2006年07月21日更 新

滞在型観光の選択肢 都市型滞在について

夏休みを控え旅行各社の北海道向け商品の予約状況は順調のようである。
これまでの格安ツアーや周遊型旅行からオーダーメード型の個人旅行の比重が高まりをみせている。レンタカー需要が多い夏休みには個人手配型旅行が集中する傾向がある。

また、滞在型の商品を扱う代理店も増えている。概ね1箇所に3泊から6泊程度を目安に滞在するが、滞在地は大沼、ルスツニセコ、キロロ、富良野、トマムなどスキー場を付帯する名の知れた大手系リゾートホテルでの滞在が目立つ。
率直な感想を言わせていただくと、リゾート地の長期滞在は大型ホテルと旅行代理店にとって都合がよいお仕着せ商品であり、旧態依然としたものといえる。
周囲に何もない立地環境で、夕食も自由に取りに行けないような所に長期滞在するのは相当な苦痛のはずだが。

北海道の観光・リゾート地は一施設(1社)に機能を囲い込む傾向がありそこで消費をしなくてはならない。飽きずに楽しめるとしたら地中海クラブ(サホロ)ぐらいであろうが、ここは好き嫌いがあり、GOとワイワイやっているのも2、3泊が限度ではなかろうか。
ただノンビリ過したい沖縄などと違って「目的」が多すぎると滞在型観光の成立が難しくなる。

もうひとつ最近の新しい商品としては、観光地ではなく、札幌、旭川、函館市内などの都市部に長期帯在するものが出てきている。4泊から6泊程度で同じシティホテルに通して泊まるものだ。マチなかに滞在するなんてとつまらないとかんじる人もいるであろうが、意外に使い勝手がよい商品といえる。

たとえば旭川滞在なら人気の旭山動物園、美瑛、富良野、大雪山、十勝岳、層雲峡など4日程度に分けて観光することができる。気に入ったらもう1回同じ場所を訪ねてもよいし、何もしない一日があってもよい。商品によっては他の観光地に宿泊することも可能である。夕食はリゾート地と違って毎晩、違った店を訪れることができる。旭川なら美味しい店も多く、1週間近くいれば相当な旭川通になれるであろう。

実はこういった旅からその地域のファンが生まれてくるものだ。著者は今から13年前の夏休み、釧路市のフィシャーマンズワーフMOOの前にウイークリーマンションを10日間、借りたことがある。短期間の旅行であるといつも心残りがあった。カバンを置いて、ゆっくりと自分の足で訪ねてみたかったのだが、これは道東(釧路)リピータになるきっかけずくりとなった。

その時は出来るだけレンタカーを使わずに公共交通を利用して周った。食事は当初、市場で新鮮な食材を購入した自炊を考えていたが、実際は朝は近所の喫茶店、夜は近所の居酒屋、それでも地元の人が立ち寄る店に顔を出すようになり、知り合いも何人か出来た。今は中心街の衰退で訪れた喫茶店すべてが無くなっている。
そこに暫く滞在することは観光客から一歩踏み出し、その地域に対し深い思いを抱くようになることを実体験した。
最近、滞在型観光と称して自治体も積極的にプログラムをつくっている。温泉地ならヘルスケアをキーワードにしたウエルネス型滞在も目に付く。先日、函館市の湯の川温泉が、初の集客交流事業として「はこだて湯の川オンパク」を今年10月から11月にかけて開催すると発表した。「オンパク」とは、“温泉泊覧会”の意。
これはホテル・旅館施設を使用した各種体験講座や身近な自然などを散策するツアーなどを集中して開催することにより、温泉施設に呼び込もうというものだ。もともと「オンパク」の本家は大分県の別府温泉である。
ターゲットは地元自民ということだが、将来的には体験型を併せた滞在型観光客の誘客を狙ったものであろう。別府とは温泉地としてのスケール、環境、歴史、文化度など背景が違い過ぎるので軌道に乗るか函館の地域性から考えて心配である。
「オンパク」は日本固有の温泉文化を味付けしたものだが、スローツーリズム、アグリツーリズム、ブルーツーリズムなどは欧州が源であり、日本人のライフスタイルには不向きな気がする。
日本人は人が集まらず、観光施設もないところに滞在するような旅に慣れていないのだ(欧州の発想では旅ではなく休養であろう)。

個人的には、旅行代理店や宿泊施設、自治体などが滞在メニューを用意する体験型よりも、前述した都市滞在型のように自分でプランニングをして気ままに動くスタイルの方がリピータ、ファンづくりにつながるような気がするがいかがであろうか。サポートはあっても「お節介」がない方がいい。

子供がいる家族連れには難しい面もあるが、欧米型のリゾート文化が育成できずにいる日本にとって日本流の滞在型観光があってもいいのではないであろうか。

コメント (0)| トラックバック (0)

2006年06月29日更 新

紋別に見るオホーツク観光の課題

これまで本メルマガならびにHPで記事になる機会が少なかったのがオホーツク地域だ。勿論、個人的に強い地域と弱い地域、興味があるなしも関係しているが、観光面から考えるとインパクトが少々弱い地域といえる。今回は紋別などを中心にしたオホーツク地区の観光について話をしたい。

オホーツク新聞によると紋別市産業部商工労働観光課観光振興係がこのほどまとめた05年度(05年4月~06年3月)市内観光客入り込み数は、53万5991人で前年比17・4%の減少となっている。
オホーツクDOいなか博の翌年という事もあるが、昨年度は、花観光の日照不足や冬季流氷観光が不振を極めたほか同課では、「知床の観光客増や旭山動物園も例年の倍の入り込みとなった事も影響している」と分析している。

