代後半頃から郊外型店舗に客足を奪われていましたが、閉店店舗が目立つようになったのは90年代前半からの記憶が著者にはあります。
丸井の出店時期とシャッターが降りはじめた時期が重なるのは皮肉な結果ですが、中心街にに客足を取り戻すほど釧路店には魅力がなかったことも事実でしょう。
全国的に百貨店衰退の時代でも出店であり、丸井今井自体も拡大から縮小に入った時期で、タイミングもよくありませんでした。
実際館内は、「狭い」、「暗い」、「商品が少ない」であり、とても百貨店といえるレベルではありませんでした。中へ入ると函館駅前になるBMデパートと印象がダブります。
定価で買う価値のある商品が少なく、これでは郊外に客を持っていかれても仕方ないと思います。
釧路店の閉店が発表されてからそれほど経っていないのにも関わらず、周辺では店舗を閉め、郊外へ移転したり準備に入っているところも多いようです。
釧路店の閉店は辛うじて維持をしてきた中心街に決定打を与えることになりそうです。周辺は飲食繁華街でもありますが、そちらへ与える影響も半端ではなく、さらに空き地が増えることでしょう。
また、MOOなどの観光施設へも影響を与え、釧路市全体が悪循環に陥る可能性があります。
昨年、11月釧路店で開催された釧路市の軌跡をたどる「釧路市なつかし展」には、10日間に1万人を超える入場者がありました。これは普段の催事の10倍に当り、百貨店の売上げもかなり伸びたということです。
この事実は中心街に決して人が集まらない訳ではなく、魅力があるものがあれば来場するということを実証していると思います。もし、郊外店舗があるようなバイパス沿いで「釧路市なつかし展」を開催したとしてそれだけの入場があるでしょうか?というより郊外では皆が集う場所がないでしょう。
ここが中心街崩壊の怖いところです。
大ショッピングセンターがあれば、中心街はいらないと言う人もいるでしょうが「購入」のみが目的の郊外店舗では、多種多様な店や人たちが集まる中心街の代替にはならないのです。
以前にも触れましたが、中心街の衰退と郊外店舗の増殖は地域の文化水準を落とすということにつながります。「集い」がなくなる意味をもう一度確認すべきでしょう。
昨年、「下流社会」という本がベストセラーとなりましたが、現在の現象はまさに下流社会化へ推し進めています。以前から釧路の中心街を歩いているとヤンキーと年寄りが目立つ印象があり、道内の都市のなかではもっとも活気が乏しい街でしたが、危機的状況といっていいと思います。
残念なことは地域の人たちが無関心で諦めているように受け取れることです。既に生活が中心街から離れてしまって長いこともありますが、その間、釧路は本当によくなったのか考えてもらいたいところもあります。
丸井今井が無くなるにしても、それに変わる施設に何を持ってくるのかそして北大通周辺をどうしたいのか、それ次第で再生への道があると思います。
活発化する移住促進について
2005年12月12日掲 載
このところにわかに北海道移住が話題になっています。
特に道が音頭を取る形で都市部在住の「団塊の世代」を道内に呼び込もうというプロジェクトが発足して以来、活発化しています。
これまで道と自治体、NPO法人などバラバラで行っていた移住促進ですが、ここへきて自治体同士など「ライバル関係」にあったものが、窓口の一本化などの動きが出てきています。
また、道内50市町村でつくる北海道移住促進協議会では、来年1月、民間企業と連携し「移住ビジネス研究会」を立ち上げます。各市町村や民間企業が個別に実施している事業を一本化するほか、新ビジネスを創出を目的としています。
移住の相談や体験ツアーの実施、不動産情報の提供など関係する民間企業と意見を交換しあいながら移住ビジネスの創出に取り組むとのことです。
現在、移住に関する情報は限定されています。行政と民間の横のつながりがないため情報収集には手間取ります。また、200以上ある市町村の中からどこに足を運んでいいのか迷ってしまいます。
そういう意味では、最近の流れは評価できますが、どこまで有益な情報を提供できるかとなると未知数です。
これまで、行政が発信する情報は「広報」の領域を出ていないものが多く、伝手がないとなかなか移住は難しい状況でした。
たとえば移住希望者への地域や職業紹介施設として「北海道IJUセンター」がありますが、そこで知りえる情報は表面的なものであり、職業紹介といってもハローワークへの登録や就農相談といった内容です。
著者は、表面的な情報と不動産会社しか知らず、移住をして一家離散に近いような苦労をしている団塊層を見ています。
勿論、行政が提供できる情報には限界があり、あとは個人の情報収集能力にかかってきますが、やはり「ナマ」の「使える」情報がほしいところです。
さらに、移住促進プロジェクトのターゲットが団塊層とその前後にしていますが、はたしてそれでいいのでしょうか?
以前も同様のことを書いているので重複は避けますが、団塊層狙いといのは、あまりにも短絡的という気がします。
その発想自体は評価に値し、モデル事業として期待が持てますが、あくまでも団塊層移住は全体的な移住促進のone of themのはずです。
やはり、はたらける人に来てもらう、それを看板にするといういうのが健康的な発想ではないでしょうか?
地元での就職もままならぬ昨今、移住者の就職は難しく、税収が期待できる団塊層へのシフトも理解できますが、もう少しスパーンを長く取った戦略的な発想で移住促進を進めてもらい-それを看板に出してもらいたいというのが願いです。
■関連資料
道移住HP http://www.dankai-iju.jp
「免疫力」 上士幌町のイムノ・リゾート構想
2005年11月09日掲 載
最近、観光と健康をコラボレーションしたプロジェクトが各地に誕生しています。
温泉療養や森林浴などが代表的なプログラムですが、北海道・上士幌町では、「健康・環境・観光」の「新3K」をキーワードとした「イムノリゾート構想」を掲げています。
イムノ(IMMUNO)とは聞き慣れない名称ですが、免疫学の「immunology」から取った名称です。「イムノリゾート」は、偏った免疫バランスによって発症するとされるアレルギー性疾患、特に花粉症の原因とされるスギ花粉の無い環境で暮らすことで免疫バランスを是正し、健康生活を送るという意味をこめた造語です。
これまで温泉病院や健康志向が高い宿など施設単位で療養プログラムを提供する事例はありましたが、「イムノリゾート」構想では、町全体の豊富な地域資源を活かした健康と癒しの観光プログラムを開発するとともに、その効果を科学的に検証しながら、各々の地域資源について付加価値を高め、都市と農村の共生と交流による地域活性化を図ろうというものです。
「産・学・官」が協働し、プロジェクト体制を組んでいるのが特長であり、プロジェクトには加森観光、JTB、北海道大学遺伝子病制御研究所などが参加しています。
「イムノリゾート」構想では、上士幌の豊かな環境資源と十勝の食を活用することにより、ストレスを軽減し、心身のバランスを整え、免疫バランスを是正することで健全になることを目標としてます。
先月の23日には森林浴による健康・癒し効果を測定するため「イムノヒーリング実証実験・モニターツアー」が北海道自然歩道「東大雪の道」で行われました。首都圏在住者らに森林浴を体験してもらい、参加者の血液・唾液を採取し、医学的データを取るものですが、免疫学の見地からどういった興味深い相関が得られるか楽しみです。
現在、「イムノリゾート」構想は、上士幌町の重点施策として位置づけられています。ターゲットは当然、都市部住民であり、道が推進している体験・滞在型観光に、「健康日本21」で示されている「地域の健康づくりとまちづくり」を融合させたような複合型プロジェクトともいえます。
上士幌町には、糠平温泉や日本一広いといわれているナイタイ高原牧場などがあります。著者は糠平温泉の再生計画に興味があり、何度か現地を訪問し、宿屋のオーナーなどからも話を聞いています。これまで、糠平温泉は歓楽的とも療養型ともいえない魅力に乏しい温泉地でした。宿泊施設も中規模で老朽化しており、団体客、個人客の両方から敬遠され、温泉街は存亡の危機に立っていました。
バラバラであった温泉街は、一致団結し、自然環境を活かしたプログラムの導入や温泉街への植林、個人客ニーズを取り込んだやさしい施設への改造など環境面を重視したエコ志向の温泉街再生に取組んできました。
最近では、糠平湖にある旧国鉄士幌線のコンクリートアーチ橋梁群が北海道遺産に指定され、温泉街への客足も戻りはじめています。しかし、温泉街の裏手にあるコクド系の糠平温泉スキー場に廃止の噂が
あり、既存の資源に頼っていられないのが現状のようです。
「イムノリゾート」構想の中心となるのは糠平温泉であり、また、その周辺の自然環境であります。そういった意味では糠平温泉の役割は大変重要です。
プロジェクトでは上士幌の環境資源、食を活用することにより、心身のバランスを整え、ストレスを軽減し、免疫バランスを是正し、健全にするのが目標です。
過去に事例がないプロジェクトのため進捗を見守りたいところですが健康と環境をキーワードにした観光活性は地域活性化につながるだけでなく、国民全体の健康増進にもつながるので先進例として注目です。こういったヘルス・リゾートは今後増えていくことが予想されます。
参考までに道東の川湯温泉では温泉療養による糖尿病治療や温泉周辺のマイナスイオンの測定などを行い、療養・滞在型の温泉地を目指している事例があります。