紋別観光の中心は流氷とガリンコ号である。今冬は流氷が少なく、ガリンコ号2も実働1ヶ月程度であったため乗船者が4万2491人(前年比79・6%)に落ち込んだ。
しかし、観光客数の減少は天候不順のせいだけではないようだ。紋別市の観光入込数は2000年度の68万9682人をピークに年々減少傾向で推移している。
最近ではアジア系観光客とツアーに依存をしていたが、流氷観光がそろそろ一巡し、飽きられてきていることも関係していると思われる。

市内へ宿泊した人数も3万4447人と全体の6.4%程度に留まっており、年々減少傾向にある。近場にこれといった宿泊施設がない割には紋別市の宿泊率は低い。これでは地域にお金が落ちにくい典型的な通過型観光地である。
最近の流氷ツアーの傾向は、女満別空港に入るか札幌・旭川方面から層雲峡などで前泊し、貸切バスで紋別へ入りガリンコ号に乗船、市内に宿泊をせずにウトロ・阿寒などに向かってしまう。
また、観光ルートに乗りやすく、大量乗船が出来る網走流氷観光に客足をもっていかれがちである。

紋別観光の課題は冬季観光以外に大きな目玉が無く、市内や周辺にこれといった目ぼしい観光地がないところにある。最近は周辺の地域と併せて花観光(滝上の芝桜や上湧別のチューリップなど)にも力を入れているが、如何せんインパクトが弱く、通過型観光から脱却するまでには至っていない。

最近は紋別に限らず網走あたりまでもが通過型になってしまっており、以前は団体客が多かった網走(湖)温泉も知床や阿寒に客足を取られ、宿がいくつか売りに出されている状態である。
知床の世界遺産登録にも関わらずプラスに転じていない。

紋別市がある北部網走地方は滞在に耐えられるような魅力的な宿泊施設が少なく、北海道観光の目玉である温泉資源に恵まれていない。観光(体験)施設が少なく、地域全体の印象も薄くなっており、お金を落ちる場所が少ないので旅行業者にとっても魅力が少ないであろう。

また、個人旅行ではアクセスが悪いため、車以外の公共交通機関では周りにくいのものにしている。

昨年は「オホーツクDOいなか博」を開催したが、道外の観光客がどれだけこのイベントを知っていたであろうか。このままでは知床の影に隠れて、紋別を中心とした北部網走地方は、ますます陽の目を見ることがなくなるであろう。
地元では観光客数アップのため、「滞在型観光の充実を・・・」とどこでも御馴染みのセリフを吐いているが、その前にやるべきことがありそうな気がする。

能取湖、サロマ湖などは知床や釧路湿原の影に隠れて、最近あまり名前が出てこなくなった。しかし、観光地・景勝地としての魅力は十分にあるはずである。
そこで観光資源の再評価や洗い出し、宗谷、釧路、上川など隣接地域との連携など新しい発想での呼び込み策が必要である。

紋別地域の観光の欠点は、長年パターンが変わらないところにあると思う。

冬季以外の集客、個人客の誘客が急がれる。特にお決まりの知床観光だけでは飽き足りないような個人旅行者、自然愛好者、シニア層などを引き寄せられないものか。
何もないところであるが、北海道らしい魅力は揃っている。著者はサロマやコムケ湖など写真を撮りに数回行っているが、地味ながらも安らげるところである。
しかし、湧別や佐呂間で宿が無く、苦労をした思い出がある。仕方なく上湧別の旅館に泊まったが、サービスの悪さには閉口した。

また、体験型観光では紋別が発祥である雪上ゴルフのゴルディックや常呂のカーリングなどを活用した手法もある。
アクセスは悪いが、一往復ながらも東京からの直行便がある紋別空港があり、首都圏からは集客はしやすいはずだ。

宿が少ないことについて前述したが、やはりこのエリアには魅力的な宿(食にこだわったものなど)がほしい。それがあるだけでも違う。サロマ湖の鶴雅リゾート(旧東急リゾート)やルートイングランティア
(旧サロマ湖緑館)などが観光向きの施設だが、それほど知らておらず個人経営のような宿は少ない。

紋別観光(北部網走地方)が抱えている問題は特異なことではなく、季節・天候と団体客へ依存し、通過型である典型的な北海道観光の問題ともいえる。

早期の解決を期待する。

コメント (0)| トラックバック (0)

2006年06月11日更 新

北海道は若者の旅誘致を、「旅離れ」の今だからこそ

6月1日より北海道は本格的な観光シーズンに突入した。
今年は道とJRなどが「花たび北海道」を開催するため、例年になく露出が目立つ。「花たび」(6/~/31)はタイトルの通り、花がもっとも美しい季節に来道してもらおうというものだが、イベントは開花のピークを迎える夏休み前に集中しており、ターゲットとしては時間的余裕があるシニア層に来てもらおうとする狙いが伺える。当然、話題の団塊移住や滞在型観光などどもリンクしている。

それはそれで重要なターゲットであるが、最近忘れられているのが若者向けの北海道観光プロモーションである。以前は北海道観光と若年層は密接な関係にあった。
「ディスカバー・ジャパン」全盛の70年代、大きなリュックを担いだカニ族が夏ともなれば周遊券を片手に大挙押しかけ長期間、道内に滞在をした。その後、カニ族はバックパッカーと名前が変わったが、バイクで道内を移動するミツバチ族やチャリンコ族なども加わり、続々と道内へ若者が集結した。

ところがこの数年異変が起きている。北海道を訪れる若者の数がかなりの割合で減ってきているのだ。夏休みでも鉄道利用は減っており、ミツバチ族もあまり見かけなくなった。そのため「ライダーの宿」も廃業したところが多い。ライダーたちも高齢化している。全盛を極めた本州からのスキーツアーも90年代後半から若者の参加が激減している。

道内を訪れる若者が減った理由として考えられるのは、少子化問題もあるが、それ以上に「旅離れ」に原因があると思う。
日本観光協会による調査「平成16年度版 観光の実態と志向」によると、1年間のうち1泊以上の宿泊観光旅行に行った回数は、全体平均が1.21回であるのに対し、15~17歳は0.77回、18~19歳は0.68回となっている。