なお、健康と観光を考える「スギ花粉リトリートツアーの可能性について」のシンポジウムが11日東京のJTB本社で開催されます。詳しくは下記URLをご覧下さい。
http://www.kamishihoro.jp/kikaku/immuno/gyouji/20051111simpoannnai.html
ある百貨店の「復活」から
2005年11月07日掲 載
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長野県の上諏訪駅前に「まるみつ百貨店」があります。
以前は「丸光」といわれいた諏訪地方唯一のデパートでしたが、昨年倒産の危機に陥り、再建が危ぶまれていました。しかし、「駅前の灯を消すわけにはいかない」が合言葉となり、先月5日に再オープンにいたりました。
倒産危機に伴う会社更生法の申請から1年3カ月。当日は再生を果たしたかっての名門を一目見ようと、多くの買い物客が詰めかけました。
著者は「まるみつ百貨店」に特別な思いがあります。著者の祖父母は諏訪市出身、その関係で幼少の頃から頻繁に諏訪を訪れていました。田舎がなかった関係で、年に数回は諏訪を訪れていましたが、子供心にも印象的なのが「丸光」デパートです。
創業は40年前ですが、オープンした当初は地元に百貨店ができたということでお祭り騒ぎ、著者がうる覚えですが、まだその余韻が記憶に残っています。
5階の食堂やおもちゃ売り場へ行くのが楽しみでしたが、おもちゃ売り場の脇には日本で唯一のデパートの中の温泉、「丸光温泉」がありました。
諏訪は国内でも有数の湧出量がある温泉地ですが、百貨店の中に温泉が引かれているというのは古今問わず画期的といってよいでしょう。
「丸光」は地域のランドマークであり、一番店でしたが、1980年代に入ると翳りがみえてきました。それまで駅前を発着していた路線バスがモータリゼーション化により減便や廃止が続き、地元客や観光客の流れが変わってきました。
同時期に中央高速道路が完成し、インターチェンジの近くにバイパスが通り、次第にファミレスや大型店舗ができるようになりました。買い物客も郊外へ移動がはじまり、駅前中心街の衰退が目立ってきまた。
「丸光」は閑散化し、訪れる度に寂れ方が増して行きました。それと共に駅前商店街もシャッターを降ろしている店舗が増えて行った記憶があります。
2004年4月、「丸光が自己破産を検討している」という報道がなされました。これに対し丸光幹部はセイコーエプソンの創業者長男である山崎壮一氏に再建を依頼しました。
山崎氏は市の課題だった市街地あった東洋バルヴの跡地利用や中心市街地の活性化などに取り組んでいました。そんな山崎氏にとって丸光倒産は座視できない問題でした。
当時、丸光の売上げは年間、30億円程度、諏訪地方の商圏から考えるとかなり少ない売上げで、潜在的には、一つの百貨店で年間売り上げ100億円が見込めることが流通コンサルタントに調査を依頼するとわかりました。
また、周辺の茅野市や岡谷市の大型スーパーが相次いで閉店しており、これ以上「駅前の灯を消すわけにはいかない」と再建のスポンサーを引き受けることになりました。
山崎氏は決断により、丸光は自己破産を免れた04年6月29日、会社更生法を申請、山崎さんが再建に投じた私財は、約2億円といわれています。
丸光あらため「まるみつ百貨店」オープンには雨にも関わらず開店前から数百人の人が並びました。店内は大改装され、一時閉鎖されていた「丸光温泉」も「まるみつ温泉・なごみの湯」としてリラクスゼーション施設を兼ね備えた施設へうまれ変わりました。
今後、名門復活となるかまだ未知数ですが、土台が出来上がったことだけは間違いありません。
今回、丸光の話を取上げたのは、丸井今井の再建に伴う店舗の閉鎖発表があったことや、札幌中心街にあった丸善書店の苗穂のモールへの移転など当メルマガやHPで取上げている「中心街の空洞化」に対し、一石を投じることができればと思い書きました。
勿論、置かれている状況が諏訪と北海道各都市とでは違います。
丸光の例は、スポンサーがいたことや地域の丸光への愛着、債権者の理解など好条件が再建へ結びついたといえます。
しかし、地域の人々がいかに本気になって「中心街の空洞化」を意識することができるのか、地域一番店(なじみの店)が無くなることがどういう意味を成すのか、今一度、真剣に考えるべきであると思います。
鉄道利用が減り、駅前は閑散とし、百貨店はなくなり、書店も消え、幹線道路沿いには全国画一的な大型店舗が集まり、マイカーで用を済ます・・・こういった「ファースト風土化」の負の部分にもっと気づくべきでしょう。想像以上に駅前や中心街を失ったリスクは大きいはずです。