ここ数年の観光旅行の傾向について、世代別では男女共に60代のシニアによる旅行が増えており、続いて男女別では30代女子、40代男子が旅行に出る傾向が強い。
シニア層を除けば、若い頃によく旅行をした主婦層やサラリーマンなどバブル期に青春時代を過した世代が多いのではないか。

一方、十代は、10年前の調査結果を見ると、1年間のうち1泊以上の宿泊観光旅行に行った回数は18~19歳男子で1.0回、女子で1.5回であったことから、現代の十代は明らかに旅をしなくなってきている傾向が伺える。以前に比べて旅をしなくなった今の十代は、余暇に何をして過ごしているのであろうか。

当然ながら考えられるものとして、PCや携帯などインドア志向が高まり、レジャーに行かなくなったこと。また、不況により、小遣いやバイト代が減少し、旅行へ振り分けることができないことや親の収入減により、家族旅行の機会が減ったことなどが想像できる。社会全般の傾向として休みを取りにくい環境になっているなど複合的原因が考えられる。

調査結果によると若者の旅のニーズで18~19才の女子の27%が温泉旅行を第一位に挙げている。旅のスタイルがお気軽・癒し型に変わってきていることが若年層でも伺える。

費用がかかり、日数が必要な北海道旅行に掛ける余裕がないことや海外旅行へ取られていることが、若年層の北海道離れにつながっていると思われるが、このままでは30年以上続いている北海道ファン&リピータづくりの流れが途絶えてしまう危険がある。

若者→お金を落とさない→観光産業としては旨味がない-それは事実である。しかし、それは一時的なことであり、彼らが社会人になれば変わる。未だに北海道観光には一見的さん的発想が伺える。

また、交通事業者や旅行代理店の都合で旅が現在は旅がしにくくなっている。
JRの周遊券が廃止され、代わりに「周遊きっぷ」が出来たが、有効日数は半分程度になり、発券の仕組みが複雑なため鉄道ファン以外は購入しなくなっている。
さらに、JRの学割制度やスカイメートも各種割引運賃の登場により、昔ほどの威力がなくなっている。「青春18きっぷ」で行くにはあまりにもロスが多い。
特急も乗れる「ユーレイルユースパス」のような実用的な割安チケットや旅行商品をつくる必要がある。
道内のユースホステルの数は半減し、前述してようなライダーの宿や民宿も減っているのが実情だ。

最近、沖縄で安宿が急増しており、10代、20代の若者が集まってきているという情報がある。急増中の安宿というのは平均1泊1,500円ほどで、個人で部屋を改装し、2段ベッドを設置しただけの簡易的なドミトリー形式らしい。
安宿はユースホステルよりも安く、沖縄本島や宮古島、石垣島などの都市部に集中しており、ここ2,3年の間に何十軒も出現しているのだそうだ。若者が旅をしやすい環境づくりが絶対に必要である。

北海道の宿泊先でも割引制度や簡易宿泊施設による受入れ強化のような仕組みをつくれないであろうか。あと何回来れるかわからないシニア層よりも顧客として無限の可能性がある若者若年層を取り込んだ方が将来は明るいと思うが・・・

数年後、北海道から若者がいなくなり、礼文島のユースホステルには40年前に訪れたホステラー同士でふたたび肩を並べ、語り合い、”シニアホステル”になっているということも冗談ではない。

北海道を旅したい若者は多いはず。今のうちに効果的な誘客施策を検討するべきである。

コメント (0)| トラックバック (1)

2006年05月11日更 新

マッカリーナと「地産地消」の危うさ        

先日、真狩村にあるレストラン「マッカリーナ」へ足を運んだ。
マッカリーナは全国的に知られたレストランで宿泊施設を併設した第三セクターの施設である。
あまりにも有名な店なので行く前には不安もあったが、実際に足を運びその素晴らしさに感動をした。
感想から言えば奇跡の第三セクターといっていいだろう。

ジャガイモやアスパラガスなど真狩村の豊かな食材をふんだんに使うのがウリであるが、これほどまでに野菜が美味しいものだと思わなかった。料理は決して斬新なものではなく、むしろオーソドックスに近い。
よく素材の旨味というがここでは素材が主役である。また、環境が料理を美味しくしていることを実感した。

真狩という自然以外何もない田舎で、畑と羊蹄山、ニセコ連峰などの山を眺めながらいただく食事はこの上ない贅沢だ。素材と環境が微妙なハーモニィを引き出している。
従業員の自然な笑顔も気持ちがいい。儀礼的な笑顔ではなく、こころからこのレストランを愛しているとかんじる笑顔だ。

北海道は素材は一流、サービスは三流といわれるが、ここではどれもが一流であった。まさに地産地消を理想的に実現した店がマッカリーナである。

「地産地消」という言葉が出て久しい。
地産地消とは、ご存知のとおり「地元で生産されたものを地元で消費する」という意味であるが、経済的な効果だけではなく、暮らしている地域で採れたものを食べるのは身体によい、地域の食文化の保存といった健康・文化・思想にまで及んでいる。
関連する言葉として「スローフード」や「スローライフ」、観光を関連づけたものとして「グリーンツーリズム」や「ブルーツーリズム」などがある。

しかしながら地産地消、イメージが先行してなかなか実体が伴ってこない。道では北海道や地元の食材を活用した料理を提供する道内の旅館やホテルなどを「北の食材こだわりの宿」としてPRしているが、ただ目の前で採れたものを食卓へ無造作に並べるだけでは「こだわり」でも何でもないと思う。
「北の食材こだわりの宿」をPRしている宿(特に公共の宿などの三セク系)の多くが、このパターンである。

北海道の山奥の温泉ホテルでカニやマグロの刺身を出すのが問題になってからの反省もあるだろうが、現状では単に地元の食材を提供しているのに過ぎず創意工夫がされているところは少ない。
残念ながら民宿の延長線上の食事内容が目立つ。

マッカリーナと単に地元の食材を並べているだけで地産地消と売り物にしているところとの違いは何であろうか?