後で気づいても遅いのです。

【函館バル街】イベント参加リポート
2005年10月13日掲 載
函館市の元町・西部地区で恒例となった「バル街イベント」が9月27日開催されました。
今年の3月に続き、4回目の開催となりますが、函館市西部地区の飲食店街をスペインの居酒屋「バル」に見立て、散策と飲食を楽しみ、地域再生につながればということで恒例化してきたイベントです。
今回は、旧・英国領事館や甘味店などの初参加店も加わり、過去最多の44店が参加しました。ドリンク1杯と各店が創作するスペイン風のつまみ・ピンチョス(おもにツマミを楊枝でくし刺し状にしたもの)が楽しめるもので5枚つづりの3千円のチケットになっています。
チケットは当初予定していた1800枚を上回る約2300枚が完売。当日はチケットを求める人たちでメイン会場のアクロス十字街はごったがえしていました。
アクロスの会場には地元の和洋食、中華などの6店舗によるこの日限りの店「BARガスバリ」が登場。厚岸産のカキやサケのクリーム煮など趣向を凝らしたメニューが登場し、大盛況でした。
今回も十字街-谷地頭間をバル電車に仕立てた市電が往復し、高台の英国領事館へはシャトルバスが運行され、イベント規模も拡大しました。
【バル街】イベントもすっかり函館市民に定着したようです。参加されている人たちが、かなりお洒落をして来ている人が多いのには驚いてしまいました。
多分、函館の中でも高感度のトレンド系の人たちが参加されていると想像しました。
このイベントの魅力は既存施設を活用するので設備投資の必要がなく、行政にも頼らない新しい形の地域活性策であることです。地域を「飲み歩く」行為によって地域の掘り起こしや再確認をする意味でユニークなまちづくりモデルになるのではないかと考えていますが、今回いくつか気になったことがありましたので報告いたします。
前回と比較すると店の混雑が目立ちました。参加者が増えているので当然ですが、4回目なので「人気店」が誕生しています。並ぶこと自体は”お祭り”なのでそれほど苦になりませんが、店によってイベントや料理(ピンチョ)に対する意識の違いがあるようです。
また、券がなくても現金600円払えばOKという店があり、そのあたりも店ごとによって対応が違うようでした。
イベント本来の目的である元町・西部地区の活性にはかなり程度貢献していると思います。イベント自体かなり浸透してきており、スペイン→バル→はしご酒→賑わい→地域の活性というコンセプトは他の地域のはしご酒イベントにない、ユニークかつしっかりしたコンセプトであり、提案者のレストラン「バスク」オーナーである深谷氏には敬意を表します。
今後の課題としてはこのイベントをどういった方向に持ってゆくかです。現在のようなスポット開催でいくのか、それとも常時、楽しめるような仕組みを作るのか検討する価値があるかと思います。
また、開催地域が元町・西部地区だけでいいのか。地域の再興という意味では駅前の大門や松風町、五稜郭周辺などの地域で同時期または前後して開催し、市内繁華街全体の活性につなげるということも考えられます。
中心街全体に元気がない函館なので市電が通る古いエリアだけでも共同でやるという方法もあります。
現在はスペインのバルをコンセプトにしていますが、舶来イメージが強い現地域ではあまり違和感がありません。しかし、他地区での開催となるとスペインのイメージとは程遠く違ったコンセプトも必要かもしれません。
今月、大門の屋台村が出来ますが、バル街となにかリンクできれば面白いかと思いますがどうなのでしょうか・・・
イベントが大きくなってくると検討課題が増えてきます。
先日、聞いた話ですが最近函館で軽く一杯呑みに行こう、はしごをしようという時、「バルる」という言葉が使われているそうです。
また、「バル」=「はしご酒」と誤訳している人もいるみたいで笑ってしまいましたが、ひとつのキーワードから確実に広がりをみせていることはうれしいことです。
5回目がためされます。且つ楽しみであります。
■ 団塊・シニア層の北海道移住計画について
2005年07月04日掲 載
北海道移住「北の大地への移住促進事業」について
首都圏で住んでみたい地域のアンケートを取ると北海道は長野、沖縄などと共に住みたい地域の上位に入っていることが多く、憧れの北の大地といえるでしょう。
そんな憧れの北海道生活に対し、道がシニア層の移住促進を進めようと具体的な動きを始めました。