行き着くところ「意識」の問題であると思う。料理の本質とは何か。サービスの真髄とは何か。

大多数の三セク施設(民間も含め)のスタッフは意識がそれほど高いとはいえない。多分、マッカリーナを真似ても形だけのもので終わってしまうのではないであろうか。

高級な食材を使ったり、凝った料理ではなくても、こころがこもっているものであれば客にそれが通じるはずだ。
上からのお仕着せではない現場からの意識変革が遂げられれば北海道は大きく変わると思うが。

コメント (2)| トラックバック (0)

2005年11月24日更 新

北海道観光に高級志向到来の予感

画像 012.bmp

写真:高級志向の北海道ツアーパンフ類
 
株価の上昇などにより、このところバブル時代を彷彿させるような出来事が起きはじめています。
また、ベストセラーになった「下流社会」に代表される社会構造の二極化、「勝ち組」「負け組」といった産業構造の変化は、消費行動にも大きな影響を与えていますが、北海道観光を例にとってもこれまでとは違う流れが出始めています。

バブル崩壊以降の北海道観光は、ツアー料金の激安化、宿泊料金の値下げなど長らくデフレ・スパイラル傾向が続いており、稼動しても儲からない悪循環に陥っていました。
ところがここに来て、安いもの中心から、高価なものにも市場の光が当る動きが出てきています。

これまでも富裕層をターゲットにした高価な旅行ツアーや宿泊施設には、一定の支持がありましたが、最近では富裕・高齢者層だけではなく、幅広い年齢層へ向けた高級志向の商品が登場するようになりました。
バブル期のような、ただ贅沢、豪華にというのではなく、ワンランク上のものを求める、よく商品名に使われる「プレミアム感」があるものに注目が集まっています。

80年代後半のバブル期は、国内よりは海外旅行、ペンションよりはリゾートホテル、ふつうの温泉旅館よりは次の間付きの豪華温泉ホテルといった具合に、これまで体験したことがないような非日常空間の大名旅行に人気が集まりました。
ゴルフ場やスキー場などのリゾート開発に代表される豪華大型施設や、デラックスな内装などハード面に「贅沢」の比重が置かれる傾向がありました。
「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」のチケットが入手困難となり、オリエント急行や国際線のファーストクラス、豪華客船などに代表される桁違いのものが瞬く間にさばけた時代です。

勿論、今でもバブル期のようなスタイルの需要はありますが、全体的には消費者の目が肥えており、お金をかけるところには投資を惜しまないいいもの・ほんもの志向に変化をしてきています。

特にバブル期をナマで体験している団塊層から新人類世代と団塊ジュニアの前世代(1947~1967年頃生まれ 58才から38才ぐらい)は、この傾向が強く、プロ顔負けの知識や、こだわりの旅行スタイルを持っている人が多いのが特長です。

プロの目を持ち、そこそこ所得もある旅なれた彼らを満足させるために旅行会社、宿、交通機関などは新しい商品を開発するようになっていますが、そのキーワードが「プレミアム感」や「プチ贅沢」を意識させるものです。

たとえば旅行商品では、観光ハイヤー、客室露天、冷蔵庫フリー、羽田タクシーチケット、レイトチェックアウトなどを売り物にしたパッケージツアーなどが登場していますが、極端に高い金額設定ではなく、手が届きそうな範囲に収めているのが特長といえます。

宿では、温泉の露天風呂付きの客室も道内でも遅ればせながら増加しており、JRタワーホテルや京王プラザホテル札幌、札幌プリンスホテルタワーなどシティホテルでも客室を癒し空間にするなどして一般客室との差別化に務めています。

輸送機関でも、ANAが導入をした国内線の「プレミアムスーパーシート」が好評です。これまでのスーパーシートをグレードアップさせ、ビジネスクラスに近づけたようなサービス内容ですが、値段が上がったのにも関わらず需要が増えています。
これは、JALがスーパーシートを廃止し、Jシートという千円追加で乗れるプチ贅沢といもいえるプレミアムシートを打ち出しているのとは好対照ですが、両社ともワンランク上の付加価値を狙い、差別化をはかっています。

JR北海道でも冬季限定ですが、JR北海道、東日本エリアのグリーン車が乗り放題でひとり35,000円でお釣がくる「いい夫婦きっぷ」の発売や、新千歳空港のエアポートライナーに500円を追加するとグリーン車並の座席に座れるUシートなどワンクラス上を意識した商品が増えています。

これらの商品・サービスの特長は、既存のリソースを活用しながらワンクラス上を行くことで差別化をはかり、高付加価値で収益アップにむすびつける戦略が伺えます。

ウインザーホテル洞爺が高稼働率を誇っていますが、利用者の多くが中高年富裕者かというとそうでもなく、新人類世代やそれよりも若い層をみかけます。
個人単価が4~5万円というのは、北海道では群を抜いた高額ですが、いいもの、ほんものには出し惜しみをしないニーズがそこにはあり、プチ贅沢志向の代表といえるかもしれません。

今後、バブル期を体験した目が肥え、遊びなれた団塊世代がリタイアすると旅行の需要が高まるだけではなく、より話題性があり、プレミアム感がある旅行・観光の提供が必要になります。
また、新人類世代からさらに若い現在のIT長者にに代表される一部富裕層(団塊ジュニア含)までもが、それらのターゲットに入ります。

旅スタイルは、首都圏発19,800円の格安北海道旅行の需要も続くことが予想されますが、プレミアム型のプチ贅沢旅行の需要がもっと増してゆくでしょう。

「エコノミー」な旅と「高付加価値」による旅の二極化が進んでゆきそうです。

コメント (0)| トラックバック (1)