北海道移住を道が表立って奨励することは、最近では殆んどありませんでしたが、もともと潜在的な北海道ファン、移住希望者は多く、民間レベルでは90年代に入り、積極的な動きがありました。そのあたり本題に入る前に移住に関する動きについて簡単に触れたいと思います。
バブル崩壊後の1991年には、十勝移住を希望する人たちのサークルとして「百年遅れの屯田兵」が十勝毎日新聞、メディアボックスなどを中心に立ち上げられ、仲間作りから移住ノウハウ、就職までサポート体制が整えられるようになりました。
また十勝の動きに触発されるかのように1994年には札幌で「私設・北海道開拓使の会」(現在はNPO団体)が当時のたくぎん総研が中心となり、立ち上げられました。
会ではバックアップをしてくれるスポンサー企業を募り、北海道では厳しい雇用門戸の開放にもつなげ、多くの会員が津軽海峡を渡りました。移住者と移住希望者の連鎖を継続するためのネットワークづくりを手伝うことが会の趣旨であり、現在は一服の感がありますが、その使命はNPOになった今も引き継がれています。
当初は「なんでわざわざ北海道に来るのさ」ということで、あちらこちらから奇異の目で見られましたがマスコミの報道などにより、知名度が高まりました。
これまでのマイナスイメージの移住から21世紀型の移住モデルを作るまでに至ったことは、両組織の存在なくして考えられないことです。道も市町村もI・Uターンの受入れに積極的になり、専任の部署や窓口を設け、活動をしていますが。最近は経済状況などから頭打ちの感があります。
現在、若者から働き盛りにかけての移住希望者が多いのは以前と変わりませんが、道内だけではなく、全体的な雇用状況の悪化もあり、移住はしにくい環境になっています。
移住を促進させる打開策がなく、閉塞感の状況下、出現したのが、団塊・シニア向けの移住プロジェクトの話です。
ここで「北の大地への移住促進事業」の概要を簡単にまとめておきます。道のプロジェクトは07年度から退職時期を迎える団塊の世代を北海道移住者として受け入れるため、今年度から「北の大地への移住促進事業」の名のもとスタートをしました。団塊の世代は約670万人おり、道は07年度から3年間で計3000世帯が移住すれば、約800億円の経済波及効果があるという推計を出しています。
道はシニア移住者を受入れる市町村を募り、移住事業担当者がいることを条件に、渡島管内の八雲町や小樽市など65市町村を「登録市町村」に指定して環境整備を行っています。
今後、団塊層・シニア層の移住を促進させるために、今年末までに戦略を練り、07年度までに移住しやすい環境を整えていく方針です。
事業計画では、企業から移住に関するアイデアを公募し、首都圏などでPR活動を展開するほか、体験ツアーなどを実施します。また、受け入れに積極的な市町村には不動産などの専門家を派遣し、サポート体制を整えます。福祉関連事業の拡大など「移住ビジネス」の創出と、人口増加による地域活性化を目指すということです。
この内容を読んでみると前述をした「100年遅れ」や「開拓使の会」で蓄積したノウハウを道が組織的にに、市町村と団塊世代向けにアレンジをした印象を受けます。
この世代は所得が多く、行動的、地域にも馴染みやすそう。また将来の雇用創出にもつながりそうなので北海道の田舎町に来てくれれば一石二鳥という発想は理解できます。しかし、まるで団塊層が高度成長期の「金の卵」のようで、創造的なプロジェクトとは思えません。
年寄りといっては失礼かもしれませんが、老人が多い町(それも”移住老人”という新人種)が魅力的といえるでしょうか。移住者には仕事を通して学んだ特技や専門知識などを地域で教えるといったマイスター的な役割を期待している市町村もあるでしょうが、優先順位としては今、働いている現役の人たちを先に通してあげることが重要であると考えます。
勿論、それが同時でも構いませんが、北海道の過疎の共通の悩みは若者がいないことです。かりに”移住老人”が寝たきりになり、福祉事業の雇用拡大が発生したため若者が地元に残る。→よって人口流出が止まり地域が活性化する-などとは決して思えません。
団塊・シニア層を道がプロジェクトとして移住促進にかけることは、やや短絡的な印象を受けます。地域活性手段としては手っ取り早いかもしれませんが、一過性と思われ、負の遺産を残しそうな気がします。
事例は違いますが、今、道が積極的に受入れているコールセンターやデータセンター事業と共通するものがあります。
そういう意味においても「旬」の人に来てもらい、頑張ってもらえるようなプログラムづくりに道が参加することを期待したいところです。