【観光ミシュラン】北海道遺産を行く その4 函館山砲台

P1010043.jpg
写真:函館山中腹より市内を見る

世界三大夜景のひとつに数えられ、道内でも有数な観光地の函館山ですが太平洋戦争が終了するまでは、旧海軍の「要塞」として、長く立ち入りが禁じられていました。

今回紹介をする「函館山砲台」は、明治時代から終戦までの間、国家機密であり、ベールに包まれていた場所です。函館山砲台は、津軽要塞地帯の一部であり、下北半島の大間岬から大湊、津軽半島の竜飛岬、渡島半島の汐首岬(戸井)から福山岬(松前町)にかけては、海防の要として要塞に指定されており、写真撮影や訪問が制限されていました。

こういった要塞は全国各地にあり、戦前の地図を見ると三浦半島から房総半島南部にかけての東京湾、紀伊水道、舞鶴湾周辺、広島・呉周辺の瀬戸内、宇和海から豊後水道、関門海峡、長崎・佐世保、壱岐から対馬など軍港や重要な水路を中心に要塞が築かれていました。

函館山砲台は、明治31年から5年の歳月を費やして作られました。日露関係が緊張していた当時、津軽海峡の防衛が急務であり、函館山は、地形が天然の要塞であり、艦船を一望できるので要塞建設には最適な場所でした。

現在、砲台の跡や地下施設、弾薬庫、指令所などが函館山の8合目より上に点在しています。
著者は昨年の10月、タクシーで8合目にある「つつじ山駐車場」まで登りました。そこから散策路を行くと第2砲台があり、口径28センチという巨大な榴弾砲が据付けられた跡があります。
榴弾砲とは、旅順攻撃や203高地の戦闘シーンなどに出てくる巨大な大砲で、これが津軽海峡に睨みを利かせていたようです。

さらに散策路を登り、展望台駐車場の下あたりにはかっての御殿山第1砲台があります。このあたりは観光地なので、要塞があったなどとは想像できず、位置もわかりにくいため見逃してしまいましたが、地下施設なども現存しているようです。

函館山砲台は、想像以上に大きく、今回は一部しか見ていませんが、この他にも多くの施設が眠っています。
施設は、戦後すぐに米軍により爆破・破壊されましたが、今でもその面影を知ることができ、見ごたえがある産業遺産といえます。
函館山に登る修学旅行生にも夜景だけではなく、こちらの方も是非見てもらいたいものです。

函館山砲台は、その存在の割にはほとんど活躍をすることがなかったようです。
津軽海峡の入口の竜飛岬や汐首岬、福山岬に要塞があっとことや、太平洋戦争では既に海上の艦船から潜水艦の時代になっており、存在意義を失い既に過去の遺物になっていたことが、活躍を少なくしたようです。
戦争末期、青函航路を狙った空襲では、大半の連絡船が撃沈されました。
このとき、砲台からの攻撃がなく、それに激怒した青函航路の責任者が、いったい軍は何をやっているのかと旭川にある陸軍司令部へ日本刀を持参し、命賭けの直談判にいったという話を聞いたことがあります。
戦後、函館山が開放されると砲台には木製の大砲が並べられていたという説もありますが、真偽のほどはわかりません。

現在、函館山は観光地という顔のほか、長い間の要塞時代が続いたおかがで手付かずの自然が残り、ハイキング、散策のメッカになっています。

北海道遺産 http://www.hokkaidoisan.org/

コメント (0)| トラックバック (0)

2005年11月09日更 新

【観光ミシュラン】北海道遺産を行く その3 稚内港北防波堤ドーム  ('92,'93,'99,'02訪問)

Photo0113.bmp

今回は最北端・稚内の遺産「稚内港北防波堤ドーム」を紹介します。

稚内港北防波堤ドームは、稚内駅から歩いてすぐ、稚内港にあるシンボル的な建造物です。稚内を訪れたことがある方なら、多分一度は見ていると思います。

稚内は1年を通して風が強いところです。著者も3年前の12月に稚内を訪れましたが、東京便の飛行機が強風で二日連続欠航した痛い記憶があります。利札航路フェリーも欠航が多く、気候の厳しさが伺えます。

戦前、ここには稚内と樺太(サハリン)を結ぶ鉄道省の連絡船である稚泊航路(稚内-大泊(現・コルサコフ))がありました。その航路の出発点にあったのが、今回紹介をする稚内港北防波堤ドームです。
稚泊航路は、167kmの海上を夏は8時間、冬は約9時間を要し、暴風、濃霧、海氷、流氷などに悪戦苦闘をしながら航行していました。当時の稚内桟橋の防波堤は高さ5.5mしかなく、時化の日には波が簡単に乗り越え、乗船客が海に転落するという事故も発生していました。

そこで強風と高波を克服するため1931年から1936年までまで5年の歳月をかけ、北防波堤ドームが作られました。
ドームは高さ13.2m、総延長427m、柱の数は70本あるローマ建築のような建造物です。前知識なしにここを訪れた時は、存在意味がわからず、その威容に驚かされた記憶があります。
前々号で紹介をした戸井のアーチ橋もほぼ同時期に作られたものですが,当時、ローマ建築のような建造物が道内各地に作られたのが偶然なのかはたまた理由があるのか興味があるところです。

1938年には線路が稚内駅からドームの内部にまで延長され、稚内桟橋駅が誕生しています。ドーム内部に2階建ての駅舎が出来たため、列車を降りた乗客は雨に濡れずそのままタラップで乗船できるよになりました。当時は稚泊航路に接続する形で列車ダイヤが組まれており、函館-稚内桟橋間を19時間近くかけて結んでいます。寝台車と食堂車が連結されており、優等列車であることが伺えます。

終戦とともに稚泊航路は閉鎖され、稚内桟橋駅も廃止になりました。現在、桟橋駅があった付近にはSLのC55が保存されているので目印になるかと思います。

その後、ドームは半世紀を経て老朽化が著しかったため、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の景観がよみがえっています。また、途絶えて久しかった稚泊航路は6年前から東日本海フェリーによって定期航路として復活しています。

ドーム手前の護岸は「しおさいプロムナード」という散歩道になっており、港の景色を楽しみながらドームを訪れることができます。
著者が2002年の12月にに訪れた時、宿泊した稚内全日空ホテルからドームの全容が見下せました。
強風と高波、グレーの空を眺めながら暫く、ぼんやりと過した記憶があります。
久しぶりに訪れてみたい所です。

コメント (0)| トラックバック (1)

2005年10月26日更 新

【観光ミシュラン】北海道遺産を行く その2  産業遺産 赤平市住友炭鉱跡を行く (10/2取材) 

画像 015.jpg
前回からこのコーナーでは「北海道遺産」について掲載をしています。
今回は北海道を代表する産業遺産である炭鉱遺産を紹介します。道内の代表産業であり、各地にあった炭鉱ですが、空知地区には炭鉱が集中していました。今回紹介する赤平をはじめ夕張、三笠、美唄、芦別など遺産に認定されているところが数多くあります。

これまで空知の炭鉱施設はいくつか訪れています。1989年頃から大夕張、本夕張、真谷地、三笠、幌内、万字、美唄、上砂川歌志内などを見てきました。
1990年代のあたま頃までは実際に操業をしていた施設もあり、炭鉱住宅(炭住)や炭鉱まで足を延ばしていた鉄道の廃線跡など名残をとどめていました。
その間、炭鉱施設跡に対する認識にも変化が起こり、保存の意義や存在価値などが次第に高まってきたような気がします。21世紀に入ると旧施設はさすがに施設は色褪せてきて、今後が心配になりましたが、ナショナル・トラストの活動や鉄道の廃線ブームなどが起こり、見直されるようになって今に至っています。
今回訪れた赤平・住友は初めての訪問です。赤平駅の裏側に施設が集中しており、公共交通と徒歩でまわれるのは魅力です。これまで訪ねた炭鉱施設と違った点は「北海道遺産」ができたことで炭鉱跡が整備され、観光地化された点です。
赤平の炭鉱跡は「空知の炭鉱関連施設」のひとつとして認定されています。赤平駅は炭鉱全盛期を彷彿とさせる広いヤード跡(操車場、側線)があります。駅舎は地域センターを兼務した近代的な施設に変わっていますが、ホームへ出ると777段の階段を作ったズリ山が目の前に見えます。ズリ山とは鉱坑内から出る石を積み上げた山のことで、ズリ山階段としては長崎県世知原町の555階段を抜いて、日本一の階段です。
当日は雨のためズリ山は登れませんでしたが、東洋一といわれた選炭場の跡はきれいな公園に整備されていました。石炭で踏み固められた道がコールタール状になっており、スエードの靴がボロボロになってしまいましたが、そんなところにここがかって炭鉱であったことがリアルに伝わってきます。

ズリ山から数分行くと住友赤平炭鉱立坑櫓があります。赤平市の中心部に近く、「ネオンのともる立坑」といわれた炭都・赤平の象徴的な存在だったらしく写真で何度か見たことがあります。
閉山が比較的最近(1994年)であったこともあり、これまで見た一連の炭鉱施設のなかでは新しくかんじます。櫓の上に輝く住友マークが当時を偲ばせており、線路を挟んで反対側、赤平の中心街からもランドマークように見ることができました。
雨模様のため、あまり歩くことができなかったのは残念です。しかし、こういった場所には雨が似合っている気がしました。以前、英会話の先生であったスコットランド人が出身地の近くに炭鉱が多く、それらの印象を「gloomy」という言葉で表していました。直訳すれば陰うつとか暗いといった意味ですが、それは単にアンダーな場所ということだけではなく、もっと深い意味をこめて言っていた記憶があります。
住友赤平は最近まで採掘をしており、今でも事務所などがあるせいか、これまで訪れた炭鉱施設と比較すると「gloomy」というかんじではありません。

しかし、びしょ濡れの服と、雨と石炭で変色をした靴を拭いている時、やはり「gloomy」という言葉が似合っている気がしました。
また、炭鉱施設だけではなく、かなり寂れた市街地(中心街)もなかなか味がありました。

■関連資料
北海道遺産 http://www.hokkaidoisan.org/

空知・産業遺産と観光
http://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/index.html

コメント (0)| トラックバック (0)

2005年10月13日更 新

今冬のスノーリゾートはどうなるか            

首都圏ではそろそろ航空各社や大手旅行代理店から北海道スキーツアーのパンフレットが店頭に出始め、申込みがスタートをする頃です。以前は秋ともなると旅行代理店のパンフレット棚を埋め尽くしていたスキー旅行ですが、スキー客の減少により、人気の中心であったバススキーツアーは激減してしまいました。
またツアーバスに対抗してJRがはじめた割安でゲレンデへ直行できる専用列車「シュプール号」も本数が大幅に減り、新幹線利用へシフトをしています。

北海道内ではJRが「ニセコ・エクスプレス」、「フラノ・エクスプレス」などのリゾート特急を運行、バスでは札幌、新千歳空港駅から主要ゲレンデへ向けて直行バスを運行していますが、本数は多少減ったものの仕組み自体あまり変わっていないようです。

そのなかで本州から航空機を使ったスキーツアーは料金の安さもあり、根強い人気がありました。航空運賃の大衆化とともに市民権を得た航空機を利用したスキーツアーですが、ここ数年は頭打ち傾向が続いています。

たとえば札幌ステイで2泊3日、平日参加であれば1名1室で3万円でお釣りがくるというお手軽料金ですが安いだけでは集客できないようです。

メインターゲットであった若年層のスキー離れが激しく、レジャー遊行費にお金をかけれないのが一般的な傾向です。
むしろ、ホイチョイの「わたしをスキーへ連れてって」や「極楽スキー」などのスキーブームを引っ張った新人類世代(1960~1963年頃生まれ)その後に続くバブル世(1964~1968年頃生まれ)がリピータとして参加しているケースが多く、さらにもうひと世代上を含め、30才代後半から50才前後にかけてが北海道スキーツアーの「上客」といえるかもしれません。

今冬のスキーツアーをみていると単にスキーを楽しむのではなく、アフタースキー(懐かしい言葉です)や体験型のコースが増えていることがわかります。スキーツアー参加者の高齢化に合わせた企画が増えています。
たとえば高級リゾートのザ・ウインザーホテル洞爺では閉鎖されていた専用ゲレンデ「ウインザースノーヴィレッジ」を再開します。
積雪や雪質に恵まれている場所ではありませんが、ホテル滞在の選択肢のひとつとしてスキーを楽しみます。
また、トマムは自然派スキーを前面に打ち出しています。「冬山開放宣言」として滑走制限のないオフピステの開放や雪山体験など脱・ゲレンデ、アウトドア志向を強くしています。なお、今シーズンからトマムの運営は加森観光が撤退し、軽井沢の星野リゾートが単独で運営を行うことになります。

洞爺やトマムのコンセプトは上記大人の世代をターゲットにしたものでホテル滞在のお楽しみのひとつとしてのスキーや、脱・ゲレンデなど一線を隔したものになっており、高級志向が伺えます。
その他では一時、ツアー催行が行われなかった旭川市内滞在コースが旭山動物園ブーム(?)で復活します。経営危機のカムイスキーリンクスにも相乗効果が押し寄せることを期待したいところです。
温泉滞在コースも充実しており、スキーツアーもスキーそのものを楽しむものから冬のレジャーを楽しむものに変わってきているようです。

ところで近年のスキー客の減少は、非常に深刻なものがあります。これは、不況スキーブームが去ったこと、1人当たりの年間滑走回数の減少、少子化による若者の減少冬のレジャーの多様化など複合的な原因として考えられます。
スキー場利用者減少のスキー産業への影響として、スキー場の閉鎖や索道会社の統廃合、スキー場再編の動きが、最近、特に顕在化しています。
道内でも何ヶ所か再編の動きがありますが、気になる西武系のスキー場は冬季閉鎖をする北広島を除き、今シーズンは営業を行う予定です。但し、閉鎖の対象になっている深川・糠平・津別の来シーズン以降については未定です。

話題のニセコ・エリアは今のところ大きなニュースは届いていませんが、ニセコスキーエリアの総称を「ニセコ・ユナイテッド」と呼ぶことになりました。
また、オーストラリア人を意識したひらふ・倶知安町内を結ぶ夜間バスの運転など着々と進化をとげているようです。
今シーズンはあらたなスキー復活の年になるでしょうか。

コメント (0)| トラックバック (0)

2005年09月17日更 新

【トピックス】国際的な野鳥観察旅行への期待 

このほどロンドンで8月19日から開かれた世界最大のバードウオッチングの見本市「ブリティッシュ・バードウオッチング・フェア」に根室市や釧路市が日本から初めて出展し、タンチョウやオオワシなどの道東に生息する野鳥が来場者の反響を呼びました。

英国には数百万人のバードウオッチャー人口がいるといわれています。日本の野鳥への関心は高く、特にイギリスでは見ることができなくなったオジロワシやオオワシを見ることができる根室市の風連湖や春国岱へは最近、欧州からのバードウオッチャーを見かけるようになりました。
根室半島周辺は野鳥が住む林などが多く、自然資源に恵まれており、春国岱原生野鳥公園では、日本で観察できる渡り鳥の約半数の250種が見ることができます。なお、この250種という数字は世界でもっとも多い数といわれています。
バードウオッチングは大きな観光資源であり、根釧地区の野鳥を世界的なブランドにしようと昨年あたりから行政が動き出しました。野鳥観察を目的とした海外旅行者を誘致しようと英語版のホームページ
作成や英語ガイドの養成、そして今回のフェアへの出展など世界へ誇れる新しい北海道ブランドの育成へ向けてPRをしています。
この冬にはイギリスのバードウオッチツアー会社「バードホリデーズ」がツアーを企画しているほか今回のフェアでも何社からのオファーがあったようです。

また、11月には風連湖・野付半島がラムサール条約に登録されることが有力になっており、これを機に国際的な観光スポットになる可能性があります。
知床半島が世界自然遺産に登録され注目を集めていますが、ラムサール条約に登録予定の野付・風蓮道立自然公園は知床に隣接をしており連携した自然・体験型旅行が楽しめることになります。

海外観光客の誘致は道が積極的に取組んでおり、東アジアからの来道客は一定の成果を納め、今後はリピーターの育成など新規開拓とともに第二段階へ入っていると思われます。
また、オーストラリア資本のニセコ進出など”想定外”の出来事も進行中であり、海外観光客の誘致は北海道観光の命題となっています。
その中でバードウオッチングツアーは地味なようでありながらファン人口が海外に多く、安定したリピーター需要が期待できるものと思われます。

道内、国内ではあまり知られていない根室地区の野鳥と自然ですが実際訪れてみるとそのダイナミックさにには驚かされます。特にこれから渡り鳥が多い時期は天気もよく、素晴らしい夕陽や結氷期になれば湖を横断する数十頭のエゾ鹿の群れなどに出会うことができ野鳥ファンではなくても道東の大自然が満喫できるはずです。

現在、メッカである春国岱には3軒の民宿・コテージとネイチャーセンターがあるだけで手付かずの自然の景観を残しています。徒歩での見学が中心となりますが、受け入ることができるキャパシティが限られています。3軒ある民宿はシーズン中はかなり混んでおり、これで海外からの観光客が増えると心配な面があります。
知床は世界遺産へ登録後、宿が大変取りにくい状態であると聞きます。もともと観光地として開かれた知床でさえも受け入れには限界があります。

バードウオッチング客を誘致すること自体は大賛成ですが、自然保護と観光の両立をどうバランスよくやってゆくのか大事な使命です。

◆参考資料
春国岱ネイチャーセンター http://www.marimo.or.jp/~nemu_nc/workn/
財団法人 日本野鳥の会 http://www.wbsj.org/

コメント (0)| トラックバック (0)

【コラム】北海道遺産と産業遺跡 大夕張から    

当メルマガのホームページ、「北杜の窓」のアクセスログを調べていると訪問者がどういったテーマに興味をもち、アクセスをしているのかわかります。7月の日記欄で映画「北の零年」のロケ地になった大夕張について書いたのですが「大夕張」というキーワードで意外なほどアクセスがありました。
その後、「北の零年」のロケセットが夕張市の石炭の歴史村へ移され先日より公開されていますが、ロケは旧鉱業所跡で行われました。
かなり以前には健さんの「網走番外地」決闘シーンもここで撮られており、東映のスタッフは大夕張がお気に入りなのでしょうか。

ところでこの大夕張とは三菱鉱業の炭鉱があった場所で大夕張炭鉱は1973年に閉山しています。さらに1997年にはダム建設のため大夕張の中心地区であった鹿島など集落そのものが消滅してしまいました。最盛期の昭和36年には約2万3千人の人口を数えましたが、閉村前に1997年にはわずか327人になっていました。
夕張は市内のあちらこちらに炭鉱がありましたが、大夕張炭鉱は三笠方面へ向かう外れにあり、北炭(北海道炭鉱汽船)系の炭鉱が多い夕張市内にあって三菱系の大夕張は完全に独立したかたちで町を形成していました。

現在のJR清水沢駅からは三菱鉱業大夕張鉄道の古い客車が近過去である昭和62年まで走っており、最後までSLが見られた鉄道として知られています。
大夕張閉山後、1989年まで掘削を続けた南大夕張炭鉱がある南部には駅舎跡とホームに鉄道車両が保存されています。一時、朽ち果てた状態になっていましたが現在は大夕張鉄道保存会によって守られています。
また、大夕張地区をエリアにしていた三菱鉱業バス(後の美鉄バス)の古い車両が旧・大夕張炭山駅近くの作業小屋で発見されました。
私も1997年に鹿島地区の閉村が決まった後、写真を撮りに3回当地を訪れていますが、崩れ落ちた車の中にバスが眠っている姿を偶然発見したことがあります。すぐに三菱鉱業バスのそれとわかり、驚愕した思い出があります。
保存状態がよく、ドアを開けて車内へ入ると昭和53年頃の新聞や当時のジュースの缶などがそのままの姿で放置されていました。
その後、バス車両はファン有志によって引き取られ、動態保存され三菱バス保存会として活動をしています。なお、三菱バスは1997年に大夕張から撤退、最後まで路線を維持していた美唄地区も美唄市に路線を譲り渡し美鉄バス会社は惜しまれつつ解散をしています。

大夕張の市街地は完全に消えてしまいましたが鉄道車両やバスは産業記念物(?)として大事に保存されているのは嬉しい限りです。

北海道では道民的財産である美しい自然景観や貴重な文化財・歴史的環境を保全し、活用しながら後世に継承していくことを目標に「北海道遺産」をスタートさせました。ナショナルトラストの北海道版といってよいでしょう。
現在、北海道では52件が北海道遺産として登録されていますが、炭鉱関連では「空知の炭鉱関連施設と生活文化」という名称で登録がされています。
空知は国内最大の産炭地として最盛期に100炭鉱、83万人の人口を擁し、日本の近代化を支えてきましたが、エネルギー政策の転換による合理化、閉山が相次ぎ空知の炭鉱は姿を消しました。

今でも炭鉱の施設跡や炭鉱住宅などがそのまま保存されているところが何ヶ所かあります。現存する関連施設としては三菱美唄炭鉱立坑、三井砂川炭鉱立坑、住友赤平炭鉱立坑、住友奔別炭鉱立坑、幌内炭鉱などがあります。また、炭鉱関連遺産は歴史的な建造物や生活関連の文化財、鉄道施設など
幅広い構成となっています。

最近は旧炭鉱施設へ観光ツアーが訪れるようになりましたが、閉山からはかなり時間がたっており、施設だけでななく、炭鉱住宅なども跡形なく消えてしまい生活感がなくなってしまっている所が多いのは残念でなりません。
また、炭鉱などの鉱業施設跡は空知だけでなくほぼ全道に存在しています。大夕張のように町ごとなくなってしまった所もありますが、比較的当時の面影を残しているところもあります。
これまで私がまわった旧施設では羽幌炭鉱、阿寒町の雄別炭鉱、音別町の尺別炭鉱、下川町の下川鉱業などが印象的でした。
多くの個人探訪サイトがありますから参考になるはずです。
北海道は歴史が浅いため神社仏閣めぐりや古い町を散策するという機会に恵まれません。おのずと観光地も限られてしまいますが、その中で趣向を変えて炭鉱関連施設を見てまわるというのも面白いはずです。北海道開拓の歴史や先人の苦労、近代日本の陰陽が身近なかたちで実感できるはずです。

なお、行かれる方は大変危険な場所が多いのでくれぐれも注意をして下さい。

◆参考資料
ふるさと大夕張 http://www2f.biglobe.ne.jp/~mst_iida/
北海道遺産構想推進協議会 http://www.hokkaidoisan.org/
大夕張鉄道保存会 http://www.geocities.jp/ooyubari_rps/index.html
三菱鉱業バス保存会 http://www.ne.jp/asahi/web/hp/mitu/
「廃」http://members.jcom.home.ne.jp/haikyo/index.html

コメント (0)| トラックバック (0)